中森康之ブログ
男女交際が日本を救う
5月10日に開催された、東京工業大学リベラルアーツセンター設置記念講演「現代における“教養”とは」の記事が日経ビジネスONLINE紹介されている。桑子敏雄氏、上田紀行氏、池上彰氏によるものである。
これは面白い。
2012年6月11日「日本の大学に、『教養』を取り戻そう」
2012年6月19日「頭がいいけど『世間』に弱い」理系の大学生
2012年6月25日「教養を学ぶにはどうすればいい? 3教授が答えます」
無料とはいえ、会員登録しないと全文は読めないサイトなので、ここであまり内容について述べられないけれども、教養の意味と必要性が、非常に端的にわかりやすく述べられている。特に工学系の学生は必読である。
一つだけ紹介。
この中で、男子理系学生に、男女交際のススメが説かれている。全く同感である。人間の気持ちが分からない者に、いいものづくりができるはずがないからである。
もっとも私の持論は、男にとって女は永遠の謎である。決して分かることなどあり得ない。
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いのちがいちばん輝く日
今年4回めの近江八幡市へ。
ドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日」が、近江兄弟社学園のヴォーリズ平和礼拝堂で上映されたからである。
普段は入れない?ヴォーリズ平和礼拝堂に入れることだけでも嬉しいが、そこでヴォーリズ記念病院のホスピスのドキュメンタリーを見られるというのだから、行かねばならない。
人生について、いのちについて、家族について、そして医療について考えさせられるいい「ドキュメンタリー」だったと思う。患者さんの表情がどんどん変化してゆく…。一緒に行った豊川くんは、看護婦さんのドアをノックする音がとても温かい心のこもった音だった、と言っていた。
「看取る」というのは、単にいのちを見送るというだけでなく、その人の魂を受け取るということなのかもしれない、そう感じた。
秋から一般公開だそうだ。
開場まで記念撮影。
ご夫婦
こちらはお一人
さて、今回も当然昼食はあそこ。
もう常連なので、リクエストしてみた。
私はパンダ
絵実子さんはカエル
おまかせ、独り身の豊川くんにはラブラブペア
おまかせ、俊泰くんには花
庭をバックに
店内をバックに
何やら語っている私…。
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矜持を持とう!
- 2012-06-23 (土)
- 日記
日本文化論ではほぼ毎回授業後に小レポートを提出してもらっている。小レポートと言っても、感想、質問、意見などをA4一枚以内にまとめたものである。これをmoodleというシステムにアップロードしてもらっている。
ファイル形式はpdf、ファイル名も指定してある。が、このファイル名の指示をきちんと守らない小レポートが結構ある。そこで毎回のように、指示を守って正しく書くように言っている。するとこんな意見があった。
そんなに厳しくファイル名で縛るなら、初回の授業でプリントを配るべきである。
この意見が来たとき、次の授業ではこれに触れなかった。しかしやはり思い直して、その次の授業でこの意見をみなに紹介し、こう言った。
絶対こんなこと言っちゃ駄目だ!!
これは、「私はパワーポイントのスライドと口頭の説明だけでは正しくファイル名が書けない人間です」と述べているに他ならないからである。それだけではない。さらにこれは、
自分をそういう人間だとみなして下さい。
と宣言していることと同じなのである。志をもって研究を続け、技術者の道を歩んでいる大学院生がいうべきことではない。逆に、私が初回にプリントを配ったら、
この程度のこと、わざわざプリントを配らなくても分かります。私たちを馬鹿にしているのですか?
と怒るべきである。
学生のみなさん、
矜持をもとうよ!
高い志をもとう!
これからの日本のものづくりを支えてゆくのは、あたなたちなんですから。
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日本文化論
- 2012-06-22 (金)
- 授業
今日の日本文化論はかなり熱く語った。
武道の心法について。
武道を学ぶ現代的意義について。
技科大で武道を講じる意義について。
ほぼ90分、熱く、熱く、語り続けた……はず。
さて、どのくらい分かってくれたか。
来週もまた熱く語ります。
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国文学のお薦めシート
- 2012-06-21 (木)
- 授業
前にも少し書いたが、今年度の国文学は例年にないことが起こっている。そのひとつが「お薦めシート」である。
この授業では、毎週自分のお薦めする本の「お薦めシート」を提出することになっている。授業の後半でそれをお互いに閲覧するのである。
今年度も同じようにしているのであるが、「もっとゆっくり読みたい」「手元にほしい」という声があがり、それを取りまとめて全員にメールで配信することになった。現在、受講生の1人、Iくんが、取りまとめて、それをひとつのPDFにして全員に配信してくれている。しかも、Iくんは、表紙もつけて、非常に充実した「あとがき」もつけてくれている。本来これって、私がやらないといけないのでは?、と思わせるような「あとがき」である。しかしこれを、私ではなく、学生が自発的にやってくれていることに大きな意味があるのだと思う。
お薦めシートの質も非常に高いものが多い。
プレゼンテーション、応答プレゼンテーションの質も高い。
受講生全員で、授業の質を下げないようにハードルを高く設定してくれている。
ほんとうに素晴らしいことだと思う。
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息子を遠く故郷から思うことしかできない無力で深い母の愛
- 2012-06-20 (水)
- essay
子どものころ、「ただゆき、野菜をちゃんと食べないかんぞな」(名前、方言適当)と、畑の中からお母さんが遠く離れた息子に呼びかけるTVCMがあった。この息子は都会の大学に通うために親元を離れたのだろうか。その息子の健康を心配する母親。しかし母親は、我が子を「思う」こと以外にはほとんど何も出来ない。たまに電話か手紙で、あるいは息子が帰省したとき、「野菜をちゃんと食べなさい」と言い、野菜を持たせることくらいである。後は、遠く離れた故郷で、ただただ息子の無事を祈るのみである。
もちろん大学生くらいの息子なら、そんな母親の気持ちは、わかってはいても、まだまだ余計なお節介に聞こえるだろう。「うるせぇなぁ」と言うかも知れない。しかし都会で1人暮らしをしてみて、母親の有難みは痛いほど感じてもいるのである。
そして、それから何年もたってはじめて、ただただ我が子を「思う」ことしかできなかった母親のその「思い」の有難みが骨身に沁みてくる。自分が子どもを持ってみて、また同じ立場になってみて……。
ところが、そんな我が子を「思う」母親に「朗報」である。我が子が大学の学食で何を食べているのかがインターネットで把握できるサービスが開始されたという(朝日新聞2012年6月12日)。記事にはこうある。
1人暮らしを始めた子どもの食生活は今も昔も、親の心配のタネだ。「うちの子、しっかり食べているかしら」。そんな親心に応えようと、学食で食べたメニューを保護者がインターネットなどで確認できるサービスが広がっている。
信じられない。
このサービスは、親が我が子を思う心を壊し、子どもから、深くて、無力であるからこそ愛おしい親から自分へ向けられた愛情が身に染みる契機を奪ってしまう。このサービスを考えた方は、そのことをほんとうに真剣にお考えになったのだろうか。
親は我が子が何を食べているか分からない。毎日毎日聞くわけにいかない。だからこそ、数少ないチャンスに「野菜を食べなさい」といい、普段はただただ「思う」ことしかできないのである。それがネットで毎日チェックできるとなれば、これはもう監視していることと変わらない。自分が何を食べているかを親が監視してると思いながら1人暮らしを続け、後年、そのときの親の愛情を身に染みて感じる子どもがいるのだろうか。
もちろん昔の母親だって、こんなサービスがあったら喜んで利用したかも知れない。昔の母親だって知りたかっただろうから。しかし、知りたいけれども知ることができないから、「思った」のである。「祈った」のである。
願いというものは、叶えられればいいというものではない。叶えられないことの中に、ある種の尊さが、深さが、慈しみがあることもあるのである。
チップの入った食器で食事をする息子。それをインターネットでチェックする母親。このサービスが、息子から、「ただただ思うことしかできなかった無力で深い母の愛」が骨身に染み、愛おしくて仕方がなくなる日を奪うことのないように願うのみである。
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台風4号
- 2012-06-19 (火)
- 日記
台風4号のため、午後から休講。
普段なら研究室に残っているのであるが、今日は帰ることにした。
夜には梅田川が氾濫危険水位を超えたので、「避難を始めて下さい」とラジオで呼びかけていた。研究室も一瞬停電したと西窪くんがツイート。我が家も、私がお風呂に入っているときに2分ほど停電した。
2009年10月8日の台風18号のときには木が倒れた(こちら)
2011年9月21日の台風15号のときには、大学ではベンチが滑って行き、もう少しで3階の廊下に浸水するところだった(こちら))
今回はそのようなことは特になく、無事台風は去って行った。
しかしやはり自然は恐ろしい。
今回の台風で被害にあわれた方に、心よりお見舞い申し上げます。
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工学的配偶者の選び方
工学的方法は、ある限られた領域、対象については有効であるが、現実にはそうではない領域もたくさんあるのであり、すべて工学的発想と工学的手法で考えることはできない。これは、工学を否定しているのではなく、どのような場合にそれが有効で、どのような場合に有効ではないかをきちんと知っておくことが大切である。例えば「工学的に恋愛する人なんていないでしょ?」と言ったら、学生さんから、「こんなサイトがありました」という感想が寄せられた。
新井民夫先生のサイトに掲載されている「配偶者の選び方」と一緒に掲載されている。
実は最初に「工学的に結婚相手選ぶ人いないでしょ?」と言ったのであるが、いるかも…、と不安になり、「工学的に人を好きになる人いないでしょ?」と修正したのであった。このサイトも「配偶者の選び方」であるが、なかなか洒落の効いた発想で、面白く読ませて頂いた。
もちろんちゃんと最後に、
この方法で配偶者を選べるなら、こんな簡単な事はない。実際には人間の関係はずっと複雑なことはいうまでもない。
と断っておられるが、こうも付け加えられている。
しかし、工学部に在籍する諸君にとって、一度は考えても良いテーマではないのだろうか。工学とは「与えられた条件の中で、最適な方法を求める体系」であるのだから。
工学的に配偶者を選ぶかどうかは別にして、工学は数値化、定量評価できるものを対象にしている。例えば「快適」ということを考えるときも、人間を「快適」にするパラメーターを考え、それぞれの最適値を考える。「快適な部屋」とは、「快適な温度」「快適な湿度」「快適な広さ」「快適な空気の流れ」などといった諸々の条件を満たす部屋である、というように。しかしそれぞれのパラメーターの最適値の総和が、必ずしも「快適な部屋」になるとは限らないというのが現実である。しかしそんなことを言い出すとどうしようもないので、それぞれのパラメーターのKING値の総和がKING of KINGS であると考える事にしているに過ぎないのである。
だが実際に、優れた工学者は、ほんとうはこんなことは誰もやっていないと私は信じている。逆なはずだ。先にものができて、それを一応納得させるために定量評価しているに過ぎないはずだ。
「快適な部屋」を定量評価し、いくつかのパラメーターとそのKING値は分析できるかも知れない。しかし逆にそれを寄せ集めても、決してもとのような「快適な部屋」を作り出すことは出来ないのである。なぜなら、すべてをパラメーター化することはできないからである。
しかしほんとうは、快適かどうかなんて、分析せずとも誰でも分かる。感覚的に分かるのである。分析はあくまで、事後的に行われる結果であり、原因にはなりえない。そのことを否定して、ものづくりはあり得ないと思う。
つまり、自分の恋人や配偶者が誰であるかは、誰でも直観的に分かるのである。もちろん錯覚もあるし、失敗もある。つまり別れることもいくらでもある。しかしそのときは、自分の感覚の未熟さを嘆いて、自分の直観と感覚を磨く努力をせよ。つまり人間に成長する努力をすべし。自分の人間としての全存在をかけて直観と感覚で配偶者を選ぶ。これが「文学的配偶者の選び方」である。
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