中森康之ブログ
砕破特別講習会
- 2011-12-18 (日)
- 武道部
砕破特別講習会、最終回。
今回は、いつも以上に特別な稽古会となった。
最終回に相応しい。
砕破ってこんな形だったんだということを改めて発見できた。
その後、恒例の忘年会。
こちらも大いに盛り上がった。
いつもの如く、一人一言もよかった。
私もいつもの如く、いろいろ話した。
その後、有志でお茶会。
初めてのお店に行ったが、これもよかった。
特にケーキが美味しかったです。
そして研究室に戻って、明日の全体会議の準備。
浜名湖義塾
渡辺敦雄先生と一緒に、湖西市の浜名湖義塾を見学に行った。
三上市長ご夫妻、矢田部塾長、渡辺先生と、お昼前に鷲津駅で待ち合わせ。お昼をご一緒して、いざ浜名湖義塾へ。
この日はたまたま私たち以外にも見学者が2名おられた。
非常にのびのびとした雰囲気で素晴らしかった。
塾長は常に笑っておられた。
しかし、後で直接とメールでお話したところ、いろんな場面で真剣に子どもの言葉を受け止めておられた。それを子どもには全く感じさせず、楽しい雰囲気で授業をされていた。
私なら問い詰めてしまいそうな場面でも、塾長は笑っておられた。
だから子どもたちは楽しくて楽しくて仕方ないうちに、どんどん伸びてゆくのだろう。
この子たちの将来がとても楽しみだ。
ほんとうにいい授業を見せて頂いた。
矢田部塾長、ありがとうございました。
終了後、尚志館メンバーと合流。
ポットさんのタイ料理のお店でみんなでお食事。
とても美味しかった。
とても贅沢な一日だった。
講演会・岩田修一氏「大規模人工物と社会-クライシスマネジメントとサバイバル-」
テーラーメイド・バトンゾーン教育プログラム
平成23年度テーラーメイド・バトンゾーン教育プログラム
開発リーダー特論 第13講義
【日 時】平成23年12月16日(金)16:20~17:50
【場 所】講義棟 A1-201
【テーマ】これから重要性を増すテーマ(7)
『大規模人工物と社会』-クライシスマネジメントとサバイバル-
【講 師】岩田 修一氏(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)
を聴講。
原発の話をもっと聞きたかったのですが、残念ながらやむを得ず途中で退席せざるをえませんでした。申し分けありませんでした。
国語力検定
昨日の稽古後、国語力検定の結果を返却。
みんなとても楽しみにしていたようです。
想像以上に盛り上がりました。
問題も一緒に返却したので、あちこちで勝手に小グループができて、検討会が始まりました。
1時間以上みんなわいわいやってました。
これにはびっくりしました。
技術者の卵たちが、国語力検定でこれほど盛り上がるとは。
さすが武道部です。
問題も非常によく練られた良問でした。そして楽しく受けられる工夫がしてありました。さすがです。
お久しぶりです
- 2011-12-14 (水)
- 武道部
武道部の稽古。
ながらくやってなかった拳立てをやった。
マシューが途中でギブアップ。
どうしたマシュー!!
と私が言うと、
お久しぶりです。
って。
そうですね。
お久しぶりです。拳立て。
習ふて書べし
許六『宇陀法師』に次のような文章がある。
俳諧文章の事、習ふて書べし。惣別俳諧の文章といふ事、いにしへの格式なし。『うつぼ』『竹取』『源氏』『狭衣』の類、皆々連歌の文法也。故に先師一格をたてて門人に伝申され侍る。みだりに書ちらす人もあれど、当流の格式をしらざれば、片腹痛事共多し。序・記・賦・説・解・箴・辞など、少づつ差別有べし。真名文章は字法有て慥にわかり侍れど、仮名物には無念の事のみ多し。
俳諧の文章には俳諧の文章の「格」がある。「序・記・賦・説・解・箴・辞」にも、すべて格の違いがあるという。しかしなかなか普通の人にはそれが分からない。だから、
俳諧文章の事、習ふて書べし。
なのである。正しくそれを習って書かなければならない。いかにも武家の許六らしい。
ところで、蕉門俳人で文章の格についてしばしば言及するのは、この許六と支考である。この2人は、芭蕉が夢見て果たせなかった俳文集を編纂して出版した。しかしそこには本質的な違いがあった。それは、『風俗文選』と『本朝文鑑』の収録作品を見れば明らかである。『風俗文選』には『徒然草』は収められていない。
さて、許六は支考を批判して、こうも言っている。
此坊発句大下手也。一生秀逸の句五句となし。文章もしさゐらしく書つづけ侍れど、口より奥まで趣意が通らず、言葉つづき半分なぐり、つゐに決定したる所なし。何の格、かの格と彼がいふは、みな嘘也。惣じて和文に格なし。ましてはいかいの文章には古格として用る物なし。只手短に、持て廻らぬやうに書を俳諧文章の格式也と、先師より慥に相伝したり。此坊がいふ事うけがふべからず。(『俳諧問答』)
俳諧の文章には古格はない、という点は『宇陀法師』と同じである。しかし、「序・記・賦・説・解・箴・辞など、少づつ差別有べし。」の方はどうなったのだろうか?
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現研翌日
- 2011-12-11 (日)
- 日記
ホテルをチェックアウトしてそのまま東京駅へ。
昼過ぎに豊橋について、家によって研究室へ。
そこでまた書類書き。
なぜこんなに書類が多いのかなあ。
こんなことをしていたらダメになるので、昨日の現象学研究会のメモを見ながら、あれこれ考える。そうすると元気が出て来た。
現象学研究会
- 2011-12-10 (土)
- 日記
久しぶりの現象学研究会。
テキストは、フッサール『ブリタニカ草稿』。
フッサールとハイデガーの現象学理解の違いが決定的になったと言われているものである。
2人で話し合ったとき、それぞれ何を感じていたのだろう。
そうして、ハイデガーの文章を経て、最終的にフッサールが第4草稿を書いたとき、フッサールは何を感じていたのだろう。
また、それを見たハイデガーは何を思ったのだろう。
あらためて人間の「あはれ」を感じた。
弟子は本質的に師匠を裏切る。
裏切ることによってのみ、師匠の思想なり技術なりを伝承することができる。
しかし本質的に裏切ることができるところまで師匠を理解できる弟子は稀であろう。
だから私は、その「あはれ」を底流にもたない師弟関係を信じないのである。
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