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日記 アーカイブ

恒例のお出かけ

 今年はまず平城宮跡、朱雀門へ行く。子供のころはなかったので、間近で見るのは初めてである。その後、平城宮跡をぶらぶら歩く。子供の頃はよく野球やら凧揚げに来たが、今は禁止されているのかしらん、誰もやっていない。
 そういえばあれは4年生くらいだったか、野球をしに来た時、ある友達が帰りのバス代がないと言い出した。僕も他のものも、そいつに貸してやるお金は持っていたが、つい数日前に担任の先生が、

 友達同士で絶対お金の貸し借りをしてはいけません。

とおっしゃったばかりであった。真面目な私たちは彼一人残してバスに乗る訳にいかず、仕方なく全員で歩いて帰ることにした。小学生の足で何時間かかったか、もう覚えていない。しかし最初の友達の家に着いた時には真っ暗だった。そうして、親がたくさん集まっていた。子供たちが野球に行ったまま帰ってこないので、大騒ぎになっていたのである。
 事情を説明して怒られた。

 時と場合によるでしょ!
 
 こうして私たちは臨機応変ということを学んだのである。歩きながらそんなことを思い出して、娘に話した。

 その後は法隆寺。この前見逃した、iセンターの西岡棟梁の道具を初めて見た。
 いやもうただただ感動である。中でも鑿(のみ)と金づちに驚いた。まるで生きた手のようである。これを手にすれば、たちどころに手にくっつくのではないか、と思える。小川さんが、

 西岡統領の道具は今でも身構えている。

とおっしゃっていたが、まさしくそんな感じだ。すばらしい姿である。

 どうや、すごい姿やろ。店に売ってるのと全然ちゃうやろ?
 ふーん。全然分からへん。
 何?このすごさが分からんのか?
 そら店のと違うのは分かるけど、分からん。
 それが分かれば十分や。

 素人が偉そうに娘に語った。
 その後お参りして、匠の町、西里へ。菊池さんが初めて西岡棟梁の家に行った時のことを思い出しながら歩いていると、ドキドキしてくる。
 藤ノ木古墳を見て駐車場へ戻る。
 それから明日香の石舞台へ寄って帰った。

年始のご挨拶

 明けましておめでとうございます。昨年はこのブログを読んで下さりありがとうございました。
 今年もよろしくお願いします。

アイス交換して

 信じられない光景を見た。
 アイスクリーム屋さんでお金を払おうとしていたとき、後ろから別の店員さんに話し掛ける声が聞こえた。

(客)これ交換してくれん?
(店)あっ、落とされましたか?
(客)いや、こいつがこっっちの茶色いやつの方がええ言うもんで。

 「こいつ」とは小学生1、2年生くらいの子ども。喋ってるのはお祖父さんか、お父さんか微妙なところである(一応お父さんということにしておく)。

(店)チョコですか?
(客)うん。

 要するに、さっきアイスを買って行った(ちなみにシングル・コーン)のだが、席に戻ったところ、その男の子が

 やっぱ茶色いのがいい

と言ったのだろう。そこで交換してくれと言ってきたのである。
 まだ口をつけていないので大丈夫だと思ったのだろうか?
 もちろん返されたものを元に戻せないし、別の客に出せる訳がない。案の定、店員さんは受け取るやいなやごみ箱に捨てた。その背中は、

 あなたの理不尽な申し出によって、私はこれを捨てないといけないんですよ

と主張しているようでもあり、単にぶっきらぼうに、対応マニュアルに従っただけのようでもあった。いずれにせよこちらを振り返った店員さんは、元のにこやかな笑顔でチョコアイスを渡した。

 このお父さんは、自分の行動によって、子どもに何を教えたのだろうか?もちろん教育的な意図はなかったのだろうが、良かれあしかれ、結果的に親の言動はいつでも子どもに何かを教えてしまうことを知らない訳ではあるまい。

 それはそうと、一度誰かが買ってしまえば、返品しても別の客に出せないのが分かっているものを、どうして口を付けていないという理由で交換できると考えるのだろうか?

 おそらくその子は、どちらにしようか決めかねていたのだろう。ぐにゅぐにゅ口ごもっている間に父親の勢いに押されたのかもしれない。あるいはそれが欲しくて注文した後で、急に、やっぱりチョコアイスが食べたくなったのかもしれない。
 しかしよく考えた結果であろうが、迷っていて勢いに押されたのであろうが、急に気が変わったのであろうが、一度買ってしまった後ではそれは取り消せない。自分でその責任をとらなければならない。
 もうそういう価値観はなくなってしまったのか?

 今頃言ってももう遅い。それを食べなさい。

 ほとんどの親は今でもそう子どもを叱っていると信じたい。
 私は何も悪質商法に騙されて契約してしまった商品のクーリング・オフを認めるなと言っている訳ではない。あくまでアイスの味の話である。
 だが子どもにとってアイスは人生上の大問題である。一つの味を選ぶということは、その他の全ての味を捨てるということである。しかも店員さんに聞かれるまでのタイムリミット内に「決め(断定し)」なければならない。そして一度決めたら、後で気が変わろうとも、その責任をとらねばならない。子どもはこの人生上の重要な事柄を、アイスで学ぶのである。
 後で気が変わったからといって交換したり、迷ってるからといってダブルを買ってやる親は、その子が人生上の大切なことを学ぶ機会を奪っているのである。
 アイスで大切なことを学ばなかった子どもは、大人になったとき、平気でドタキャンをするかもしれない。 

 あの時はそう思ったけど、気が変わったんだから仕方ないでしょ。

おそらくこの人には、これがいかに自分の信頼を損ねる行為であるかが理解出来ない。なぜならその人にとってはドタキャンこそ「自分に正直なこと」だからである。そしてそれを「いいこと」として育ってきた。別のアイス食べたいなら無理してそれを食べなくていいよ、と。
 また、アイスで人生を学ぶことを奪われた子どもは、こんなこと言い出すかもしれない。
 結婚式当日の朝になって、

 ママ、僕やっぱ別の人がいいや。
 あら、そう。よかったわ。まだ式あげてないから大丈夫よ。

 ママ、僕二人とも好きだから、どっちか一人を選べないよ。
 いいじゃない、両方と結婚すれば、ね。

「今から行ってもいいですか?」メール

 「今日の昼休みに伺ってもよろしいですか?」というメールが武道部員から携帯に届いた。今は12時44分。本学の昼休みは12時35分からだから、既に昼休みである。つまり、今からいってもいいか? ということをメールで出してきたのである。おまけにそのメールには、「ご回答のほど、宜しくお願いいたします」と付け加えてあった。昼休みは13時35分までだから、少なくとも45分以内に返答せよ、ということである。はっきりいって無理な場合が多い。私は携帯のメールを常時チェックしている訳ではないからである。
 学生が私の研究室に来るのにアポがいる訳ではないのだから、直接来ればいいのにね。

第1回寺子屋

 方寸塾の活動の一つ、寺子屋の記念すべき第1回が開催された。

 方寸塾は武道を学ぶ塾であるが、その他の活動と違って寺子屋には実技稽古がない。講義、プレゼン、ディスカッションが中心である。私は武道を単なる格闘術ではなく、生き方であり、その人が生きる道であると考えているので、武道を修行する社会人としての生き方を学ぶ場所を作りたいと思っていたのである。
 ようやく時を得て実現した。参加者は21名(社会人14名。学生7名)。社会人は、遠くは九州、四国、東京、大阪などから夜行バスを駆使するなどして参加してくれた。学生は、武道部員のうちの希望者である。今回残念ながら都合がつかず、レポートのみの参加になった者も6名。この都合27名の人たちが、本気になって参加してくれた。ほんとうに嬉しい。

 そう、今回は事前にレポートを課したのである。
 課題図書7冊を読んだ上で、レポートを提出し、全員、他の人の全レポートを読んだ上で参加した。
 まずこのレポートの出来がとてもよかった。仕事でもないし、単位をもらえる訳でもないのに、非常に熱のこもったレポートが多く、読んでいてとても面白かった。中でも、バーゼルからレポートのみによる参加となった荒川夫妻のレポートは、大変深い内容だった。

 さて、いよいよ当日。今回のテーマは二つである。
 1)方寸塾の名前の意味
 2)成長の条件~修行の心構え

 「方寸塾」は芭蕉がよく使う「方寸」からとった。その意味を解説した。これについては近々ある雑誌に書く予定である。
 「成長の条件」の方は、まず私が講義した。
 最初に「こんな奴いらん」シリーズ。私たちが目指すものを説明し、逆に「こんな奴は方寸塾にはいらん」ということを、最近の例をもとに具体的に説明。これはかなりインパクトがあったようで、みんないつ自分が出てくるかドキドキしていたようだ。
 もちろん、ほとんど全員出て来たのであった。
 その後、「こん奴いらん」と言われた後に、がんばって成長した方寸塾生、3人について紹介。私からプレゼントを渡す。

 後半は、課題図書について私が解説。その後、参加者一人一人が自分のレポートについて説明した上で、ディスカッション・・・。の予定だったが、予想以上にみんなが熱く語りだしたので、予定変更。途中からフリーディスカッションにした(自分のレポートについてもっと語りたかった人も多かったと思う。ほんとうごめんなさい)。
 フリーディスカッションでも熱い議論が続く。予定時間が過ぎても全く終了する気配がない。仕方なく無理矢理終了させ、続きは懇親会で。

 予定時間から30分遅れて懇親会場へ。ここでもさらに熱く語り合った。
 いろいろ不手際もあったし、議論も途中で時間切れとなった。もやもやがまだつかみきれなかった人もいただろう。それでも第1回寺子屋は無事終了した。

 大成功だったと思う。たぶん。みんな本気で自分のことを語っていたし、他人の話も聞いていた。特に社会人のそういう姿を生で見、同じ時間と空間を共有し、その場所でディスカッションできた学生には、非常に貴重な経験となったと思う。ほんとうに「いい場」が出来ていた。

 最初に幹事から「何か一つ、必ずつかんで帰りましょう」という挨拶があったが、それぞれいろんなものをつかんでくれたと思う。感想文がとても楽しみである。
 もちろん私も大切なことをつかんだ(参加したみなさん、私も感想文アップしますからね)。

 上にも書いたが、社会人の仕事に直結する話でもなければ、学生の単位になるゼミでもない。ただ自分の成長を求めて、私を入れた23人が、一日中熱く語り合った。そしてある者は帰宅が夜中を過ぎ、ある者は翌朝に帰宅した。そしてほぼ全員が月曜日、仕事に行き、大学に行ったのである。
 ほとんど奇跡的なことだと思う。ほんとうに嬉しかった。
 第2回もぜひやりたい。1terakoya.jpg

井上陽水コンサート

 珍しく家族で出かける。今日は井上陽水のコンサートである。むすめは別にファンでもなんでもないが、1人で留守番をするのが嫌なのでついてくる。

 よかったです。

 終わってから食事をして豊橋駅についたら、もうバスがなかったので、私と娘は歩いて家に帰ることにした。「寒いからいやや」ということで妻は渥美線で。いつものように家族はバラバラになった。が、珍しく私と娘が一緒。ちょっと喜んで一緒に歩いて帰る途中、本屋さんで本を買う。レジに行くと、なんと技科大生。しかも私の授業の受講生。「おお」と言うと向こうも驚く。「あそこに、○○くんが」。振り返るとこれまた私の授業の受講生が。さすが国文学の受講生である。技科大生に本屋さんで会えるとは。ちょっと喜んで、また娘と一緒に歩いて家に帰った。

企画展「江戸文学の世界」と塩野米松氏講演会

 三重県朝日町歴史博物館の企画展「江戸文学の世界」を見る。大変素晴らしく、充実したひとときを過ごす。それにしても個人でこれだけ集められたことは大変素晴らしい。さらに今回は出ていないものがまだまだ沢山あるというから驚きである。

 その後、いなべ市生涯学習事業「歴史と文化の講座」へ。今回は塩野米松さんの講演である。平日の19時からということで、武道部関係者は卒業生が4人、学生が2人と少人数である。
 小川さんの講演同様、塩野さんの講演も非常に面白かった。
 科学技術の最先端の工場でも、その技術の伝承は徒弟制度に近い形で行われていること、「私はいくらでも嘘をつくが、私の手は嘘をつけない」と語った竹細工のお祖母さんの話など、感銘をうける話が盛りだくさんであった。
 体を使った技術の伝承、手から手への技術の伝承の世界では、情報は経験として人間の体に蓄積されていく。だから経験や熟練ということが尊敬される。しかし、コンピュータを操る世界では、それを上手に操作できる人が必要とされ、情報は人間ではなくコンピュータに蓄積されてゆく。そういう世界では、年寄は尊敬されない。

 鏡を見て、自分に問いかけてみて下さい。
 そんな世界でいいんですか? 

 宮大工などの職人さんたちは、そういうことを私たちに語りかけているのかもしれませんね、といったお話をして下さる。

 印象的だったのは、つるおかくんの、1000人の職人さんの話をお聞きになった塩野さんにとって、西岡さんや小川さんは特別な存在ですか?という質問に対する答え。

 本が売れたという意味では特別ですが、1000人それぞれ、みなさんが特別な世界を持っておられます。そういう意味ではみんな特別な存在です。その方々のほとんどは名もなき職人さんたちです。

 講演後も気さくにお話をして下さいました。
幸せな一日でした。

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靴の中から黒いものが・・・

 スリッパから靴に履き替えて、荷物を持って、研究室を出て、エレベーターまで行ってボタンを押した。靴の中に何か入っている感じがする。靴を脱いでトントントン。すると、黒いものが落ちてきて、手足をワナワナとさせている。ゴキ、死んだ。

えーっ!そんなあああ。

とりあえず処理しなければならない。部屋に戻って、紙をもって片付けようとしたまさにそのとき、

チーン

エレベーターの扉が開いた。
しゃがんだまま顔を上げる私。
無言のままこちらを見る某先生。

ゆっくり扉は閉じられた。

翌日この話をしたら、みんな近寄ってくれなくなった。

小学生からのメール

 仙台の小学生から「質問です!」というメールがきた。小学校の授業で俳句について調べていて「俳句の達人」で検索したら私の名前が出来てきた、といって質問してきたのである。そう、私は愛知県その道の達人派遣事業に「俳句の達人」として登録されているのである。
 それはさておき、何年生なのかも、どこの小学校なのかもまったく書かれていない(まさか先生じゃないよね?)。質問も非常に漠然としている。そこで、「初めての人にものを尋ねる時はきちんと自己紹介するもんですよ、また自分でどこまで調べてどこが分からないかをきちんと書かないといけませんよ」と返信したら、しばらくして返事がきた。仙台にある小学校の6年生だという。そして「礼儀正しくないところをお見せしてしまいとても申し訳ないと思っています。以後気をつけて生活したいと思います。有難うございます」と書かれていた。質問も少し変えられていた。
 そこで質問に答えた。何やら子供電話相談室みたい、と思いながら。またしばらくしてお礼の返信があった。
 ひょっとして今日は学級閉鎖かなんかで学校は休みなのか?

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学ぶということ

 尚志館の子ども(中1)がこんな質問をした。

 ある日突然、「ああこういうことだったのか!」と分かるのは何故ですか?

 尚志館では心得や論語の一節を、毎回声に出してみんなで言う。

 心得とか、それまで意味も分からずただ言ってただけだったけど、ある日突然、「ああ心得の一つめってこういう意味だったのか!」と分かったことがある。どうしてそういうことが起こるんですか?

 いつそんなことがあったの?

 うーん、3年生くらいかな。

 どうしてかは分からない。でも「学ぶ」とはそういうことだよ。そういう経験がいっぱいあるといいね。

 私が教職の授業を受けていたとき、意味が理解できない文章を暗唱させることほど意味のないことはない、そんなことをするから国語嫌いが増えるのだ、と何度も聞かされた。まず意味を理解させることが肝要だと。
 尚志館で行っているのは素読ではない。ほんの短い一節を一回みんなで声に出して言うだけである。
 でもたまにそういうのが自分の中に種として残っていて、ある日自分の経験によって、それが突然芽を出す。子どもたちの中にしっかり生きているのである。 この子は小学1年生から空手を始めた。意味がよく分からないまま心得や今月の言葉を言い、3年たって始めてその意味が分かった。そしてその経験がどういうことなのかをこれまた3年間ずっと不思議に思い続けていたのである。そうして何かの雑談のとき、ふと私に聞いてみたのである。
 どうしてそういうことがあるの?(この不思議な感覚は何なの?)

 この子は何年もの時間をかけて、ゆっくり、しっかり学んでいる。
 本当に子どもたちから学ぶことが多い、と改めて思った。

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