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一体感を目指した都市は崩壊する

今日は輪講、ジェイコブズジェイコブズの『アメリカ大都市の生と死』(山形浩生訳 鹿島出版会 2010年4月)。

「一体感」とは新しい郊外の精神的な拠りどころで、都市では破壊的に機能するようです。080

一体感を理想とした都市は崩壊する。それは私的空間と公的空間が限りなく曖昧になってしまうからである。都市においては、私的空間と公的空間には明確な一線が引かれていなければならない。私的空間を担保した上で、隣人と仲良く交流するのである。そのための公的空間があるのでなければ、都市は健全に機能しない。

あんまり仲が良いからといって、いつでもお互いの家に上がり込んでお茶を飲んだり、勝手に御飯を食べたりしていると、だんだんうっとうしくなってくることもあるだろう。出かける用事があるのになかなか帰ってくれないということもあるだろう。あんなに仲が良かったのに、今は顔を見るのも嫌だという関係になることも稀ではない。

ジェイコブズが問題にしているのは都市である。都市とは知らない他者が圧倒的に多い空間である。だから私的空間を確保した上で、親しい人とお茶を飲むための公的空間、喫茶店などが必要なのである。一体感、ふれあいをもとめるロマンチックな観念には、それは冷たいように見えるかも知れない。しかし多くの現実の人間関係は、そうなっているのである。

君子の交わりは淡きこと水のごとし

さすが古人の知恵は現実を生きた知恵である。
都市においては、「ふれあい」の場としての公的空間がなければならない。そうでない都市は必ず壊れる、そうジェイコブズはいうのである。なぜなら、公的空間が確立されていない都市では私的空間が壊れるからである。

よい都市の近隣は、自分の基本的プライバシーを守るという人々の決意と、周囲の人々からさまざななレベルの交流や楽しみや助けを得たいという願いとで、驚くほどのバランスを実現しています、077

このバランスを担保しているのが、歩道などの公的空間と私的空間の間に引かれた一線なのである。

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学生さん2

学生さん、

研究室にきて僕が御飯を食べていたら、

お食事中に失礼します。

とひとこと言おうよ。

その上で用件を述べるのが気遣いというものですよ。

別に出直せとは言わないよ。長話になっても一向にかまいませんよ。
ただひとこと言うことが大切だと思うんだな。

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映画テルマエ・ロマエ

娘に映画「テルマエ・ロマエ」に連れて行ってもらった。

タイトル、ちゃんと言われへん。どうしよう。

と私。

はぁ〜?

阿部寛って言うか。それとも、風呂のやつ!

お好きにどうぞ。

そんな会話をしているうちに窓口に着く。

「先に行って」と娘を前に出す。

娘が「テルマエ・ロマエ」と言ったとき、すかさず「以下同文」と言ってカードを出した。

ほっとしている私に、「以下じゃないし…」。と娘の冷めたつぶやきが聞こえたような気がした。

映画はコメディータッチの、とても面白い映画だった。
それでいて心ある技術者の苦悩もわかりやすく描かれていてよかった。シンプルだけれども、だれでも直面する苦悩だろう。

今もてはやされているのはほんものではない。本質を忘れた、うけをねらっただけのものに過ぎない。それが許せない。しかしそれを打破するには、技術者としてはそれを圧倒的に凌駕するものを作る以外にない。自分の理想を具現化し、本質を生かしかつ人々に受け入れられるようなものを。しかしそう簡単にできるはずはない。

そのためには、息を止めて水の中に長時間潜っているほどの苦しさに耐えなければならない。その苦しみの向こうに、ひょっとしたら何かのヒントが見つかるかも知れない。これは決して比喩ではない。

阿部寛演じるルシウスが別世界にワープするとき、必ず溺れる。その苦しみを経て、別世界で新しいヒントを手に入れることができる。そして涙を流したとき、元の世界に戻ってくる。

涙を流すのは、それまでの自分が壊れ、それによって世界が変わるときである。ルシウスはうんと苦しみ、最後の最後に溺れるくらい苦しんで新しい自分を手に入れる。それは新しいものを作れるようになった自分である。そのときに涙を流すのである。

自分の全存在をかけて、ものをつくる。
それまでの自分を壊さないと作れないような、ものをつくる。

そんな技術者を私は尊敬している。

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また石巻山

5日。
仕事の合間に今日も石巻山へ。4回めである。


まずは車をとめて


いい感じです

今回、初めて奥の院経由の道を通った。


コノシロ池


石巻の蛇穴


          ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑


もうすぐ頂上


到着~


絶景~


気持ちいい~

だいぶ慣れてきた。
油断しないようにしよう。

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コナンに「そうっすねぇ」…

仕事を早めに切り上げて、「名探偵コナン 11人目のストライカー」を見に行く。

今回のテーマはサッカー。
キングカズや遠藤選手らが登場。なんと声もご本人。ということは……
われらがマエチンも登場かぁ???
と思ってわくわくしていたが、やはり出てこなかった。
残念。

コナンはともかく、毛利小五郎が見事謎を解き、

犯人は◯◯だぁ〜!

と叫んだとき、

そうっすねぇ…。

と言って欲しかったなぁ…。

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学生さん

学生さん、

研究室に来て、僕が寝ていたのが分かったら、

お休みでしたか。失礼しました。

とひとこと言おうよ。

その上で用件を述べるのが気遣いというものですよ。

平日の昼間なら、「こんな時間に寝るな」と言われても仕方ないけど、今日は休日なんだよ。休日に仕事しに来ていて、休憩がてら、寝ながらアイシングをしていたのだよ。

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コウノトリのキーホルダー

城崎温泉で買ってきたコウノトリのキーホルダー。

少しずついい色になってきました。

卵から顔を出したヒナ

素材の原木は槐(えんじゅ)の木。

「魔除け、長寿、安産、幸せの木として知られる」と書いてありました。

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今まで習ってきたことが否定されてしまう…

中森康之研究室の輪講でジェイコブズの『アメリカの大都市の生と死』(山形浩生訳 鹿島出版会 2010年4月)を読み始めた。今日は第1章まで。めちゃくちゃ面白い。その面白さについてはまた改めて書くとして、今日、ある学生がこう言った。

ここに書かれていることを認めたら、私たちがこれまで習ってきたことが否定されてしまう。

学生諸君、そういう本を学生時代にどんどん読んで下さいな。自分がこれまで習ってきたこと、正しいと信じてきたこと、自分自身の根源が揺さぶられるような本を。そしてそこで真剣に深く潜って考えて下さいな。

ジェイコブズもこう述べている。

都市計画者、都市設計の建築家たち、そしてかれらとともにその信念実現を導いてきた人たちは、……都市はどういう仕組みであるべきかとか、そこの人々や事業にとって何がよいはずかについて現代の正統派都市計画の聖賢たちが何を語っているか、ずいぶん苦労して学んでいるのです。ただそれをあまりに熱心にやるので、それに反する現実が割り込んできて、苦労して勝ち取った学習内容を脅かそうとすると、かれらはどうしても現実のほうを脇に押しやってしまうのです。(024)

頭で勉強したことと現実がずれている場合、「現実のほうを脇に押しやって」しまわない勇気を持とうではないですか。

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今日も石巻山

昨日に続いて今日も石巻山へ。

昨日よりすいすい登れた。
しかし足がまた腫れてきた。
無理しすぎたみたい。

何事もほどほどが大切である、と痛感した次第である。

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石巻山

リハビリを兼ねて、石巻山へ。

と言っても、途中まで車で上がって、歩く距離は600メートルくらいである。

でも頂上からの眺めと風はとても気持ちいい。

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