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日記 アーカイブ

教育の質

ちーやんの先輩(高校2年生)の話。

その先輩、イギリスの高校の授業を見学し、一瞬でその質の高さに驚いたという。「この授業の質は高い」と感じたのだそうだ。教育の質って、そういうものだと思う。

その先輩が私の授業を受けたら、その質について、どのように感じるだろうか。我が身を省みて反省。

しかし今の私に反省などしている暇はない。「教育の質」保証のための書類を作成せねばならないからだ。

シラバス通り進行した。

報告書のその項目を書くために、シラバスを睨みながら、記憶を辿る。

再編によって3学期制から2学期制になって、授業科目数が減った。だから少しだけ書類が減った。少しだけ嬉しい。

あと少しで報告書が出来上がる。
がんばろう。

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お風呂に浮かべて……

ちーやんが無事帰ってきました。

かわいいアヒルかってきたよ、とお土産をくれました。

もう、かわいくて、かわいくて。

ところでこれ何するもの??

お風呂に浮かべて遊ぶんやん。

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中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』

中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』を読む。
この中に東京の電話や水道に関する記事が出てくる。

まずは水道。

東京市が埋設鉄管による上水道の工事に着手したのは明治二四年だという。神田駿河台の正教会構内全体にそれが引かれたのは、明治三七年頃と考えられる。同年二月四日のニコライ日記にこうある。「きょう都市水道から女学校へ水道を引いた。(略)。」東京市全体に上水道網がゆきわたったのは明治四一年である。138頁

次に電話。

正教会に電話がついたのは日露戦争開戦直後の、明治三七年二月二三日である。139頁

次は電燈。

明治四三年三月二六日の日記に、「今晩から神学校に灯油(ケロシン)ランプに代わって電燈がついた。生徒たちの勉強部屋とその他の部屋すべて、そして廊下にも。……見込みでは灯油より安くあがるはずなのだが」とある。139頁

現代でも「新しい機種に変えた方が電気代が安いですよ」と言われるが、この時代もやはり、「電燈にした方が安くなりますよ」と言っていたのだろうか。ほんとうに安くなったのだろうか。

ちなみに、この前岸田吟香の展示のときもらってきた「新修 豊田市史だより」第11号(平成25年1月)によると、「矢作川筋で最初の発電所は、明治30年(1897)7月に巴川支流の群界川で発電を開始した岡崎電灯ぼ岩津発電所(五二キロワット)」だそうだ。これが中部地方で最初に成功した水力発電所だそうだ。「電気は、二〇〇〇ボルトの電線路で岡崎の町まで送られ、豊田地域への供給はありませんでした」。「松平村に豊田地区最初の電気」がついたのは三年後の明治33年。「それから十年余り過ぎた明治四十四年三月に、岡崎電灯は足助の山奥、巴川支流の東大見発電所を建設します。(略)まず電気が点いたのが、東大見発電所に近い足助町でした」。これが明治44年10月。「二か月半遅れて挙母町に電気が点ります」。以下、続く。

私はこういう細かい話が好きだ。
昔は全然興味がなかったけど……。

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代車はいい車を

3月15日は愛車Poloくんの点検。
代わりに彼女が来てくれました。

ちょっと乗りましたが、いいですねぇ〜

赤がまたいい。
車内もいい。

私は代車にへんな車をもってくるディーラーを信用しない。なぜなら代車って、そのメーカーの車を持ってくるんだから、
ちょっとガタがきているような車をもってきてどうすんねん。一度乗ったらその車が欲しくなるような車を持ってきてほしいのである。といってもほんとうにほしくなったら困るけど。

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鬼・オニ・ONI展

豊橋市美術博物館特別展「鬼・オニ・ONI展」に行く。

たくさんの「おに」が集められていて見応えがあった。それにしても日本の「おに」は不思議な存在である。

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童子之輩にも読なんことを欲すれハ

図録解説によると一昨日展示を見てきた岸田吟香が関わった『海外新聞』の第二号にこうある。

童子之輩にも読なんことを欲すれハ文章之雅俗は問わずして

子どもにも読んで欲しいと思っていたのである。また『もしほ草』でも、新聞が普及しないのは「これを編集する人のみづから学者ぶりて、むづかしき志那文字まじりのわからぬ文を用ゐる」からだと述べている。

本当の力がない者に限って、難しく言いたがるものなのだろう。

吟香の苦労とは比ぶべくもないが、私も少しばかり抵抗したことがある。院生の頃から、学術論文も平易な文章で書くべきだと主張し、そうしてきたのである。もちろん最初の頃は、お前の書く論文は「論文の文章」ではないと大バッシングを受けた。
今となっては懐かしい思い出である。

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友誼会

今年は同じ総合教育院の方が司会をされるので、大学の友誼会なるものの懇親会にゆく。
楽しく何人かの方とお話できた。
しかし、ほんとうは私はこの立食パーティーがとても苦手である。
だいぶ慣れたけれども、やはり苦手である。

だが行ってよかった。
それは、ある方からある相談を受けたからである。
ほんの少しの会話であったが、お互いの気持ちが通じたように思う。

ほんとうに行ってよかった。

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特別展「明治の傑人岸田吟香~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~」

3月10日

平成24年度豊田市郷土資料館特別展
明治の傑人 岸田吟香 ~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~
を見に行く。

巷では、卵かけご飯を広めた人として有名らしいが、私は恥ずかしながら、この傑人のことを全く知らなかった。不明を恥じるのみである。
いや、ほんとうに恥ずかしい。日本の近代化は、こうい傑人たちによって成し遂げられた。まだまだ知らない傑人が大勢いる。もっと勉強したい。素直にそう思った。

それにしてもこの吟香、知ればしるほど傑人であった。

図録も充実しており、ほんとうに立派な展示だった。
ちょっと無理したけど、行ってよかった。

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大往生

3月9日。
今日は武道部、尚志館の昇級審査。
だが、急遽そちらは絵実子さんに任せて私は義理の祖母の葬儀に行く。
昔の風習を強く残している地方にお住まいだったので、いろいろ私には分からないことが多かった。
が、多くの方に愛されていたことが感じられた。
行年98歳。
所謂大往生であった。

心よりご冥福をお祈りします。

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五体治療院の仲良し

6日、五体治療院に行く。


仲良しの2人


部屋の中で星を眺めているようです。

平和な五体でした。

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