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日記 アーカイブ
結婚式北海道ツアー
- 2009-03-19 (木)
- 日記
札幌。
昼過到着。やや寒。小雨。昼食、二条市場。小樽散歩。ルタオにてお茶。夕食、ジンギスカン。
10時、11時半に相次いで後続組到着。閉手形と開手形の違い、三戦と転掌の関係などについて語り、はやめに寝る。
藤原正彦氏講演会
- 2009-02-21 (土)
- 日記
武道部の稽古終了後、部員十数名と、藤原正彦氏講演会「これからの日本」に行った。
『国家の品格』で述べられていたことと基本的に同じような内容であったが、藤原さんらしい歯切れのいい話が生で聞けて、とてもよかった。やはり本で読むのと、生で聞くのとは違うものである。
今回は講演会のあと尚志館の稽古があったので、感想会が開けなくて残念だったが、部員たちも面白く拝聴したようだ。
一つ残念だったのは、「これからの日本」という演題なのに、聴衆に、まさに「これからの日本」を背負う若者が少なかったことである。
「すっと、はいれる」境地
- 2009-02-11 (水)
- 日記
先日、春風亭小朝師匠がテレビでこんな話をしておられた。
人間国宝の柳家小さん師匠が、ある寄席で30分の落語をやった。ところが子どもが前を走り回って、ジュースの缶が転がって、大騒ぎだった。
小さん師匠の声は聞こえない。それなのにマイペースでずっとやってらっしゃる。そして、15分経過したあたりからだんだんその音が静かになって、20分くらいから笑いがおき始めて、25分で爆笑になって、最後は万雷の拍手で舞台を降りられた。それを見ていた小朝師匠は鳥肌がたち、「どういうことなんだ、これは」と思われた。そして師匠がお亡くなりになる直前に、お聞きになった。
(小朝師匠) どうしても聞きたいことがあるんですけど。
師匠、こういうことがあったんですけど。
(小さん師匠)ああ、あったかもしれないなあ。
(小朝師匠) 師匠、ああいう時どうなさるんですか。
師匠の声全然聞こえてなかったんですけど。
(小さん師匠)いや、そんなのは簡単なんだよ、話に入っちゃ
えばいいんだから。
「つまり、目の前にいる登場人物しか見えてない。だから何にも音が聞こえない。誰が騒いでいようが、何をしてようが見えない。すっと話に入って、30分喋って、降りてきた。結果的にお客さんがついてきて、万雷の拍手だった。」(小朝師匠)というのである。
「だからねえ、凄いですねえ」と小朝師匠はおっしゃったが、ほんとうに凄いことだと思う。これぞ私がいつも主張している武道の心であり、芸事の境地なのである。
最良の結果を得るために、結果ではなく、目の前のプロセスに集中する。
これが武道の思想であり、芸道の思想である。そして、一つ前のエントリーで書いたように、優れたアスリートの思考法なのである。言い換えれば、これは、
「結果」を「目的」とせず、あくまで「結果」と思える強靱な思考力
である。小さん師匠も、笑わせようとせず、話に入り込むことに集中した。小朝師匠がおっしゃったように「結果的に」お客さんがついてきて万雷の拍手となった。もちろん笑わせるために落語をするのであるが、落語の最中はそれを目的としないというのである。
最良の結果を得るために結果を忘れる。
武道に見られるこの逆説の思想を、私は一般化して「逆説の武道」とよんでいるが、この逆説を信じることはなかなか難しい。実行するとなるとなおさらである。だがもう一度、平井伯昌コーチが北島康介選手にしたアドバイスを思い出そう。
勇気をもって、ゆっくり行け
金メダルを取りたければ、早く泳ぎたければ、ゆっくり泳げ。そして北島選手は、見事に実践した。この常識外れの逆説こそ、論理的思考と現実の間に横たわる逆説なのである。
武道においては、この心を形稽古で養う。形は様式美のためにやるものではない。もちろん他にも大切なことはあるが、形稽古の意味の一つは、この「すっと、はいれる」境地に立てる心を養うことにある。
私もいつかその境地に行けるのだろうか?
教室に行き、すっと話に入り、だんだん学生が集中してきて、最後は万雷の拍手で教室を出て行く。
そんな日がいつか来ればいいのになあ、と思う。
そのためには、三戦、三戦、なのである。
補足)三戦とは、剛柔流空手のもっとも大切な形です。
野茂さんに学ぶ
- 2009-02-08 (日)
- 日記
昨日の朝、稽古前にいつものように、モーニングを食べながら読んでいたスポーツ新聞に興味深い記事が載っていた(中日スポーツ2月7日)。
オリックスが野茂英雄テクニカルアドバイザーを招いて、投手捕手全員(2軍からも数名参加)を集めたミーティングを行ったというのである。初めに野茂さんがマウンドでの心構えなどについて話をし、その後質疑応答の時間となった。ところが、である。なんと誰一人質問せず、約10分で解散したというのである。企画したコーチは「雰囲気にのまれてしまっていた」と言ったとある。
プロの、しかも投手が雰囲気にのまれて質問できないなどということがあるのか、とちょっと思った。もし本当たとしたら、プロの世界にもそういう気質が浸透してきたということなのだろう。もちろん実際のその場の雰囲気や事情が分からないのでこのミーティングについては何とも言えないが、少し一般化して考えると、とても面白い。
というのも、「先生」と呼べる強靱な精神力でも書いたが、最近質問できない学生が増えているらしいからである。プロ野球選手を学生と一緒にしては大変失礼だが、桑田真澄さんや工藤公康さんが、よく「(若手が)聞きに来たら何でも教える」と言っているのを聞いたことがある。それを聞く度に私は、最近の若手選手は聞きに行かないということか、と思っていた。もっとも昔はどうだったかは知らない(昔は聞きに行っても「お前に教えて活躍されたら俺の給料が下がる」といって絶対教えなかった人もいたという話を読んだことがある)。
さて、この記事を読んで率直に思ったのは、やはり「もったいないな~」ということである。何ともったいないことか。オリックスの選手はどうか知らないが、うちの学生の場合は、自分の頭の中で手を挙げない理由を見付けて、それを正当化している場合が多い。しかし私はそんな後付けの理由には興味はない。ただシンプルに「もったいない」と思うだけなのだ。チャンスは何度もあるわけではないのである。
同じチャンスは二度とない
私はこれまで何度もチャンスを逃してきた。だからそのことを学生に力説している。ミーティングのような場合、自分で考え抜いていないから質問することがない場合もあれば、聞きたいことがあるのに勇気がなくて聞けない場合もある。だから私は、授業や武道部ではそれらの能力を育てるメソッドを模索し、「武道部メソッド」にもいくつか取り入れているのである。
この記事でもう一つ面白かったのは、担当のコーチが、今回の雰囲気を見て、再度の開催に否定的だった一方、野茂さんは「彼らには絶対に伝わっています」と断言したと報じていることだ。私はここに野茂さんの凄さを感じた。通常こういうことがあると、教える側の人間は、「学ぼうとする気がない」とか何とか、聞く方の心構えや能力を否定しがちである。記事のニュアンスでは、担当コーチのコメントが、「こんなんやったら何回やっても同じや」といったニュアンスを伝えている。
だが、野茂さんは、「絶対に伝わっています」と断言している。私は。自分はここまで人間というものを信じているだろうか、と反省した。
その後、昨夜であるが、このエントリーを書こうと思っていると、さらに興味深い記事を見付けた。
一つは、野茂さんの指導が「あまり参考にならない」と発言した選手のことである(Yahoo!ニュース、2月7日17時0分配信 夕刊フジ)。
「野茂さんからフォークの握りを教えてもらったけど、このタマを投げる人間はそのような握りは誰でも知っているし、試してもいる。その中で、自分に最も適した握りを使う。はっきり言わせてもらえば、野茂流がすべて正解とはいえないでしょうね」(某投手)
誰がどのようなニュアンスで、どのような意図を持って言ったのかなどは分からない。だがやはりこのような思考法に私はよく出会う。そしてこの時もやはり「もったいないなあ~」と思う。もしこのことを本気で信じていたのだとしたら、その選手は超一流にはなれないだろうなあと思うからだ。
「野茂流がすべて正解とはいえない」。当たり前である。そして教えている野茂さんがそのことを一番よく知っているはずだ。そして「自分に最も適した」、その人流の個性的なやり方を身に付けさせるためには、自分のやり方を徹底的に教える他ないということも。
この考え方は、現代の教育学ではあまり評判がよくないが、武道や芸事、つまり技術の伝承の世界では当たり前のことである。これについてはいずれきちんと書きたい。
ともあれ、
「誰でも知っているし、試している」握りで、あれだけのフォークボールを投げ、活躍できた秘密をこそ私は知りたいのである。
もし、誰も知らない秘密の握りがあり、その握りをすれば誰でも野茂さんと同じフォークが投げられるというのであれば、そんなものに私は興味がない。
そもそも野茂さんに教えてもらった握り方を既に知っていた場合、「そんなこと知ってる」と思ってしまっては、もう次がない。「自分は知っているし、試したこともあるのに、なぜ自分は野茂さんのようなフォークが投げられないのか」と考えるほうが自然だろう。そしてさらに指導してもらいたければ、言われた握りで目の前で投げて見せれば、次のアドバイスに繋がるはずだ。その中からこそ、自分流が見つかると思うのである。
教えられる側が自分から門を閉じたらそこで指導は終わりである。そしてそのことを叱ってくれるのは、親と小学校、せいぜい中学校の先生までであろう。門を閉じられた指導者は、「また望まれればいつでも来ますよ」と心の中で呟いて静かに去ってゆくのみである。
もちろん野茂さんが自分にとって不必要な指導者であると本気で思うなら、指導を拒否するべきである(くどいようだが、この記事の選手がどう考えているかは分からない)。
もう一つの興味深い記事は、野茂さんがその翌日、特別フリー打撃に登板したというものだ(nikkansports.com)。ミーティングでは自分の思いが伝わったと信じ、その翌日には自分の投球で自分のメッセージを伝える。もちろん他にも自分にできることを淡々とこなしているのである。
実をいうと野球選手でもない私が、現役時代の野茂さんから一番学んだのはこの点なのだ。野茂さんは、自分のパフォーマンスを、「打たれたから悪い」、「抑えたから調子がいい」などと結果で判断せず、質で判断していた。「今日は打たれたけど内容は悪くなかったから大丈夫」などというコメントを何度も聞いた。
自分のパフォーマンスの質を自問自答によって問い、それに基づいて今やるべきことを判断し、淡々と、かつきちんとやる。
これは私が知っている超一流のアスリートに共通するシンプルな思考法である。イチロー選手も同じ思考法をもっている。アスリートとは言わないと思うが、将棋の大山康晴名人も同じ思考法を講演で述べておられた。もちろんこのような思考法は誰でも知っているのだろう。だが私や学生にとっては、その実践はとても難しいのである。だから、私は、この
だれでも知っているこの思考法を、どうやったら実践できるのか
を考えている。今回の野茂さんに関するいくつかの報道も、そんな野茂さんの方法が垣間見られて、とても興味深かったのである。
補足)
新聞記事を拠り所にして何かを述べることはかなり難しい。どのくらい信憑性があるのか、ニュアンスがどうだったのか、真意はどうだったのか、発言の意図は何だったのか(わざと嘘をつくこともいくらでもある)などなど、分からないことだらけだからである。それでも敢えて書くのは、私の興味が、考え方の本質にあるのであって、具体的な事象それ自体にあるのではないからである。極端にいうと、ミーティングの話がプロ野球球団であろうと、どこかの大学のサークルの話であろうとかまわない。もちろん誤解があったり、不足の事柄があった場合はぜひご教示願いたいと思っている。
人は自分のレベル以上のものは見えない。だが……。
- 2009-02-03 (火)
- 日記
人は自分のレベル以上のものは見えない。だが、自分のレベル以上の存在を感じることはできる。だから上達できるのだと思う。
先週の水曜日の武道部の稽古で、紫帯(6級)が皆の前で形の一部をやった(撃砕第一)。
どこが間違っているか分かりますか?
分かる人、手を挙げて下さい。
手が挙がったのは、緑帯(5級)以上であった。
答えは「途中で引き手が緩む」。
突きの時、引き手をきちんと引いて、引き手から神経を抜かないことは、入部した時から、基本中の基本として教えられている。だからおそらく全員が、引き手が大切であることは知っている。だが、実際に目の前で、それが疎かにされている動作を見ても、見えないのである。
この、「知っている」と「見える」の間に非常に大きい壁がある。見えなければ、もうすぐ入ってくる新入部員の指導は出来ないし、何より、自分の動きのチェックが出来ない。自分の動きのチェックが自分でできなければ、上達はままならない。だから武道においては、見える人に見てもらうことが大切なのである。
さて、「人は自分のレベル以上のものは見えない」のだが、一方で、人は自分のレベル以上のものを感じることができる。研究でも、武道でも、自分には理解できないが、「何か凄いなあ」という印象だけが残ることがある。もっと凄いのになると、凄いのかどうかも分からないが、ただただ強烈な印象だけが残る。この感度の鈍い人は、研究にも武道にも向かない。もっとも武道は、稽古によってまさしくこの感度を上げるので、最初のうちは鈍くても大丈夫である(研究も修業を積めば大丈夫でしょう)。
例えば武道でいうと、私にも師匠の技の印象がいくつか残っていて、それを見た5年後とか10年後に、「これか!」ということがよくある。多分勝手な思い込みに過ぎないのだが、それでも自分の中では、
あの時のあれはこれか!
なのである。この時は、とても楽しく気持ちがいいもんである。
おそらく、稽古とは、見えるものをしっかりと見て、見えないものを敏感に感じる。そしてそれを稽古によって見えるようにする。その繰り返しなのだろう。
何もなく、全く手探りに稽古することは難しい。だが、その境地の存在を一度見せて貰えば、そこを目指すことがうんと楽になる。楽になると言っても、何十年もかかるのだが、それでも一度も見たことがない境地に行くのと、一度でも見たことのある境地を目指すのとでは、雲泥の差である。
武道家が他人に技を見せないのもそのためだ。決して、「こうきたらこう受けて、このように攻撃する」などという、技の段取りを知られないためではない。技を見せるということは、その技を可能にしている境地を見せるということであり、一度見せてしまった以上、そこにはどんどん他人がやってくるということである。秘境の温泉と一緒である。
だが、一個人としてではなく、技術の伝承ということでいうと、そうやって技術は発展してゆくのだ。だから、弟子には技を見せる。そうすると、弟子は必ずそこまでやってくる。そうしてその中の優れた弟子は、師匠を越え、さらに新しい境地に到達するのである。
武道的には間違っているが、私は自分を成長させるためには、これが一番いいのではないかと思っている。つまり、自分のMAXの技をいつでも見せるのである。そして弟子がそこまで来る前に、次のレベルに逃げる。逃げ遅れて追いつかれたら、終わりというゲームである。いつまで続くか分からないが、このプレッシャーはとても楽しい。
だがこんなことを楽しんでいる私は、武術家ではありえないのだと思う。もっとも、私の今いる境地など、誰でも一度見れば、あるいは見なくても来られてしまう、言ってみれば、団体旅行のバスで行ける程度の温泉に過ぎないのだから、ほんとうは見せるも見せないも何もないのである。
父の命日
- 2009-01-22 (木)
- 日記
今日は父の命日である。
小学生くらいまでは、あちこち遊びに連れて行ってくれた。「子どもだけで野球をやりに行ってはいけません」と先生に言われたら、一緒に行き、私たちが野球をするのをずっと見守っていてくれた。月食があると言えば、夜中に起きて車で望遠鏡やカメラを運んでくれた。
だがいつからか、私と父は、ちょっと不思議な関係になった。お互いとてもシャイだったからだと思うが、ほとんど直接しゃべらなくなった。必要最低限のことは、母親を通して伝え合った。もちろんお互いに嫌っていた訳ではない。とても好きだった。
普通は思春期が過ぎればそういうこともなくなるのだろうが、私はいつまでも大人になりきれなくて、その奇妙な関係はずっと続くことになった。
2005年の正月もいつものように帰省していた。年内から具合が悪かったらしいが、私にはその素振りすら見せず、母にも口止めをしていたようだ。
妻の実家を経由して、1月4日に家に戻ったら、留守電が入っていた。今日父が入院したと。
翌日病院に行った。
今日は仕事は休みか?
休みや。
しばらくして、
また来るわな。
ああ
かわした会話はそれだけだった。だがなぜか帰り際、私は無意識に手を差し出した。父も黙って握手した。なぜ自分が手を差し出したのか、今もって分からない。ただその握手は、私たちの40年間の関係の全てを溶かし込んだ。
帰りの車の中で、止めどもなく涙が流れた。
父は、私だけでなく、家族や自分の周りの人のために生きた。
自分の母親が寝たきりになった時も、8年間介護に通った。毎日のように家族の送り迎えもした。偏屈で大酒飲みであったが、人のために生きた。
父の引き際は見事であった。
自分と母の部屋の絨毯を新しいものに交換し、身の回りのものを全て整理してから、
今までずっと人に尽くしてきた。もうそろそろ休憩させてもろてもええやろ。
と母に言って入院し、そのまま他界した。
父は、見ず知らずの多くの人を救った訳ではない。ただ、自分の仕事を定年まで勤め上げ、家族を支え、家族や自分の手の届く範囲の人の世話をしただけである。
孫のセンター試験の日が過ぎるのを待って、私が病院に行ける日を待って、1月22日午前4時55分、家族に見守られながら息を引き取った。
大切な人の死の意味は、直後ではなく、後からじわじわと自分の中に浸透してくるものだということを私は知った。
そしてもう一つ、母親が父親をとても愛していたということを、私は知ったのである。
恐るべし、フジヤマノトビウオ
- 2009-01-18 (日)
- 日記
だいぶ前のことになるが、書いておきたい。
ある日、喫茶店でお茶を飲みながらスポーツ新聞を見ていたら、フジヤマノトビウオ、古橋廣之進氏(日本水泳連盟名誉会長)のインタビュー記事が載っていた。
長距離なんて頑張り、我慢比べの競争ですから。マラソンだってそうですよ。我慢して我慢してやれば、勝てるんですよ。
今どき珍しい精神論だなあと思いながら、読み進める。
自分の経験から言うと、一番泳ぐときは1日3万メートルですよ。それぐらい泳がないと、体ができてこない。魚になるまで泳げ、というのをひとつのモットーにしてね。
8時間か9時間ですよ。よく言うんだけど、僕が選手時代に泳いだ距離は6万キロ。地球1周半ですよね。それぐらい泳がないと、本当の水泳選手にはならねえよ、と。今も(日本)の自由形が弱いのは、みんな泳がないし、泳げないんですよ。精神的に弱くてね。
フジヤマノトビウオは一日3万メートル泳いだのだと知って、少し驚いた。また、今の選手は、精神的に弱くてそれだけ泳げないと、連盟の名誉会長がおっしゃっておられることにも、さすがに少し驚いた。しかしそれくらいなら特に何ということもない。
だが、私は次の発言を読んで、びっくり仰天したのである。
今の若い人たちは、泳がないからね。体だって魚みたいにならないですよ。タオル使って体ふいているようじゃあね。体をブルッと振ったら水がはじかれ、落ちちゃうようにならないと。水滴がポタポタたれるようじゃあダメなんですよ。
先に軽く読み流した「魚になるまで泳げ」というのは、こういう意味だったのだ。
現在どのくらいの水泳選手が「体をブルッと振ったら水がはじかれ」る身体を持っておられるのか、そしてこの身体が現代の水泳競技にどのように有効なのか、私は存じ上げない。
ただ、武道を修業する身として、フジヤマノトビウオの身体は驚異的という他ない。
もっとも、現代の武道家でこのような身体を持っている人がどのくらいいるのかも私は存じ上げない。沢山いるのかもしれないし、ほとんどいないのかもしれない。そんなことはどっちでもいい。
ただただ私は、それほど隅々にまで神経の行き届いた、柔らかい身体を私も持ちたいと思うだけだ。もっとも、そのために一日3万メートル泳ぐ根性は私にはないだろう。
やっぱり精神的に弱いのだ……
ということは、あながち前半の精神論も、古いとばかりは言ってられないのかもね。
(引用は、スポーツ報知(2008年1月24日)より。ただし、急いで書いたメモによるので、間違いがあるかもしれません。ご指摘的があれば訂正します。)
超一さんの法則
- 2009-01-16 (金)
- 日記
私の経験では、超一流の人と三流の人は同じことを言う。
もちろん中身も説得力も根拠も何もかも違うのだが、表面上は、似たことをいうのである。
スポーツでも、ビジネスでも学問でも武道でも同じである。私はこれを「超一さんの法則」(ちょういちさんの法則)と呼んでいる。
そして私は超一流にはなれないので、三流のままでいたいと思う。なぜなら、超一さんチームと、一二流チームは、目指すところも価値観も違うと思うからである。
年賀状
- 2009-01-04 (日)
- 日記
年賀状は楽しいですね。毎年郵便受けを開けるのがとても楽しみです。
一枚一枚読んでゆくのもとても幸せな時間です。僕は例年、最低3回は読みます。自分が書くときは時間に追われ、きちんと書ききれなくて出してしまいますが、頂いた年賀状を読むときは、ゆっくり味わいながら読みます。そして来年こそは自分ももっとゆっくりきちんと書こう、と思うのです。もちろん毎年同じことの繰り返しですけど。
ところで、武道部関係者で年賀状を下さった方、どうもありがとうございました。原則として武道部関係者には、頂いてから返事を書くことにしていますので、楽しみに待っていて下さいね。
頂いてから書くことにしているのは、「返事」を書くためです。
自分の現状、今後の目標などを「僕宛」に書いてくれている方には、それについての僕なりの考えを「その方宛」に書きますし、一般的なご挨拶だけを書いている方には、僕も一般的なご挨拶を申し上げることにしています。
その人がくれたメッセージ(こころ)にきちんと反応することを意識して「返事」を書いていますので、時間がかかる場合もあります。だから返事が届くまでちょっと待って下さいね。
普段口では言いにくいことも、改まった年賀状だと書けて、いいですね。葉書はスペースが限られているので、長々と書けないところも更にいい。よく練って、短い文章で大切な思いを伝えてくれている年賀状を頂くと、とても嬉しくなります。
頑張って返事書きますよ~
あけましておめでとうございます
- 2009-01-01 (木)
- 日記
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
今日は、何年かぶりに薬師寺に初詣。ここ数年、西岡常一さんの本を学生と読み、高田好胤さんのCDを何十回と聞いているので、とても神妙な気持ちになる。
素人のくせに、西塔の屋根の反りに感動し、金堂の美しさにしばし見とれて、幸福なときを過ごす。
さらに幸運なことに、本日から特別公開の、国宝「吉祥天女画像」も拝むことができ、これまた幸運なことに、安田暎胤管主の御法話も拝聴することができた。
また、時々雨(みぞれ?)が降ったが、全て建物の中にいるときで、濡れずにすみ、これも幸運と喜んだ。
でもとても寒かったです。
改修中の唐招提寺にも参拝して、帰りました。
改めまして、今年もよろしくお願いします。
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