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中森康之ブログ

核融合科学研究所

21日。
今日は丹羽先生のお誘いで、岐阜県土岐市の核融合科学研究所に見学に行った。
まったく何も知らなかったので、勉強致になりました。

立派な建物です。
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超伝導列車に液体窒素を投入、おたまで。
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ピンクのヘルメットが素敵です。
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終了後は多治見のオリベストリートをちょっとだけ堪能して帰った。

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宝塚へ

20日。
宝塚の堀信夫師匠のお宅へお邪魔する。しばらくご無沙汰していた。
師匠から最近考えておられることをお聞きする。
次から次へと芋づる式に話が展開してゆく。

そうするとね、……
ふむふむ
そうするとね、……

という具合に。
それとともに師匠は元気になってゆく。
師匠はいつでも常に自分の考えをアップデートし続けておられるのである。
最新バージョンをお聞きして夕方にお暇した。

これまで私が誤解していた点などもあり、とても勉強になった。
そして今回強く思ったのは、私も、もっと自分の考えを粘り強く深めるべきだったということである。これからでも遅くないので頑張ろう、と私も元気になって豊橋に戻った。

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天理へ

19日。
強行日程だが、今日は天理図書館へ。何年も前に書いたある事典の初稿が先日突然送られてきたからである。出典を原典で確認していった。しかしさすがに天理図書館。私の担当句の出典のほとんどが所蔵されていた。夕方に仕事が終了。
今日は豊橋に戻らず大阪に泊まる。クリタさんと夕食。

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HNK総会講演

HNKというところに講演に呼んで頂いた。NHKではなくHNK。ヒューマンネットワーク高専の略称だそうである。会員は高専の卒業生の方々。

高専賛美の講演が3本続いた後、高専~技科大生の身体は危機に瀕しているというお話をする。もちろん高専~技科大に限ったことではないが、とりあえず私の身の回りで起こっていることから話を始める。ということで、予期せぬ事態が起こったとき、心身のパフォーマンスが著しく低下するという例をいくつか紹介した。危機的状況において固まる心身しか持っていないのは、心身の危機である。それは、平時においては、「察する感性」の感度の問題、つまりはコミュニケーション能力の問題として顕在化する。

もちろん私も、高専・技科大の卒業生が大変優秀であり、産業界で活躍しておられることを認めるにやぶさかではないし、心から応援している。しかし学生の持つ、自分の専門以外の人と積極的にコラボレーションしようという意志、他者や外界とコミュニケーションしようという意欲、危機対応的心身という点において、心から心配していることもまた事実である。

私が「人間力」という概念で考えているのはそのようなことである。「人間力」は、「人間が豊かで幸せな人生を送ることができる能力」であるが、具体的に言えば、「高度な技術を習得するための器として必要な力」、「専門以外の人と協働(コラボレーション)し、専門能力(技術)を生かす力」、「いかなる状況においても、自分の持つ能力(技術)を最大限に発揮(output)する力」であり、「危機察知」と「危機対応」の力、「危機的状況において心身のパフォーマンスを最大化させる力」である。

これはまさしく武道修行が目指すところである。だから武道部ではみなさんこの能力向上にむけて日々修行をしているのである。しかしそれでも、例えば福島第一原発の現場にいる人が全員武道部卒業生だったら、今回の事故に際し、批判されることのない迅速かつ正確、適切な対応ができただろうか、と心配になる。だから武道部員は卒業後も修行を続けているのである。

現場で極めて高い専門能力を発揮(output)する人材を輩出することを使命とする高専~技科大では、それが可能な心身の養成を真剣に考える必要がある。もちろん多くの関係者はそれを真剣に考えていることを私は信じて疑わない。講演でも、高専機構の理事の先生から、「機構もそれはちゃんと分かっていて、いろいろやってるよ」とお叱りをうけたほどである。

ところでこのような心身の危機は何によってもたらされるのか。一つは、「子どもを危険から遠ざける」大人の配慮によってである。私が住む団地の滑り台は最近使用禁止となった。砂場と直結している、子どもの指が入る隙間がある、手すりが○㎝以下である、滑り台のアーチが○度以上である、等々多数の項目において専門業者から「危険」という判定を頂いたからである。

朝夕は通学路の横断歩道に旗を持った大人が立っている。しかし、子どもたち自身に安全を確認させて、本当に危険な時だけ手を出す光景を残念ながら見たことがない。私が見たことがないだけでたぶんそういう方はたくさんおられるだろうと思うけれども、そうでない方もたくさんおられるのである。危険から子どもを守ることは大切だが、危険を察知する感度もまた、大人が必死で守らねばならない子どもの大切な能力であるはずだ。

危機感度の高い心身を疎外するもう一つの原因は、均質化して、定量化して、効率を考える論理的思考である。これを俗に「科学的」思考という人もいる。これが危機感度の高い心身の獲得を妨げるのは、リスクと責任をとらないからである。
俗流「科学的」思考はリスクも責任もとらない。なぜか。誰がいつどこで考えても正しい答えになる思考だからである。そのようなものにリスクもなければ、責任も生じない。失敗もないし、誰からも責められない。だから安心であるが、ただそのような場所では、人は危機感度の高い心身を獲得することはできないのである。
1+1=2という答えにリスクも責任もない。
アンケートで100人中90人が「気持ちがいい」と答えた椅子を、「90%の人が気持ちがいいと答えた椅子です」とセールスすることにリスクも責任もない。

しかしそんなアンケートも何の定量評価もない椅子を、「これはとても気持ちがいい椅子です」と断定することにはリスクも責任も伴う。しかしそこからしかほんとうに気持ちのいい椅子は生まれないのではないだろうか。定量評価が目指す「万人が気持ちいい椅子」とは、誰1人それをほんとうには気持ちいいと感じることのない不幸な椅子のことである。だから「人間工学で作ると座り心地が悪い」(宮本茂紀VSビートたけし「達人対談」『新潮45』2011年2月)と言われてしまうのである。
 
高専や技科大の学生たちは、イノベーションを起こせる高度な技術者を目指している。論理的には、論理的に正しい思考からはイノベーションは起こらない。真にイノベーティブな技術者をめざすなら、リスクと責任をとって、自分の感度を頼りに断定することから始めなければならない。そこからしかコミュニケーションは始まらないし、危機感度の高い心身の獲得もないのである。高専や技科大は、学生がそれを獲得できる環境を用意しなければならない。

というようなことを講演では話す予定だったが、後半は時間切れとなった。
最後に小川師匠の師匠のことば、

自分だけで勝手に生きていると思っていると、ろくなことになりませんな。こんなこと仕事をしていたら自然と感じることでっせ。本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから、肝心の自然や自分の命がわからなくなるんですな。(西岡常一『木のいのち、木のこころ』)

自然や自分のいのちの分かる人間に私もなりたい。

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常歩人Tシャツって

 昨日頂いた常歩人Tシャツニューバージョン。
早速今日、えみこさんが着て登場。

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昨日の五体撮影会の結果はこちら

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久しぶりの五体

久しぶりに五体治療院へ。
ドラえもんがお迎えしてくれました。
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五体ブームの写真撮影。
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小山田さん監修、織田淳太郎さん著
『左重心で運動能力は劇的に上がる!』(宝島社新書)
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頂きました。
OWNER Tシャツの前にて合掌~
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悶絶の後は、しばし休息。
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眠れない日々が

このところ演武会の準備でいろいろあって、眠れない日が多い。まだまだ私のレベルがその程度ということである。修行、修行。
午前中もその対応に追われ、さすがにこたえたので、昼休み、テーブルで昼寝した。そのあと会議。
ここ数日、まったく研究ができない状態が続いている。
部員はみんな必死で準備の仕事をしている。そして稽古もしている。そこから出てくる不具合を引き受けるのは顧問の私の仕事なので仕方ない。
でも、もう少しでいい感じになるだろう。
そうすればあとは演武会にむかって一丸となって稽古あるのみである。考えるだけでわくわくしてくる。
がその前に私の体が壊れそうなので、明日は会議が終わり次第、久しぶりに五体に行ってきます~~

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演武会リハーサル

第7回目となる今年の演武会は、武道部創部10周年記念演武会である。
詳しくはそのうち書くとして、今日は会場でのリハーサル。
いつもは最初からいるが、今回は通し稽古から参加。もうリハーサルも私がいなくてもできるからである。
通し稽古もうまくいった。あとは本番にむけて稽古あるのみである。

終了後は尚志館の昇段審査。
たてちーが見事黒帯になった。
感無量である。
おめでとう。

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よしだくん

私の親友によしだくんという男がいる。

原子力が明るい夢のエネルギーで、これで人類が幸せになると希望を抱いてその世界に入り、入ってみてほんとうはそうではなかったことが分かったとき、私ならどういう態度をとることができるだろうか? それを考えていて、よしだくんの就職のときのことを思い出した。

よしだくんとは高校2年の冬に知り合った。別々の高校に通っていたが、それ以来ずっと親友である。もう20年以上会っていないと思う。それでも、私の心の中にはいつでも彼の存在がある。いい加減なことをしたらよしだくんに笑われるという思いがある。世界中の人に認められても、よしだくんに笑われたら私は終わりである。だから親友なのである。にしだくんもそういう親友である。にしだくんは同じ学会に入っているのでしばしば会ってもよさそうなのだが、滅多に会わない。きっと親友だからだろう。

さて、よしだくん。
よしだくんは、私と同じ教育学部に通っていたが、教員になる道をやめ、ある業界トップの会社をうけて内定をもらった。しかしその後よしだくんは内定を辞退し、再び教員の道をめざし、高校の教員になった。聞けば、内定をもらってから、その業界のこと、会社のことをいろいろ調べた。もちろんその前にも調べてはいたのだろうけれども、もっと真剣にいろいろ調べたのである。そうすると多くの問題を抱えていることが分かった。そうして、そういう問題に会社はどのように対処しているかを会社に直接質した。例えば商品トラブルについて顧客から苦情があったときに、会社(の本音として)どういう態度・方針で接しているか等々。その答えが彼にはとうてい納得のいくものではなかった。顧客、一般の人のことをほんとうに大切にしているのではなく、会社を守ろうという姿勢が明らかだったからである。自分はこの会社では働けない。そう考えた彼は内定を辞退したのである。

それを聞いた私は、「今頃そんなことしたら、その会社も困るし、来年からうちの大学から採用してもらえなくなるかもしれへんやん。後輩も迷惑するやん。」と言ったように記憶している。

もちろんよしだくんはそんなことは百も承知で、それでも自分の誠意は、ここで働かないことだと判断したのである。そして彼は教員になった。教員になったことについては、私もよろこんだ。そもそもはじめから教員になってほしかったのだから。

よしだくんはその会社を糾弾する訳でもなく、市民運動をするわけでもなく、今でも日々生徒に英語と人生を教えているはずだ。はずだ、というのは、なんせ20年以上会っていないのである。ほんとうのことは分からない。しかしほんとうは私は知っている。よしだくんとは親友だからである。
よしだくんのこの価値観と生き方は、1人1人の若い感性に確実に刻まれていることだろう。

今回の原発のことを考えていて、改めてよしだくんの立派さを感じた。私ならきっと自分を誤魔化してその会社に入っていたに違いない。だからよしだくんのような親友がいてくれることを心からありがたいと思うのである。

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木寺英史『錯覚のスポーツ身体学』(東京堂出版)

木寺英史先生から『錯覚のスポーツ身体学』(東京堂出版)が届きました。
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ほんとうは大分前に頂いていたのだが、なかなかアップ出来なかった。
みなさん、ぜひご一読を!
からだと動きの錯覚を解いてくれること間違いなしです。

私やオオガケくん、武道部員も、写真で登場してます~

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