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中森康之ブログ

映画テルマエ・ロマエ

娘に映画「テルマエ・ロマエ」に連れて行ってもらった。

タイトル、ちゃんと言われへん。どうしよう。

と私。

はぁ〜?

阿部寛って言うか。それとも、風呂のやつ!

お好きにどうぞ。

そんな会話をしているうちに窓口に着く。

「先に行って」と娘を前に出す。

娘が「テルマエ・ロマエ」と言ったとき、すかさず「以下同文」と言ってカードを出した。

ほっとしている私に、「以下じゃないし…」。と娘の冷めたつぶやきが聞こえたような気がした。

映画はコメディータッチの、とても面白い映画だった。
それでいて心ある技術者の苦悩もわかりやすく描かれていてよかった。シンプルだけれども、だれでも直面する苦悩だろう。

今もてはやされているのはほんものではない。本質を忘れた、うけをねらっただけのものに過ぎない。それが許せない。しかしそれを打破するには、技術者としてはそれを圧倒的に凌駕するものを作る以外にない。自分の理想を具現化し、本質を生かしかつ人々に受け入れられるようなものを。しかしそう簡単にできるはずはない。

そのためには、息を止めて水の中に長時間潜っているほどの苦しさに耐えなければならない。その苦しみの向こうに、ひょっとしたら何かのヒントが見つかるかも知れない。これは決して比喩ではない。

阿部寛演じるルシウスが別世界にワープするとき、必ず溺れる。その苦しみを経て、別世界で新しいヒントを手に入れることができる。そして涙を流したとき、元の世界に戻ってくる。

涙を流すのは、それまでの自分が壊れ、それによって世界が変わるときである。ルシウスはうんと苦しみ、最後の最後に溺れるくらい苦しんで新しい自分を手に入れる。それは新しいものを作れるようになった自分である。そのときに涙を流すのである。

自分の全存在をかけて、ものをつくる。
それまでの自分を壊さないと作れないような、ものをつくる。

そんな技術者を私は尊敬している。

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また石巻山

5日。
仕事の合間に今日も石巻山へ。4回めである。


まずは車をとめて


いい感じです

今回、初めて奥の院経由の道を通った。


コノシロ池


石巻の蛇穴


          ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑


もうすぐ頂上


到着~


絶景~


気持ちいい~

だいぶ慣れてきた。
油断しないようにしよう。

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コナンに「そうっすねぇ」…

仕事を早めに切り上げて、「名探偵コナン 11人目のストライカー」を見に行く。

今回のテーマはサッカー。
キングカズや遠藤選手らが登場。なんと声もご本人。ということは……
われらがマエチンも登場かぁ???
と思ってわくわくしていたが、やはり出てこなかった。
残念。

コナンはともかく、毛利小五郎が見事謎を解き、

犯人は◯◯だぁ〜!

と叫んだとき、

そうっすねぇ…。

と言って欲しかったなぁ…。

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学生さん

学生さん、

研究室に来て、僕が寝ていたのが分かったら、

お休みでしたか。失礼しました。

とひとこと言おうよ。

その上で用件を述べるのが気遣いというものですよ。

平日の昼間なら、「こんな時間に寝るな」と言われても仕方ないけど、今日は休日なんだよ。休日に仕事しに来ていて、休憩がてら、寝ながらアイシングをしていたのだよ。

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コウノトリのキーホルダー

城崎温泉で買ってきたコウノトリのキーホルダー。

少しずついい色になってきました。

卵から顔を出したヒナ

素材の原木は槐(えんじゅ)の木。

「魔除け、長寿、安産、幸せの木として知られる」と書いてありました。

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今まで習ってきたことが否定されてしまう…

中森康之研究室の輪講でジェイコブズの『アメリカの大都市の生と死』(山形浩生訳 鹿島出版会 2010年4月)を読み始めた。今日は第1章まで。めちゃくちゃ面白い。その面白さについてはまた改めて書くとして、今日、ある学生がこう言った。

ここに書かれていることを認めたら、私たちがこれまで習ってきたことが否定されてしまう。

学生諸君、そういう本を学生時代にどんどん読んで下さいな。自分がこれまで習ってきたこと、正しいと信じてきたこと、自分自身の根源が揺さぶられるような本を。そしてそこで真剣に深く潜って考えて下さいな。

ジェイコブズもこう述べている。

都市計画者、都市設計の建築家たち、そしてかれらとともにその信念実現を導いてきた人たちは、……都市はどういう仕組みであるべきかとか、そこの人々や事業にとって何がよいはずかについて現代の正統派都市計画の聖賢たちが何を語っているか、ずいぶん苦労して学んでいるのです。ただそれをあまりに熱心にやるので、それに反する現実が割り込んできて、苦労して勝ち取った学習内容を脅かそうとすると、かれらはどうしても現実のほうを脇に押しやってしまうのです。(024)

頭で勉強したことと現実がずれている場合、「現実のほうを脇に押しやって」しまわない勇気を持とうではないですか。

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今日も石巻山

昨日に続いて今日も石巻山へ。

昨日よりすいすい登れた。
しかし足がまた腫れてきた。
無理しすぎたみたい。

何事もほどほどが大切である、と痛感した次第である。

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石巻山

リハビリを兼ねて、石巻山へ。

と言っても、途中まで車で上がって、歩く距離は600メートルくらいである。

でも頂上からの眺めと風はとても気持ちいい。

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久しぶりの尚志館

体調が完治しないので、武道部はお休みした。
尚志館には久しぶりに行った。
子どもたちは元気だ。
見習いたい。

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知的体力

今日の日本文化論の小レポート(感想)に次のような意味のものがあった。

先生は全15回の授業を最後まで聞いて理解出来る授業をすると言っていたが、それは長期的な物の教え方として正しい方法ではない。私たちはそれで何が言いたいのか全く分からないまま長時間興味のない映像を見せられるだけである。1 時間ならまだしも10 数回の講義で行うのは論外だと思う。

授業でも説明している通り、これから展開していきます。次回どう展開するかも今日の授業の最後に説明しました。映像に興味がないと言うことですが、これを最初に見ておいてくれた方が、次回からの話がより理解しやすいと考えてのことです。昨年までは逆にしてましたが、いまいちピンときにくい見たいだったので、より理解してもらえる順序に変更しました。

この授業は、10 数回かけないと理解してもらえないほど深い内容を持っていると私は信じています。先に結論だけ言葉で説明することは、真の理解を妨げると考えております。私はそのような講義に耐えられないほど、学生諸君の知的体力を低く見積もってはおりません。知的体力をフルに発揮して次回からの話も聞いてくれればと思います。

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