

今の自分にはこれ以上できない。何かをやると き、自信を 持ってそう言うことは難 しい。たいていは、時間があったらもっと出来たんだけど、とか、本当はもうちょっ と頑張ろうと思えば頑張れたんだけど、と自分にも他人にも言い訳してしまう。かく 言う私もそうです。 でも私には、そんな自分のことは棚に上げて、 敢えてそれを 要求する場が二つあり ます。 一つは、日本語法という授業です。いわゆる文 章表現法の授 業ですが、この授業の 最大のテーマは、いかにドキドキできるか、です。 そのためのルールが一つだけあります。それ は、自分にはも うこれ以上書けないと いうところまで頑張ってから提出すること。授業では、毎回他人の文章に対して、皆 が好き勝手言っていいことになっています。その時に「それは時間がなかったから」 とか「テキトーに書いたから」という言い訳だけは決してしないこと。 例えば、授業でいろいろ言われたSさんが、次 のような感想 を書きました。 文章で自分の思ったことを人に伝えるのは本当 に難しい! 私の文章が先日批評された。何人かは共感した と言ってくれ たし、特別ここが 悪いと言われたわけでもなかった。でも何故か私にはしっくりこなかった。何故 だろう?私は心にひっかかってしまったこの感覚について考えてみた。 この感覚は、自分の表現したかったことが、ど うも上手く伝 わっていないようだ、 という感覚です。この感覚は、文章を書く上でとても大切な感覚です。彼女はそれを 決して手放すことなく、少しずつ形にしてゆきます。そして次のような結論に至ります。 めいいっぱい書いたつもりがうまく書けていな い。私が書き たかったのは、水 たまりの世界を通した自分の想像力だったのかもしれない。 文章の内容説明は省きますが、ここに至って彼 女は、めい いっぱい書いたつもり で、実は表現できていないことがあったこと、自分が本当に書きたかったことが何だ ったのか、に気づいています。この後もう一度彼女が始めの文章を書き直したら、見 違えるほどよくなることは間違いありません。 このような経験をするためには、始めの文章を めいいっぱい 書いていないといけな いわけです。でないと、他人の批評に腹を立てたりすることも、自分の中に違和感が 生じることもないからです。ドキドキできませんね。 私は、今の学生にとって、こういう経験がとて も大切だと考 えています。こういう 経験の繰り返しこそが、現代ではひどく損なわれてしまった、言葉への信頼感を回復 することに繋がるだろうと思うからです。 もちろん、授業はうまくいくときもあればいか ない時もあ る。ほとんど綱渡りのよ うなものですが、最後に次のような感想が出てくればまずは成功です。 ・ 日本語法の授業は僕にとって久し振りに味 わう「ドキド キした」授業でした。 自分の文章が読まれ批評されているのは何ともいえない感覚で、他の授業で感じ 得られないものでした。(T君) ・ 友人に(自分の文章を)見せた所、「これ が日本語法の 課題?」と言われた。 きっとこの授業を受ければ分かると思う。ただ課題として、どこかのWebの サイト からコピー&ペーストで、自分の作文を「作成」するつまらなさが。(S 君) ・ はっきりいって9月当初、この授業にはあ まり期待して いなかった。受講動機 には「期待している」と書いた。それもまんざら嘘ではないのだが、単位を取る のが一番の目的だったので、何でもいいからとにかく与えられたことをやり遂げ よう、そう思っていた。 そして授業が終わろうとしている今、この授業 に対する想い は私の中で変化し ている。 最初の課題の時点では、やらされている感が強 かったのだ が、今はもっとこの 授業を受け続けたい、そう思うようになっている。それは、思っていた以上に自 分の作文を批評されるのが面白いからだ。自分の作文が授業で取り上げられる と、とても緊張し、顔が赤面して作者がばれるのではないかと心配する。しか し、他の学生や先生の意見を聞いていると「そんな風にもとられるのか」「そん な考えもあるのか」と、自分では思い付かないような考えを学ぶことが出来て楽 しい。 他の人の作文を読むこともまた勉強になるので よかった。普 段、他人の作文を 見る機会はあまりない。これはよい、これは悪い、という例を見せられることは たまにあっても、あたらず触らずの作文は特に取り上げられない。しかし、そん な作文の中にも、さまざまな個性が隠れているのだ。そしてそういった作文の方 が、自分に近い気がしていろいろ参考になったりする。それらについてディスカ ッションし、次回はどうしたらよいか、と自分のことのように考えることができ た。(Yさん) もちろん私自身、反省点もあります。授業では 言いますが、 ここでは内緒です。 さて、もう一つ私が「自分にはこれ以上」を要 求する場があ ります。それは空手の 練習の時です。例えば空手には形(型)というのがありますが、これが実に面白い。 形(型)にはその人自身が正直に現れてしまうからです。カッコよさに拘る人、なり ふり構わず必死にやる人、苦しくなったらすぐ諦める人等々。練習の時、私は「下手 なのは仕方ない。でも手を抜くのはダメ、誤魔化したり、諦めてはいけない」と自分 にも学生にも言い聞かせています。 文章表現法はドキドキわくわくのため、こちら は自己鍛錬の ためです。全く違うよ うに見えますが、ひょっとしたらどこかに共通点があるのかもしれませんね。 |