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2012-03
広島2ー続
- 2012-03-21 (水)
- 日記
20日。広島2日めの続き。
厳島神社
鳥居
夕方ホテルに到着。
夕食後、ナイトクルージング。
船で厳島神社へ。
昼間はここまで歩いて来たのに…。
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広島2
- 2012-03-20 (火)
- 日記
家族旅行2日め。
昨日見られなかったビデオを見たいと娘が言ったので、午前中は再び広島原爆資料館へ。
その後は路面電車で宮島口。
厳島へ。
しか
ちょっと顔がでかい
こっちは穴がデカすぎる
それにしても、こんな顔のデカイ人いるのぉ〜???
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広島1
- 2012-03-19 (月)
- 日記
家族旅行。
今年は広島。
うちの家族旅行の行き先は、妻か娘が決める。
今回は娘の意向が採用された模様。
福島第一原発事故もあり、原子力への関心が高まったこと、受験した高校に合格したら修学旅行で長崎に行く可能性が高いことなどから、先に広島の原爆ドームと資料館に行っておきたいと考えたようだ。ちなみに妻と私は、それぞれの小学校の修学旅行で行ったことがある。
さて、ホテルに荷物をおいて、歩いて広島平和記念資料館へ向かう。
平和の道
到着。
閉館時間まで見学。
小学生の時はよく分からなかったが、今見るといろいろな思いがこみ上げてくる。
最後の最後までいた娘も、いろいろ感じたようだ。
夕食はお好み焼きと牡蠣のバター焼き。
一日め終了。
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型特別講習会・撃砕
- 2012-03-18 (日)
- 武道部
今日は型特別講習会。今年は撃砕。
が、ほとんどエアロビクスのような稽古。
はい、ワンツー、ワンツー
てな調子です。
なんせ私たちの空手は亀仙流ですから。
今回で三回めですけど、まだ四股立から一歩前に出るところまでしか進んでません。
たぶん今年中に最後までいかないでしょう。
なんと空手の型の奥深いことか。
やればやるほど新しい発見があり、未知の部分が増えてゆく。
ほんとうに面白い。
メンバーも存分に楽しんでくれている(はず)。
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尚志館審査&歓送会
尚志館審査。
全員無事合格。
今回は全員子どもであったが、みんな確実に上手くなっている。見ていてとても嬉しかった。このままコツコツと継続して努力してほしい。
尚志館は試合にも出ないし、当然試合用の稽古もしない。始めた当初は、最近の人(特に子ども)は試合などで短期的なモチベーションを与えないと続かない、それでは道場生が集まらない、とさんざん言われた。しかし、一緒に稽古したいという人(子ども)がいれば一緒に稽古するし、1人もいなければ道場を閉じるまで、という考えを大懸絵実子館長は変えなかった。
道場生は、ただ週に1回集まって一時間半稽古するだけである。それを何年も続けている。
さて、その尚志館には、武道部員の有志が指導補助に来てくれている。そのうち、池尾くん、幸美さん、小野くんの3人が今年で大学院を修了する。そこで、歓送会が行われた。
絹さやさん
集合写真
せいろ蒸し
絵実子館長からプレゼント
知里さんから手作り熊さん人形のプレゼント
3人とも本当に一所懸命子どもたちを指導してくれた。彼(女)らがいなければ今の尚志館はない。心から感謝したい。
それと同時に、3人にとっても尚志館での経験はとても貴重なものとなったと思う。学生時代にこのような経験ができたことは、3人にとって貴重な財産となるはずである。
また来てね。
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吉本隆明さん
- 2012-03-16 (金)
- 日記
16日午前2時すぎ、吉本隆明さんがお亡くなりになった。
私は吉本さんに大きな影響を受けた世代ではないし、個人的にもそうではない。
悲しみと喪失感は大きい。
心よりご冥福をお祈り致します。
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祝!第4回ものづくり日本大賞(内閣総理大臣賞)受賞
- 2012-03-15 (木)
- 日記
「人間力」養成プロジェクト(豊橋技術科学大学高専連携教育研究プロジェクト)のメンバー、三崎幸典先生の香川高専詫間キャンパスのプロコンチームが第4回ものづくり日本大賞(内閣総理大臣賞)を受賞した。三崎先生が実施責任者を務める大学教育推進プログラムの活動の一つである。
http://www.kagawa-nct.ac.jp/topicsfile/20120221183634_1.html
三崎先生は、既に自らが率いるロボコンチームで第2回ものづくり日本大賞(内閣総理大臣賞)を受賞している。
つまり、現代GPで第2回、大学教育推進プログラムで第4回の、ものづくり日本大賞(内閣総理大臣賞)を受賞されたことになる。大変素晴らしい。
その最終報告会が3月22日(木)に予定されている。私も記念講演にお招き頂いている。
詳細はまた改めてお知らせします。
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うまくできて当たり前なんでしょうな。
- 2012-03-14 (水)
- 日記
このブログの最初期に「私の人生の書」として紹介した『木のいのち 木のこころ』(新潮文庫)での西岡常一棟梁の言葉。自省を込めて紹介しておきたい。
そうですか、小川が私に一度も褒められたことがないって言ってましたか。おじいさんも私のこと、一回も褒めてくれませんでしたな。怒るのは怒るんでっせ。口やかましい人だったですよ。しかし褒めませんでしたな。(97頁)
うまくできて当たり前なんでしょうな。……学校と違って、百点を取ったら偉いというのとは違いますのや、仕事は。百点を取るのが当たり前なんです。それと学校の先生と生徒みたいな関係とも違いますな。百点を取らせるために先生が頑張るということはないんです。
褒めて励ますというのはあるんでしょうが、褒めておだてて仕事を覚えてもらわなならないことなんて何にもないんです。嫌なら覚えんでもいいんです。仕事を覚えるのは義務教育やないんです。途中で自分はだめやなと思うて辞めていく人はいます。だめやなと思うた時点で、もうあかんのです。その代わり辞めずに、覚えが悪くても覚えようという者にはじっくりつきあいます。だがこのときも、褒めたり、おだてたりはしません。
徒弟制度なら五年の年季のうちに一人前になって、その後一年間、師匠のために働いて恩返しをしますな。早く一人前になるのは自分のためです。一人前というたら百点の仕事をこなすことですわ。それが八十点だったり、五十点ではいかんのです。一人前とはいえないんです。……仕事は結果に出るんです。「この寺は八十点の出来ですから合格です」というて一人前のお金をもらうのは間違っておりますな。そないなわけで褒めるということはないですな。(同)
「これでいいのか、間違ってないか」という気持ちをつねに持つことが大事です。
それと人間というやつは、褒められると、こんどは褒められたくて仕事をするようになります。人の目を気にして「こんなもんでどうや」とか、「いっちょう俺の腕を見せたろ」と思って造るんですな。ところがそういうふうにして造られた建物にはろくなものがないんです。
室町時代に入って道具が進歩してくると、そんな建物がぎょうさん出来てきますのや。華美に走りますな。そのために構造が犠牲になります。本来のするべきことを忘れてしまうんですな。歴史がちゃんと教えてくれてまっせ。(99頁)
そして最後にこうおっしゃっている。
職人は思い上がったら終わりです。ですから弟子を育てるときに褒めんのでしょうな。(100頁)
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頑張った私を褒めてね……
- 2012-03-13 (火)
- essay
結果よりも、頑張ることが大切である。
どうもそういう価値観が蔓延しているような気がする。
事実、小学校や中学校、高校、高専でそう言われてきたという学生もいる。
適当にやった80点より、一所懸命頑張った60点の方がエライ、という訳である。
なるほど一理ある。しかし現実には、この「理」をとらず、多くの場合、
頑張ったこと自体に意味がある。
となってしまっているように思えて仕方がない。さらにそれは、「頑張った私を認めて症候群」となる。「結果が悪かったけど、私は頑張った。その私の頑張りを認めてほしい」と。
それが、「私の頑張りを認めないのは不当だ」という自己主張となる場合はまだましであるが、自分の頑張りが十分に認められていないと感じたとき、つまりは褒めてもらえないと、多くの場合は黙って傷つく。あるいは不安になる。拗ねることもある。そしてそこに何かしらの理屈を付加して変な自己主張をするようになるのである。こうなるとやっかいである。そういう心の構えは、自分を不幸にするだけだからである。なぜならそれが変な理屈であることは、当の本人がほんとうはよく分かっているからである。
少なくとも、私が関わっている武道ともの作りにおいてはそれでは困る。
武道の最終目的は、生き延びることである。
その意味では、頑張っても頑張らなくても、生き延びられれば、どちらでもいいのだ。そして、実はいわゆる「頑張り」は、私たちの心身のパフォーマンスを逆に低下させてしまうことを武道の先人たちはよく分かっていた。だから武道においては、「頑張って」はいけない。いわゆる「頑張る」ことをせず、心身のパフォーマンスを最大化した方が、結果的に生き延びる確率が上がるからである。
稽古においても、頑張りはときとして我流に走ることとなる。きちんとした指導をうけることなく、間違った稽古をがむしゃらに頑張ったら、ろくなことにはならない。間違った方向にどんどん進んで行くくらいなら、何もしない方がましである。
もちろん武道の稽古において、「頑張った私を認めて症候群」になったら大変困ったことになることは言うまでもない。武道の技において大切なのは、出来ているか出来ていないか、つまりは結果だけだからである。
もの作りも同様である。
この家は雨漏りがするけれども、一所懸命作ったのでそれを認めて買って下さい。
とか、
このテレビは音がでないけれども、一所懸命作ったのでそれを認めて買って下さい。
と言っても、誰も買ってはくれない。
100点満点のものしか製品として出せない。プログラムなどでは後でバクが見つかることもよくあるが、しかしあらかじめバグがあることが分かっていて売り出す製品はないはずである。
誤解のないように言うと、私はもの作りにおいて、それを作った人の魂、といって悪ければ「人間力」が重要であると信じている。魂の込められたもの、人間が浮き彫りにされているものを私は愛する。しかしそれは、「頑張った私を認めて症候群」とは無縁の精神である。
私は現代において、武道を学ぶ意味の一つがここにあると考えている。武道の価値観は、現代の風潮とは逆行するものがたくさんある。しかしだからこそそこに光明があると考えるのである。
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鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言
- 2012-03-12 (月)
- 日記
昨日、映画「鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」を見に行った。
到着した頃は良い天気だった
予想以上に面白かった。
西岡棟梁、恰好言いですね。
仕事中の音が素晴らしい。あんまり気持ちよくて、うとうとする人がいたほどである(それほど気持ちいい響きだということですので誤解のないように)。
私も自己満足ではない、ほんまもんの仕事をしたい。
記念撮影
鑑賞後はいつもの如くお茶会(感想会)。
どこのカフェも満席で歩き回ったが、谷君がいい店を見つけてくれた。
二時間ほど感想会をして解散。
お店を出たら雨。
その後、数名で夕食。
最後は谷君と2人で豊橋まで帰った。
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