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中森康之ブログ

すぐに役立つことは…

すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる、労力をかけて学んだことは、いつか必ず役に立つ。

話題の元灘中学・高校の国語の先生、橋本武先生の言葉として新聞に紹介されていた(朝日新聞2012年4月21日)。

国語は学ぶ力の背骨である。

とも。

記事には、学生時代、「大漢和辞典」の諸橋轍次さんの仕事を手伝ったとある。歴史の重みを感じずにはいられない。

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三代目米づくり

絵実子さんが飲み物を買ってきてくれた。その名も三代目米づくり

カルピスソーダみたいな感じですが、まろやかで美味しく感じました。

米、さわやかに味わう

いいですねぇ。

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コナンのマエチン

この前、「名探偵コナン 11人目のストライカー」にマエチンが出てなかったとブログに書いたら、

ででたはずだけど~

というクレームが殺到。

調べてみると確かにこんな記事が。
http://www.jsgoal.jp/photo/00094300/00094375.html

コナンくんもヤマハスタジアムに来たみたいです。
http://www.jsgoal.jp/photo/00094300/00094374.html

私が出てなかったと言ったのは、本人の声の出演のことでした。

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素直な人は伸びる

今日は撃砕特別講習会。

今までの動きは何だったの?というくらい、これまでと全く違う動きの稽古をした。これまでも断片的には稽古したり説明したりしたことがあったが、きちんとやったのは今回が初めてである。

みなさん最初は大混乱していたが、次第に感じをつかんでいったようだ。さすが黒帯である。今までの動きや考え方を全部捨てて、その場で一から新しくやらないといけない。これができた人から新しい動きができるようになる。これまでの自分に執着すればするほど次の段階にいくことができない。もちろん全く違うと言っても、これまでのことがきちんとできていないと次の動きも出来ないようになっているから面白い。

ある先生が前にこういう話をされていたことを覚えている。

毎年、年に1回習いに来る外国人が、「来るたびに変わっている」と言う。それは私も進化(深化)しているからで、仕方のないことだ。武道は素直な人が伸びるというのはその通りで、素直でない人は、「どうせまた変わるだろう」と思って、今、きちんと習おうとしない。そういう人は伸びない。

師匠も稽古を続け、成長を続けているのだから、師匠が変わってゆくのは当たり前である。一方の弟子も成長してゆくのだから、変わってゆく。どちらにしても、その都度その都度変わってゆくのである。武道には普通にあることである。しかし最近は、師匠の言うことが変わることに、不審感をもつ弟子もいるらしい。あるいは、どうせまた変わるから今は適当にやっておいて、もう少し進化してからまた習えばいいや、と思う弟子もいるのかも知れない。あるいは師匠の変化についていけず、ただ混乱しているだけの弟子もいるかも知れない。いろいろいるだろうが、結局、今、この場で、師匠と自分をどのくらい信じられるかにかかっているのである。

師匠を信じるとは、師匠の真似をするということである。自分を信じるとは、変化を恐れないということである。

「これまではこうだったのに」ということに執着していると次に進めない。来年また変わるかも知れないと思うと、今習っていることが無駄になると思えてきて、真剣に稽古できない。どちらも稽古する意味がない。

過去に執着せず、未来にとらわれず、「今、ここ」に集中できる人。これを武道では素直な人というのである。

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取材

フランスのTV「Le Grand Tour」の取材で上野の下谷神社大祭に行く。

スタッフと東京駅で待ち合わせてまずは昼食。お蕎麦を頂きました。みなさん見事な箸さばきでした。

その後下谷神社に到着。


舞殿

お神輿が出る前に、まずは私の参拝の様子を撮影。
レンズを変えていろんなカットの要求がありました。担当のカメラマンは完璧主義なのだそうです。半日一緒にいてその動きを見ていても、プロフェッショナルを感じました。要求を聞いていると、番組になったときの全体像が頭の中にあって、そのためにこのカットが必要だということが非常に明確にイメージされているようでした。さすがですね。


御神輿

インタビューは、細切れでいろいろな場所で行われました。テーマは「武士道」。
お神輿をバックに歩きながら、とか。残念ながらこれは人が集まり過ぎて収集がつかなくなり途中で中止しました。


出発~


お神輿も人もたくさん集まって来ました。

暗くなるととても寒くなりました。でもこれしか服がない。もっとも、たとえあったとしても同じ服装で撮影しないといけないので着られませんでしたけど。ともかく寒かった。インタビューのほとんどは寒さで声が震えていたと思います。ぶるぶる。


御神輿が神社の境内に集まって来ました。

最後に境内でのインタビューを終えて終了。

御飯を食べながらとか、タクシーの中とかでいろいろ話してしまったので、いざカメラが回っているときには無意識に省略してしまうことが多く、「もっと長く喋って」と言われました。多くの方が大抵こうなってしまうそうですが、そういうところが素人なんでしょうね。ついもう喋った気になってしまうのでしょう。

それと、どこまで詳しく微妙な事項を説明するかに苦労しました。フランスの一般の方にも分かりやすくという要求だったので、かなりシンプルに話をしたのですが、シンプルすぎてかえって分かりにくくなってしまったようです。それといったん調整にのると逆に止まらなくなって収集がつかなくなるので、かなり自制したこともあったかも知れません。

これは私の悪い癖ですね。俳諧を専門にしているせいかどうか知りませんが、ともかく極限まで省略したくなってしまうのです。それにプラスして、聞き手の認識や知識をどの程度に設定して喋ったらいいのかが私にはよく分からないのです。これはフランスの方にむけてだからという訳ではなく、日本人でも同じだし、学術論文や学会発表の時も同じです。何が共通認識なのかがよく分からなくなってしまうんです。だからあんまりそういうことを忖度せず、その事項について、必要最低限のことを丁寧にかつシンプルに説明することが大切なんだと思います。分かってるんですけど、なかなかうまくいかなくて。でも今回またそのことを再認識させられたので、この課題を頑張って克服したいと思います。

優秀なスタッフと一緒に仕事ができた、実に楽しい半日でした。

最後の一枚。

Lucileさんとツーショット

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久しぶりに五体へ

10日夕方。
久しぶりに五体治療院へゆく。


代表「疲れてません」

コス☆丼と初めて生(なま)でお会いしました。


生☆丼とツーショット


頂いた杖で構えてみました


28年前から20代という「社長」ともツーショット

楽しいひとときでした。

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国文学1と日本文化特論

今日は国文学1と日本文化特論。

国文学1。
例年になく読書好きが集まったようだ。話好きも多い。
ディスカッションも、みんなどんどん話すので盛り上がる。
この調子でいけば、多様な価値観や繊細な感性の涵養やコミュニケーション能力の養成がどんどんできそう。何より授業が盛り上がって楽しい。いい予感である。

日本文化特論。
こちらもいろいろな話題で盛り上がった。ちょっと私がしゃべりすぎた気がするが、それぞれがしっかり議論できていて、実に頼もしい。さすがドクターの学生だ。

ということで、すごく明るくて楽しい授業だった。

午後からは久しぶりの五体へ。
それについてはまた明日。

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恐るべきマシュー

久しぶりに武道部の稽古に顔を出した。
午前中にマシューと会ったとき、別れ際に私が「じゃあまたね」と言ったら、マシューが「はい、稽古ね?」といったので、つい「うん」と言ってしまったのである。さすがマシューである。

が、まだ空手衣を着るのは難しいので、普段着で参加。みんなでいろいろ遊んだあと、新入部員に三戦を教えた。
かなりいい感じ。
みなさん、ほんとうに熱心です。

私もフル参加できるように頑張ります。

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一体感を目指した都市は崩壊する

今日は輪講、ジェイコブズジェイコブズの『アメリカ大都市の生と死』(山形浩生訳 鹿島出版会 2010年4月)。

「一体感」とは新しい郊外の精神的な拠りどころで、都市では破壊的に機能するようです。080

一体感を理想とした都市は崩壊する。それは私的空間と公的空間が限りなく曖昧になってしまうからである。都市においては、私的空間と公的空間には明確な一線が引かれていなければならない。私的空間を担保した上で、隣人と仲良く交流するのである。そのための公的空間があるのでなければ、都市は健全に機能しない。

あんまり仲が良いからといって、いつでもお互いの家に上がり込んでお茶を飲んだり、勝手に御飯を食べたりしていると、だんだんうっとうしくなってくることもあるだろう。出かける用事があるのになかなか帰ってくれないということもあるだろう。あんなに仲が良かったのに、今は顔を見るのも嫌だという関係になることも稀ではない。

ジェイコブズが問題にしているのは都市である。都市とは知らない他者が圧倒的に多い空間である。だから私的空間を確保した上で、親しい人とお茶を飲むための公的空間、喫茶店などが必要なのである。一体感、ふれあいをもとめるロマンチックな観念には、それは冷たいように見えるかも知れない。しかし多くの現実の人間関係は、そうなっているのである。

君子の交わりは淡きこと水のごとし

さすが古人の知恵は現実を生きた知恵である。
都市においては、「ふれあい」の場としての公的空間がなければならない。そうでない都市は必ず壊れる、そうジェイコブズはいうのである。なぜなら、公的空間が確立されていない都市では私的空間が壊れるからである。

よい都市の近隣は、自分の基本的プライバシーを守るという人々の決意と、周囲の人々からさまざななレベルの交流や楽しみや助けを得たいという願いとで、驚くほどのバランスを実現しています、077

このバランスを担保しているのが、歩道などの公的空間と私的空間の間に引かれた一線なのである。

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学生さん2

学生さん、

研究室にきて僕が御飯を食べていたら、

お食事中に失礼します。

とひとこと言おうよ。

その上で用件を述べるのが気遣いというものですよ。

別に出直せとは言わないよ。長話になっても一向にかまいませんよ。
ただひとこと言うことが大切だと思うんだな。

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