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日記 アーカイブ

久しぶりの五体

久しぶりに五体治療院へ。
ドラえもんがお迎えしてくれました。
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五体ブームの写真撮影。
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小山田さん監修、織田淳太郎さん著
『左重心で運動能力は劇的に上がる!』(宝島社新書)
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頂きました。
OWNER Tシャツの前にて合掌~
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悶絶の後は、しばし休息。
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眠れない日々が

このところ演武会の準備でいろいろあって、眠れない日が多い。まだまだ私のレベルがその程度ということである。修行、修行。
午前中もその対応に追われ、さすがにこたえたので、昼休み、テーブルで昼寝した。そのあと会議。
ここ数日、まったく研究ができない状態が続いている。
部員はみんな必死で準備の仕事をしている。そして稽古もしている。そこから出てくる不具合を引き受けるのは顧問の私の仕事なので仕方ない。
でも、もう少しでいい感じになるだろう。
そうすればあとは演武会にむかって一丸となって稽古あるのみである。考えるだけでわくわくしてくる。
がその前に私の体が壊れそうなので、明日は会議が終わり次第、久しぶりに五体に行ってきます~~

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よしだくん

私の親友によしだくんという男がいる。

原子力が明るい夢のエネルギーで、これで人類が幸せになると希望を抱いてその世界に入り、入ってみてほんとうはそうではなかったことが分かったとき、私ならどういう態度をとることができるだろうか? それを考えていて、よしだくんの就職のときのことを思い出した。

よしだくんとは高校2年の冬に知り合った。別々の高校に通っていたが、それ以来ずっと親友である。もう20年以上会っていないと思う。それでも、私の心の中にはいつでも彼の存在がある。いい加減なことをしたらよしだくんに笑われるという思いがある。世界中の人に認められても、よしだくんに笑われたら私は終わりである。だから親友なのである。にしだくんもそういう親友である。にしだくんは同じ学会に入っているのでしばしば会ってもよさそうなのだが、滅多に会わない。きっと親友だからだろう。

さて、よしだくん。
よしだくんは、私と同じ教育学部に通っていたが、教員になる道をやめ、ある業界トップの会社をうけて内定をもらった。しかしその後よしだくんは内定を辞退し、再び教員の道をめざし、高校の教員になった。聞けば、内定をもらってから、その業界のこと、会社のことをいろいろ調べた。もちろんその前にも調べてはいたのだろうけれども、もっと真剣にいろいろ調べたのである。そうすると多くの問題を抱えていることが分かった。そうして、そういう問題に会社はどのように対処しているかを会社に直接質した。例えば商品トラブルについて顧客から苦情があったときに、会社(の本音として)どういう態度・方針で接しているか等々。その答えが彼にはとうてい納得のいくものではなかった。顧客、一般の人のことをほんとうに大切にしているのではなく、会社を守ろうという姿勢が明らかだったからである。自分はこの会社では働けない。そう考えた彼は内定を辞退したのである。

それを聞いた私は、「今頃そんなことしたら、その会社も困るし、来年からうちの大学から採用してもらえなくなるかもしれへんやん。後輩も迷惑するやん。」と言ったように記憶している。

もちろんよしだくんはそんなことは百も承知で、それでも自分の誠意は、ここで働かないことだと判断したのである。そして彼は教員になった。教員になったことについては、私もよろこんだ。そもそもはじめから教員になってほしかったのだから。

よしだくんはその会社を糾弾する訳でもなく、市民運動をするわけでもなく、今でも日々生徒に英語と人生を教えているはずだ。はずだ、というのは、なんせ20年以上会っていないのである。ほんとうのことは分からない。しかしほんとうは私は知っている。よしだくんとは親友だからである。
よしだくんのこの価値観と生き方は、1人1人の若い感性に確実に刻まれていることだろう。

今回の原発のことを考えていて、改めてよしだくんの立派さを感じた。私ならきっと自分を誤魔化してその会社に入っていたに違いない。だからよしだくんのような親友がいてくれることを心からありがたいと思うのである。

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渡辺先生講演会

6月2日
このブログでもお知らせしていた渡辺敦雄先生の講演会
平日の昼間にもかかわらず、学生、市民の方合わせて330人(遠隔配信会場含)の方にお越し頂いた。ご来場頂きました方に、この場を借りまして御礼申し上げます。

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講演前にまずはテレビ局のインタビュー

インタビューされた方の腕前にうなった。さすがプロ。渡辺先生も実に的確に答えられた。

そして講演会。
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遠隔配信会場には行かず、後ろで立ち見の方も。

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実に分かりやすく的確な講演だった。
「危機意識」と「人間力」に関する話をもう少し、という感想も聞かれたが、こちらの話は私も機会を見つけてやりたいと思う。

さて、この講演で渡辺先生は何度も設計のphilosophyという言葉を使われたのが印象的だった。もちろん渡辺先生は、ずっと原発を推進してきたのではなく、新しいエネルギーに夢をもってその世界に入ったところで、多くの問題に気づき、いろいろな人とやりあった挙げ句、数年後にその世界から離れられたのであるが(そのことを夜の食事会で初めて知った)、それでも福島第一原発3号機他の基本設計に関わったものとして、自分たちの設計philosophyが否定されたとき、人間はどのような態度をとることができるのかを、ここで示されたのだと思う。
「この講演が技術者としての再出発になるだろう」と話されていた通りである。

「豊橋で講演している暇があったら、私財をなげうって被災者に償え」という人もいたが、自分が今できるのは、市民には原発事故を現場を知る専門家として分かりやすく解説し、これから現場に出る技術者(学生)には、自分の経験を誤魔化すことなく話し、未来への希望を托すことであるとされた判断を私は是とする。

学生たちはこれから現場で活躍できる技術者をめざして日々研究と勉強をしている。そういう学生に、純粋な学問の話だけではなく、組織や会社の現実の話を含めて、しかしどういう技術者を目指してほしいかを熱く語られた。その思いは多くの学生に伝わったようで、統一書式のアンケートの中に私が無理矢理入れ込んだ、

本講演は、技術者としての現在の自分自身を見つめ直したり、自分が将来なりたい技術者像について考え直すきっかけになりましたか

という質問に、コメントとともに「はい」と答えていた学生が非常に多かった。この講演を契機に、技術者とは何か、自分はどういう技術者を目指すのかをよく考え、志を高く持ち、夢を持ち、真に高度な技術者になってくれる学生が多くいることを心から願っている。そしてそれが現実のものとなることを私は信じて疑わない。

市民の方も非常に熱心で、質疑応答時間は非常に饒舌に自分の思いを語っておられた。翌日事務局にお電話頂いた方もおられたようである。

講演会の後、武道部の学生と卒業生、三崎先生と食事会を開催。講演会では聞けないディープな話を堪能した。

そう、「人間力」養成プロジェクトメンバーの三崎先生と三木先生も強行スケジュールで駆けつけてくれたのである。渡辺先生を含め3人を駅までお迎えにいってくれた絵実子さんが、

あの3人の先生、会った瞬間から、ず~~としゃべり続けてますよ

と楽しそうに私に話した。

いつもやで~ プロジェクトの全体会議は、会った瞬間から別れるまで、3日間くらいず~としゃべりまくってんねん。

と答える。さらに絵実子さんがこう言った。

でもきちんと人の話は聞いた上で、自分の考えを話しておられるから、聞いていてとても面白い。自分もそこに違和感なく入れてくれるし、話していてとても気持ちいい。いいですね~

その通りである。初めて会った人であろうが、どこの誰であろうが、そんなことはどうでもいい。今話題になっていることに、オープンマインドで入ってくる人は歓迎である。自分たちが知りたいこと、語りたいこと、掴みたいことを一緒になってめざす流れに乗る人であれば誰でもいいのである。だからとても楽しいし、得るところ大、なのである。

会ったこともない先生3人を駅までお迎えにいって、後部座席で3人並んで熱く語っている先生方の話に、普通はなかなか入れないものだと思うが、絵実子さんは、助手席から参加したようである。それを自然にさせてしまうものを3人の先生が持っているのであり、絵実子さんも自然とそこに入れるオープンマインドを持っているからである。

いきなり本質的な話をず~とし続けて、凄いですね~

と絵実子さんが三崎先生に言ったら、

あたりまえやん。そのためにきたんやから。直接話を聞ける、こんな貴重な機会はめったにないんやから。自分の疑問も解けるし、学生の指導にも使えるし。

と答えられたようである。その三崎先生は、終電に間に合うように食事会を中座し、タクシーで帰られた。私と小野くん(三崎研究室、ロボコン出身で、現在武道部創部10周年記念演武会実行委員長)がお見送りした。当然のごとく私たちはタクシーが見えなくなるまでお見送りしたのであるが、小野くんが本当に心を込めてお見送りをしているのがひしひしと伝わってきたし、タクシーが見えなくなる直前に、深々と礼をしたのがとても印象的であった。

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講演・福島第一原子力発電所事故を巡る技術者の「危機意識」と「人間力」

(このエントリーは6月2日まで一番上に表示されます)

講演会のお知らせです。

福島第一原子力発電所事故を巡る技術者の「危機意識」と「人間力」
沼津高専特任教授 渡辺敦雄氏

〈今回の技科大での講演は、技術者としての私にとっての再出発点になると確信している〉

6月2日渡辺先生講演ポスター2.jpg

日時:2011年6月2日(木) 14:40~16:40
会場:豊橋技術科学大学 講義棟A-101
聴講:自由
お問い合わせ先:
豊橋技術科学大学 高等専門学校教育と連続する「らせん型技術者教育」モデル
―持続型社会を創造する実践的建築・都市デザイナーの養成―プロジェクト事務局
Tel 0532-81-5111(内線7031)
Fax 0532-44-6831
E-mail rasen@ace.tut.ac.jp
   
渡辺先生は、「人間力」養成プロジェクト(高専連携教育研究プロジェクト)のメンバーの1人である。その渡辺先生は以前東芝の原子力事業部におられ、福島第一原発3号機などの基本設計を担当された。
 
実際に設計に関わり、現場も知っておられる先生が、今回の事故を前に、何を思い、何を語ってくれるのか。特にこれから技術者として現場に出る学生たちに、何を語り得るのか。
私はそれをとても楽しみにしている。

実際に関わった技術者として、今回の事故は非常にショックだったはずである。しかし、それを誤魔化すことなく、学生と一般の方の前に出て来て語って下さる。私はそのことに対して敬意を表するものである。

本人も「再出発点」と言っておられるが、今回の講演は、長年その道で生きてこられた1人の技術者の再生の場となるだろう。
そのような場に出会える機会は、滅多にない。

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神山睦美『小林秀雄の昭和』

現象学研究会のメンバー、神山睦美さんに『小林秀雄の昭和』(思潮社)を頂いた。先だって、鮎川信夫賞(詩論部門)を授賞された本である。

神山さんらしい粘り強い思考が展開されている。
私にとって小林秀雄は「神」であるが、神山さんにとってはそうではないようだ。だからあの時代の中で、小林が何を感じ、何を考え、何を考えられなかったのか、その時代において小林の思考が届かなかった場所に足を踏み入れたのは誰か、ということを時代を追って考えられている。
「神」になった小林からさかのぼって見てしまう私にはない視点が盛り込まれていてとても勉強になった。受賞が「詩論部門」というのもいいと思う。

神山さんといえば、私が院生の頃初めて書いた論文に感想を下さった方である。当時私のまわりでは、罵詈雑言の嵐だった。特に院生の合評会はひどかった。

文体が軽すぎる
論文の文体ではない
時代遅れの思想である
主人公と作家を混同している
こんな論文を載せたら雑誌のレベルが下がる
なんでこんな論文書いたん?

当時はまだ「論文の文体」なるものが確固として存在すると信じる人が多かったし、思想的にはポストモダン全盛期だったので仕方ない。それに今から見ると、自分でもひどいと思う。しかしもちろん私はいい加減に書いた訳ではない。批判の矛先は、全部自分が意図してやったことだったからである。ただ力がなくてうまく表現できなかった。それは認めます。はい。

編入してすぐ、先輩同輩問わず院生たちから罵詈雑言を浴びせられ、先生(堀師匠ではない)にも呼び出されて教育的指導を受ける中、竹田師匠と神山さんだけが「そんなことないよ」と言ってくれた。竹田師匠はこう言ってくれた。

中森くんが拘っている問題と言いたいことは自分にはよく分かる。それはこうこうこういうことだろ?でもこの言い方だとそれはうまく伝わらないよ。

まさしくこうこうこういうことだった。

神山さんは「ビビッドな文体だ」と言って下さった。

そのお陰で私は研究を続けることができたのである。

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どうなってんの??

 二日続けて同じ本が届いた。
古書である。
どうも、二日続けて同じ本を別の本屋さんに注文したらしい。
なんで~
これまでも前に買った本を忘れて買ってしまうことはよくあったが、二日続けて同じ本を買うとは。
どうなってんの?
僕の記憶力。

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京都、母

少し前のことになるが、3月末に京都に行った。清水寺や銀閣をまわり、夜に宿から母に電話した。今回の震災の直接の被害はなかったけれども、精神的なダメージを受けていることが心配だったからである。

私の母は、4歳の時大地震にあい津波に襲われた。そして母(私の祖母)を亡くした。母はその事を私にほとんど話したことがない。だから子どもの頃は、母がなぜそんなに地震と海を怖がるのか分からなかった。ほんのちょっとした揺れでも敏感に反応し、海も極度に怖がった。その理由が分かったのは、大きくなってから叔父がその津波のことを話してくれたからである。

翌日、京都国立博物館で「法然」展を見た。見ているうちに少しずつ元気が出て来た。そして豊橋に帰ったのである。

あれから1週間、新年度の行事はどんどん進んでおり、明日から授業もはじまる。

それにしてもやはり原発が気になる。

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震災の後で

久しぶりの更新。

東北・関東大震災。
私は体調不良が続いており、その日も熱があって、研究室のテーブルで寝ていた。えらく長く揺れた。しばらくして学会で東京に行っていた武道部員から無事を知らせるメールがきた。そして徐々に状況を知ることになったのである。

それからもずっと体調不良が続いたが、それに加えて、じわじわと自分がおかしくなっていくのが分かった。それは阪神・淡路大震災の記憶、身体の奥底に染み込んでいた記憶が蘇ったものであることは明らかであった。あの時、自分自身は大して被害を受けなかった。しかししばらくしてじわじわと心と身体にダメージが染みこんでいった。そこから救われたエピソードについては前にこのブログでも書いたことがある(これ)。

このエントリーには、私は「書くこと」の意味を失ったのだと書いたけれども、実はそれは、自分の生きる意味であった。そしてあのとき、加藤さんに救ってもらい、もう大丈夫だと思っていたが、雑事に追われる日々を送るうちに、あのときの気持ちを忘れていたようだ。

しかし今回は、2週間ほどで精神的には大分回復してきた。自分が書きたいものを今書いている、という思いもそれを助けてくれた。幸いにも被災しなかった者として、いつまでも沈んでいる訳にはいかない。
体調も回復した。
ブログも復活したい。

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体調の悪い日が続く

5日
体調最悪のため病院へ。
インフルエンザではなかった。
武道部終了間際に顔を出す。
尚志館も見学。

6日
形特別講習会。
体調はそれほどよくなかったが、ノリノリでやってしまった。
正座の半回転(もちろん横ですよ~)が正しくできない人は前に座れないという話をする。
神前に対して礼をした後、お互いに礼をする前に、前に座っている指導者は半回転して道場生の方に向く。正しくない回転を毎回稽古の度に見せられては、道場生も困る。

他にもジャージ投げ?などいろいろやって遊ぶ。

終了後マスターお薦めの天ぷらうどんを食べに行く。
出て来たときにピチピチ音が鳴っているというのだが、果たしてその通りであった。

車の点検に行った後、研究室で、神保町の収穫DVDを見た。
無性に懐かしくなって、師匠の動画も久しぶりにみた。
さらには自分の10年以上前の動画も見た。
なんかいろいろ懐かしい。

7日
今日もまだ体調の悪い日は続いている。
朝からニシクボくんが来る。
部長の心について少し話をする。

その後、ヤマギワくんが来る。
武道の心について少し話をする。
彼はとても武道を愛している部員なのである。

その後は、何度も鳴る業務電話の合間にブログを更新しているのである。

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