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中森康之ブログ

渡辺先生講演会

6月2日
このブログでもお知らせしていた渡辺敦雄先生の講演会
平日の昼間にもかかわらず、学生、市民の方合わせて330人(遠隔配信会場含)の方にお越し頂いた。ご来場頂きました方に、この場を借りまして御礼申し上げます。

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講演前にまずはテレビ局のインタビュー

インタビューされた方の腕前にうなった。さすがプロ。渡辺先生も実に的確に答えられた。

そして講演会。
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遠隔配信会場には行かず、後ろで立ち見の方も。

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実に分かりやすく的確な講演だった。
「危機意識」と「人間力」に関する話をもう少し、という感想も聞かれたが、こちらの話は私も機会を見つけてやりたいと思う。

さて、この講演で渡辺先生は何度も設計のphilosophyという言葉を使われたのが印象的だった。もちろん渡辺先生は、ずっと原発を推進してきたのではなく、新しいエネルギーに夢をもってその世界に入ったところで、多くの問題に気づき、いろいろな人とやりあった挙げ句、数年後にその世界から離れられたのであるが(そのことを夜の食事会で初めて知った)、それでも福島第一原発3号機他の基本設計に関わったものとして、自分たちの設計philosophyが否定されたとき、人間はどのような態度をとることができるのかを、ここで示されたのだと思う。
「この講演が技術者としての再出発になるだろう」と話されていた通りである。

「豊橋で講演している暇があったら、私財をなげうって被災者に償え」という人もいたが、自分が今できるのは、市民には原発事故を現場を知る専門家として分かりやすく解説し、これから現場に出る技術者(学生)には、自分の経験を誤魔化すことなく話し、未来への希望を托すことであるとされた判断を私は是とする。

学生たちはこれから現場で活躍できる技術者をめざして日々研究と勉強をしている。そういう学生に、純粋な学問の話だけではなく、組織や会社の現実の話を含めて、しかしどういう技術者を目指してほしいかを熱く語られた。その思いは多くの学生に伝わったようで、統一書式のアンケートの中に私が無理矢理入れ込んだ、

本講演は、技術者としての現在の自分自身を見つめ直したり、自分が将来なりたい技術者像について考え直すきっかけになりましたか

という質問に、コメントとともに「はい」と答えていた学生が非常に多かった。この講演を契機に、技術者とは何か、自分はどういう技術者を目指すのかをよく考え、志を高く持ち、夢を持ち、真に高度な技術者になってくれる学生が多くいることを心から願っている。そしてそれが現実のものとなることを私は信じて疑わない。

市民の方も非常に熱心で、質疑応答時間は非常に饒舌に自分の思いを語っておられた。翌日事務局にお電話頂いた方もおられたようである。

講演会の後、武道部の学生と卒業生、三崎先生と食事会を開催。講演会では聞けないディープな話を堪能した。

そう、「人間力」養成プロジェクトメンバーの三崎先生と三木先生も強行スケジュールで駆けつけてくれたのである。渡辺先生を含め3人を駅までお迎えにいってくれた絵実子さんが、

あの3人の先生、会った瞬間から、ず~~としゃべり続けてますよ

と楽しそうに私に話した。

いつもやで~ プロジェクトの全体会議は、会った瞬間から別れるまで、3日間くらいず~としゃべりまくってんねん。

と答える。さらに絵実子さんがこう言った。

でもきちんと人の話は聞いた上で、自分の考えを話しておられるから、聞いていてとても面白い。自分もそこに違和感なく入れてくれるし、話していてとても気持ちいい。いいですね~

その通りである。初めて会った人であろうが、どこの誰であろうが、そんなことはどうでもいい。今話題になっていることに、オープンマインドで入ってくる人は歓迎である。自分たちが知りたいこと、語りたいこと、掴みたいことを一緒になってめざす流れに乗る人であれば誰でもいいのである。だからとても楽しいし、得るところ大、なのである。

会ったこともない先生3人を駅までお迎えにいって、後部座席で3人並んで熱く語っている先生方の話に、普通はなかなか入れないものだと思うが、絵実子さんは、助手席から参加したようである。それを自然にさせてしまうものを3人の先生が持っているのであり、絵実子さんも自然とそこに入れるオープンマインドを持っているからである。

いきなり本質的な話をず~とし続けて、凄いですね~

と絵実子さんが三崎先生に言ったら、

あたりまえやん。そのためにきたんやから。直接話を聞ける、こんな貴重な機会はめったにないんやから。自分の疑問も解けるし、学生の指導にも使えるし。

と答えられたようである。その三崎先生は、終電に間に合うように食事会を中座し、タクシーで帰られた。私と小野くん(三崎研究室、ロボコン出身で、現在武道部創部10周年記念演武会実行委員長)がお見送りした。当然のごとく私たちはタクシーが見えなくなるまでお見送りしたのであるが、小野くんが本当に心を込めてお見送りをしているのがひしひしと伝わってきたし、タクシーが見えなくなる直前に、深々と礼をしたのがとても印象的であった。

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講演・福島第一原子力発電所事故を巡る技術者の「危機意識」と「人間力」

(このエントリーは6月2日まで一番上に表示されます)

講演会のお知らせです。

福島第一原子力発電所事故を巡る技術者の「危機意識」と「人間力」
沼津高専特任教授 渡辺敦雄氏

〈今回の技科大での講演は、技術者としての私にとっての再出発点になると確信している〉

6月2日渡辺先生講演ポスター2.jpg

日時:2011年6月2日(木) 14:40~16:40
会場:豊橋技術科学大学 講義棟A-101
聴講:自由
お問い合わせ先:
豊橋技術科学大学 高等専門学校教育と連続する「らせん型技術者教育」モデル
―持続型社会を創造する実践的建築・都市デザイナーの養成―プロジェクト事務局
Tel 0532-81-5111(内線7031)
Fax 0532-44-6831
E-mail rasen@ace.tut.ac.jp
   
渡辺先生は、「人間力」養成プロジェクト(高専連携教育研究プロジェクト)のメンバーの1人である。その渡辺先生は以前東芝の原子力事業部におられ、福島第一原発3号機などの基本設計を担当された。
 
実際に設計に関わり、現場も知っておられる先生が、今回の事故を前に、何を思い、何を語ってくれるのか。特にこれから技術者として現場に出る学生たちに、何を語り得るのか。
私はそれをとても楽しみにしている。

実際に関わった技術者として、今回の事故は非常にショックだったはずである。しかし、それを誤魔化すことなく、学生と一般の方の前に出て来て語って下さる。私はそのことに対して敬意を表するものである。

本人も「再出発点」と言っておられるが、今回の講演は、長年その道で生きてこられた1人の技術者の再生の場となるだろう。
そのような場に出会える機会は、滅多にない。

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それは左に入れなければならない

歴史探検隊著『50年目の「日本陸軍」入門』(文春文庫)という本の「それは左に入れなければならない」(134頁)という節に、軍袴(ズボン)のはき方が書かれている。

 しかし、キチンと位置を確定しなければならなかったものがある。「腰ヒモは上り下りなきよう……」の前に次の一文が入っているのだ。
「睾丸は左方に容るるを可とす」
なぜこんなことまで決めなければならないのだろうか。右にあってはなにか不都合があるのだろうか。
 女性の場合は銃をかまえるときに片方の乳房が邪魔になるとは聞く。ギリシャ神話の勇婦アマゾネスなどは弓を射るために右の乳房を切除したというが、男性が戦闘する場合、左におさめなければならない身体上の問題があるのだろうか。
 こんなことを真顔で指示した軍隊というものは本当にわからない。何を根拠に、どんな価値基準によって判断したことなのか。
 「現在」の感覚では愚にもつかぬ呆れたこととしかいえないのだが、50年前は、古びた軍衣と旧式な装具を身につけ、一挺の銃さえ渡されずに、ただただフンドシをキリリとしめて睾丸を左におさめ、日本の男たちは戦場へと狩り出されていったのである。

睾丸を左に容れる。おお、左重心ではないか。
小山田さんがいつも言っている、前へ進むには左重心。
戦では前へ、前へと進め。そのためには睾丸を左に容れて左重心にせよ。
日本陸軍はそのことを身体で知っていたのだろうか。
でも左加重にはなるけど、左重心になるのかな?
たぶんなるんだろうね。

そのあたりはもうすぐ発売される

織田 淳太郎 (著), 小山田 良治 (監修)
『左重心で運動能力は劇的に上がる!』 (宝島社新書)

を読めば分かるだろう
って、宣伝???

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絵本の読み聞かせ

 久しぶりに授業ネタ。
1時限めの国文学1。先週齋藤孝さんの『読書力』(岩波新書)で大絶賛している絵本『ギルガメッシュ王のものがたり』『ギルガメッシュ王のたたかい』『ギルガメッシュ王さいごの旅』(岩波書店)について、

本屋さんを探したけど、どこにも売ってなかったのですが、誰かもってませんか?

と、ある学生がみんなに聞いたので、

僕もってるよ。来週持て来るよ。

ということで、今日持って行った。
ちなみに齋藤さん、次のように述べている。

楔形文字で粘土板に記されたギルガメッシュの物語は、ノアの方舟の原型とも言える話を含み込んだ壮大なものである。神話を構成する重要な要素に満ちている。友情と恋愛、英雄物語、生と死の物語、悪との戦い、旅など、物語の原型がほとんどと言っていいほど入っている。絵も素晴らしく、一枚一枚が壁画のようだ。色使いも美しい。ただ単にうまいというのではなく、神話の重みが伝わってくる荘厳さがある。……訳文も、文語体の迫力をところどころに生かしていて、申し分ない。とりわけ凄いのは、第三巻の『ギルガメッシュ王さいごの旅』だ。人生の問題が凝縮されていて、大人でも十分味わうことができる名作となっている。(116頁)

少し早めに教室に入って取り出すと、みんな興味深そうに寄ってきてくれた。そして集まって、「絵のクオリティーが高いよね」などと言いながら見てる。このあたり、この授業の学生は、身体レスポンスがとてもいいのである。

せっかくやから、読み聞かせやろうか。誰か読んでよ。

おおそれはいい、やろう、やろう、

と、これまたすぐ1人を残して聞く態勢に。身体レスポンスが最高である。
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読んでくれた学生がとても上手で、聞いているうちに、とても幸せな気分になった。学生もみんなとても喜んでいた。

その後、一人一言をやって、通常のディスカッションへ突入。今日は内田義彦さんの『読書と社会科学』(岩波新書)である。
これもいつもながら私が暴走したけれど、熱いディスカッションになった。

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浜松臨江寺の蝶夢句碑

浜松市の臨江寺にある蝶夢句碑の調査に行った。
『浜松市史』第二巻552頁に、写真を掲載した上でこう書かれている。

中でも方壺はもっとも敬慕し、寛政二年(一七九〇)蝶夢の句「村松やみとりたつ中に不二の山」を碑に刻んで、臨江寺の裏山に建てている。

お寺に着いて山門を入ろうとすると、左手に写真とよく似た形の石碑が……。「これやったりして」と思いながら、中に入って、奥の山の方へ。しかし裏山には入れない。ふむ。ひょっとしてと思いもう一度山門に戻る。
果たしてこれだった。

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真ん中のがそれ。

しかしこの句碑、反対向きになっている。句が刻まれている面が壁を向いているのである。むむむ?

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「寛政七乙卯年十二月廿四日遷化 門人造立之」と読める。

寛政七年十二月廿四日は蝶夢が亡くなった日である。むむ?? もう一度調べる必要がありそうだ。
とまれ、

ご住職曰く、
あれ、逆さまになってるから。直さんとね。二人くらいいたら出来るかなと思ってるんやけど。

ええっ~ 自分で地面掘るんですかあ?
今ならご住職と私、大の男が二人いますけど。

と心の中で思ったけれど、口には出さず、笑顔。
でも、句碑の土台ってどのくらいの深さなんだろう。以外に簡単に掘れるのかなあ、と考えているとだんだん興味が湧いてくる。いかんいかん。もうすぐ雨が降ってくる。
それにそのままの方が「裏見の句碑」として名物になるかもしれないし。

その昔裏山の崖崩れで出て来たのを山門のところに設置したとのこと。現在のご住職が来られたときには既に山門にあったらしい。ちなみに現在の山門は新しい山門である。

雨が降る前にお寺を後にする。合掌。

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朗報、Oさん、今年もマスターズ出場決定

関係者のみなさん、朗報です。

私の尊敬するOさんから、今年もマスターズの大阪代表になったと連絡があった。初出場だった昨年は、総勢16名で三重県まで応援に行った(こちら
ほとんどの部員は感動したようで、その後の稽古がとても熱心になったと記憶している。
何事においても、人間がチャレンジする姿はとても尊いものなのである。それを生で見られることほど幸せなことはない。

今年も応援に行ける人は行きましょうね。ちょっと遠いですけど。

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神山睦美『小林秀雄の昭和』

現象学研究会のメンバー、神山睦美さんに『小林秀雄の昭和』(思潮社)を頂いた。先だって、鮎川信夫賞(詩論部門)を授賞された本である。

神山さんらしい粘り強い思考が展開されている。
私にとって小林秀雄は「神」であるが、神山さんにとってはそうではないようだ。だからあの時代の中で、小林が何を感じ、何を考え、何を考えられなかったのか、その時代において小林の思考が届かなかった場所に足を踏み入れたのは誰か、ということを時代を追って考えられている。
「神」になった小林からさかのぼって見てしまう私にはない視点が盛り込まれていてとても勉強になった。受賞が「詩論部門」というのもいいと思う。

神山さんといえば、私が院生の頃初めて書いた論文に感想を下さった方である。当時私のまわりでは、罵詈雑言の嵐だった。特に院生の合評会はひどかった。

文体が軽すぎる
論文の文体ではない
時代遅れの思想である
主人公と作家を混同している
こんな論文を載せたら雑誌のレベルが下がる
なんでこんな論文書いたん?

当時はまだ「論文の文体」なるものが確固として存在すると信じる人が多かったし、思想的にはポストモダン全盛期だったので仕方ない。それに今から見ると、自分でもひどいと思う。しかしもちろん私はいい加減に書いた訳ではない。批判の矛先は、全部自分が意図してやったことだったからである。ただ力がなくてうまく表現できなかった。それは認めます。はい。

編入してすぐ、先輩同輩問わず院生たちから罵詈雑言を浴びせられ、先生(堀師匠ではない)にも呼び出されて教育的指導を受ける中、竹田師匠と神山さんだけが「そんなことないよ」と言ってくれた。竹田師匠はこう言ってくれた。

中森くんが拘っている問題と言いたいことは自分にはよく分かる。それはこうこうこういうことだろ?でもこの言い方だとそれはうまく伝わらないよ。

まさしくこうこうこういうことだった。

神山さんは「ビビッドな文体だ」と言って下さった。

そのお陰で私は研究を続けることができたのである。

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空海からのおくりもの&現象学研究会

6日。
久しぶりに現象学研究会に出席できる。
その前に、印刷博物館による。

企画展「空海からのおくりもの 高野山の書庫の扉をひらく」を見る。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/110423/index.html

知らないことだらけで、とても面白かった。恥ずかしながら印刷博物館にも初めて行ったが、あんなにいろいろ展示してあるとは知らなかった。今度またゆっくり行ってみたい。

図録も素晴らしい。
表紙は高野版の版木、綴じは粘葉裝をイメージしてあるそうだ。いいですねえ~
http://www.printing-museum.org/blog/?p=3626

その後現象学研究会へ。
会場近くのコンビニでお茶を買っていたら竹田師匠が入ってきた。

中森くん、傘もってる?
もってますよ~
入れてって。

という訳で、師匠と仲良く相合傘で会場へ。

今日はフッサール『イデーンⅡ-2』の最終回。
相変わらずハードな文章だった。
しかしこれでもかこれでもかとこだわるフッサールがなぜか愛おしくなった。

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あなたのやってることに意味があるの?

少し年上の友人からメールがきた。この前「国語と国文学」に書いた論文の感想を頂いたのである。簡単なお褒めの言葉の後に、次のような意味の言葉が添えてあった。

自分はこれまでやってきた研究に意味がないのではないか、ではなぜ意味がないのか? と疑いながら研究を続けている。だから自分の研究対象、あるいは文学研究そのものに意味があると信じきっておられる多くの方から嫌われます。

だから私は彼が信頼できるのである。
文学研究の表現の出発は個人的意味である。まずそこで自問自答がある。文学研究の「思考」の強度は、ほとんどそこでの思考の深さと相関している。

表現するとは、その個人的な意味が、他の人にとっても意味があるかどうかを問うということである。つまり、固有の意味に何とかして普遍性を持たせようとする試みなのである。だからいつでも、意味があるかどうかは、「意味があった」という形で事後的にしか判定できない。

私はそう考えているのだが、ついつい雑事にかまけて怠けてしまうのである。そしてときたま、「俺は何やってたんだ~」とショックをうけるのであるが、彼のメールは、

あなた、それを忘れてないでしょうね?

という確認の声だったのである。

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どうなってんの??

 二日続けて同じ本が届いた。
古書である。
どうも、二日続けて同じ本を別の本屋さんに注文したらしい。
なんで~
これまでも前に買った本を忘れて買ってしまうことはよくあったが、二日続けて同じ本を買うとは。
どうなってんの?
僕の記憶力。

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