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日記 アーカイブ
急に冷え込んだ?
- 2012-04-17 (火)
- 日記
昨日寒かった。
急に冷え込んだのかと思って、家に帰って奥さんに
寒いなあ
て行ったら、
はあ???
て言われた。
寒いの僕だけぇ???
と思ってたら、今日もっと寒くなった。悪寒。
朝熱計ったら37.8度。
寒い。
研究室に来ることになっていた学生にメールを出して延期してもらう。
それでも絶対休めない会議が1個。
終了後熱計ったら38.5度。
これにてダウンです。
家に帰って御飯を食べて、ホテルに避難。
ここでほんとうにダウンです。
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武道部新入生歓迎演武会
恒例の新歓行事。
新入生歓迎演武会。
武道部が次の段階に移行すべく、私は新歓も演武会もノータッチである。部長の谷君が中心となり、前部長の西窪くんが細かくアドバイスしてくれているはずである。
だから私は今日の演武会も参加しなかった。しかし普段の稽古を少し見ているのでだいたいの出来は想像できる。ここのところかなりよくなってきている部員が結構いるので、彼らが力を発揮してくたはずである。
演武会の成果もあって、新入部員が3人入ったという。
武道部員の一員としてどんどん成長してほしい。
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こういう日も…
昨日今日と、こういう日もあるのね、という日だった。
いろんな方からアクセスがあった。
予期せぬ方から、村上春樹の『1Q84』についてお電話があった。前に書いたブログを見て頂いたようだ。
返信を待っていたメールに、どんどん返信がきた。
渡辺先生のところで実験をやっていた沼津高専の卒業生が研究室を訪ねてくれた。3人でやってきたが、屈託のない明るい学生さんで話していて楽しかった。
武道部の稽古に、新入生が見学に来てくれた。1人は入部したらしい。
武道部の今年の演武会のポスター第1稿が出来てきた。いつもながらさすがプロである。完成が楽しみである。
着任以来開店休業状態になっていた博士後期課程の授業を受講したいという学生が、2人もやってきた。それぞればらばらに。授業は明日。博士後期課程の学生の授業は初めてである。
2人の先生に用事があったのだが、2人とも偶然いいタイミングで会えた(これはしばしばあるけど)。
5系に人事交流で来られた先生の歓迎昼食会があった。ここでも面白いお話が聞けた。
他にも細かいことがあったけれども、「アクセス」の多い日だった。
そういう流れの二日間だった。
こういう流れに乗れているときはとても気持ちがいい。
そのお陰で、毎朝淹れているit珈琲もいい。
もう少しで調うと思う。
あとは原稿書きが調えば……。完璧である。
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日用心法鈔
『日用心法鈔』(文政10年)の冒頭にこうある。
世をくらすに三つの大事あり。勤めと正直と慎みと也。勤め働く事は人間第一の宝なり。
慎みをもって正直に日々のことに勤める。なんと素晴らしいことだろう。
ものごとをきちんと考えるための「哲学」。
ことばを繊細に感じるための「文学」。
人生をきちんと生きるための「心法」。
これらを小学校のカリキュラムにいれてほしい。
どれもその一部が、少し変形した形で入っているといえば入っている。しかし私は子どもたちに真正面からそれを身に付けてほしいのである。
ところで現代社会を生きる「三つの大事」とは何か?
グローバリゼーション? イノベーション? 効率主義?
そんなぁ……。
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中森研究室初新勧コンパ
7日夜。
中森研究室の初めての新勧コンパ。
再編によって建築・都市システム学系の兼務となり、今年度学生が来ることになった。そこで新勧コンパである。
乾杯~
ここの桃ジュースは最高です
何やら語ってますね。
3人とも期待してますよ~
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東海近世文学会4月例会(第228回)
- 2012-04-07 (土)
- 日記
7日。
朝、武道部の稽古。
健康診断の合間をぬって、新入生の見学者が1名くる。
1時間ほど解説して11時に出る。
久しぶりに東海近世文学会の例会へ。
熱田神宮
今日は研究発表が3本。
・服部直子氏「知足と露川、羽州米沢の俳人柳舟」
・寺島徹氏「許六系『白砂人集』の諸本について――安永期における蕉風伝書の出版を視座に――」
・母利司朗氏「江戸版の版下について」
興味深いテーマばかりで勉強になった。特に服部氏のご発表は、私の考えている俳諧史のイメージと合う内容でとても有り難かった。寺島氏のご発表は、前から気になっていた『白砂人集』についてのもので、今後の展開に期待したい。母利氏のご発表は、私の全く知らない分野のことなので勉強になった。
総会を途中で退席して、豊橋に戻る。
夜は中森研究室初の新勧コンパである。
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之を如何せん、之を如何せん
最近また小林秀雄の講演を繰り返し聞いている。その中で『論語』の次の一節に触れている。
子曰わく、之れを如何、之れを如何と曰わざる者は、吾れ之れを如何ともする未(な)きのみ。(『論語 中』210頁 中国古典選4 朝日新聞社より)。
引用の出典は「徂徠は「如之何、如之何」とは、自ずから反省するのをいうのではなく、どうでしょうか、どうしましょうか、と孔子に問いかける言葉であるとするが、そう限定する必要はあるまい」(210頁)と解説するが、小林は自問自答の重要さを説いている中でこの一節を引用している。しかしそんなことはどうでもいいことである。
自問自答せず師匠に質問ばかりするなどということはあり得ないからである。もしそんな弟子がいたら、そのような弟子こそ「吾れ之れを如何ともする未(な)きのみ」である。
静かに自分に問いかけるのも自問自答。
ああでもない、こうでもない、ともがき苦しむ。これも自問自答。
西岡常一棟梁もこの自問自答の重要性を説いておられる。
学びの基本は自問自答である。
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まぐれ
一昨日の天橋立のカモメたちの写真について、ある方にアドバイスを求めたら、
ええよ、なかなか。まあマグレだと思いますが。そのマグレが重なって実力になる。
というお言葉をいただいた。
確かにそうだ。
何かが出来るようになるためには、ある一線を超えなければならない。逆上がりでも、自転車乗りでも武道の技でも。もうちょっとのとこまではいくがなかなかその紙一重が超えられない。そういう経験を重ねているうちに、あるときマグレで超えてしまうことがある。なぜか超えてしまった、という瞬間があるのである。理由は分からないし、もう一度やれと言われてもできない。自分ではどうやったのか分からない。しかし確かにできた。
そういう経験がある。マグレでもなんでも、一回超えてしまえば勝ちである。身体が覚えているからだ。二度目のマグレはそう遠くない未来にやってくる。
ということは、大切なのは、ある一線を超えるコツを知ることよりも、いつマグレが起こってもおかしくないぎりぎりのところまでいく努力を続けて、マグレを待つことである。そうすればマグレは向こうからやってくるのである。
もっとも私の写真は、そういう努力の末のマグレではなく、ほんとうの単なるマグレに過ぎないのだけれど。でも、それでもそういうマグレを重ねてゆけば実力になってゆくはずである。
これからもバシバシ撮影することとしよう。
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入学式
- 2012-04-04 (水)
- 日記
4日。
今日は本学の入学式。
しかし入学式は学外のホールでやるので、学内は閑散としている。
明日から希望と不安を抱いた新入生たちがやってくる。
思い切りやってほしい。
期待してますよ~。
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