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堂宮大工の技ー実演・体験会
- 2010-12-05 (日)
- 日記
4日。鉋の体験会。
「棟梁ー堂宮大工の世界」展のイベントで、「堂宮大工の技ー実演・体験会」に行く。体験会は13時30分からだったが、会場が開く9時半に着。なんと私たちの整理券は2番から。私たちより強者が一人いたのである。定員が20名だったので武道部員には声をかけなかったが、HPも見ているし、小川さんの講演会にも来ているので、当然ほとんどの部員はこの体験会のことを知っていたようだ。
「行ってもいいですか」とニシクボくんとヨシダくんが聞いてきたが、分散した方がいいので、「できれば別の日にして」といったら、その後の日には武道部員何人かで薬師寺に行くので4日しか行けないという。しかも薬師寺も日を変えられないという。私たちも4日しか行けない。仕方ない。
ということで体験会に参加。小川さんの講演会質問していた子どももいた。プロの大工さんもいた。実にさまざまな人が、いろんな興味から堂宮大工の技を体験にきたようである。
その技を指導して下さるのは、竹中大工道具館技能員の北村智則さん。そう、小川三夫棟梁から最初に二宮金次郎像をもらった方である。
最初に北村さんの実演。美しい。鉋屑も美しいし、姿勢も動作も美しい。そして香りが素晴らしい。木による香りの違いを体験させていただく。そして鉋をかけらた木の手触り。光沢。
さて、いよいよ体験。真似してるつもりが、全然違う。しかしそれでも、思っていたよりはうまくできた。が、北村さんのと比べると、私の鉋屑にはムラがある。って、比べるのが失礼である。槍鉋もやらせていただいた。
そんなこんなで、何種類かを体験させていただく。あまりの気持ちよさに、ずっとやっていたくなる。ほんと気持ちいいいのだ。
しかし、あまりの希望者の多さに、急遽2部制になり、予定より30分以上早く終了。第2部も20名を遥かに超えていたようである。
終了後は、いつものように感想会。みんなテーブルに北村さんの鉋屑と自分の鉋屑を並べて楽しく語り合った。
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五体の休日
- 2010-11-29 (月)
- 日記
29日。
五体治療院へ。今日は治療院休みでしょ。
でも、この方もやってきたし。
タクちゃんとツーショットも撮ったし。
で、何しに行ったかって?
もちろん、サイコガンの練習です。
って、セーターの色、違うくない???
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棟梁ー小川三夫さんトークショー
- 2010-11-28 (日)
- 日記
28日。「棟梁ー堂宮大工の世界」展、小川三夫さんの講演(トークショー)。
東京の時にも行った巡回展である。神戸のツアーには抽選で外れたので、今回楽しみにしていた。
午前中、展示の見学。何度見ても素晴らしい。道具館の館長さんが展示説明をして下さった。これが実に熱のこもった解説であった。
好運にもまたしても講演前に小川さんに会えた。ご挨拶と立ち話をちょっとして、早めの昼食。その後、会場入口で並ぶ。開場してからもどんどん席がうまっていき、開始前に400席余り用意された席が満席となった。
私の最大の目的は、小川さんの存在を感じることなので、講演前にもうほとんど目的を果たしていたが、その後2時間、その存在感を十分堪能できた。
「欲を出したらあかん」。もちろん小川さんはそうおっしゃった訳ではないが、小川さんに会うと私はいつでもそう感じる。「欲を出したらあかん」。だから、今日も会えただけでもう大満足なのである。
しかし幸せなことに講演も聞けた。しかもいつものようにとても面白い。昨日のエントリーとの関連でいうと、これは前にも聞いた話であるが、小川さんは、お弟子さんの、鉋をかけたい、かけたいという思いが満ちてきて、ここ、と言うときに鉋を貸してやるのだそうだ。その時、自分が持っている一番いい鉋を貸してやらなければならない、そうおっしゃった。そうすれば、その次から、そのお弟子さんは、見違えるようになるのだそうだ。研ぎなども全く変わるという。これが、昨日書いた、「手をさしのべる」ということである。教えるのではない。弟子に感じさせるのだ。ふさわしい「時」に、ふさわしい実感をさせる。この「一番いい鉋でなければならない」というのが私には非常によく分かる。今までの自分の研ぎと鉋かけは一体なんだったのだと思うに違いない。そして本当の鉋かけの感覚を一度味わってしまったら、もう止められない。もう一度味わいたくて仕方なくなるだろう。今度は自分の鉋で。
今回印象深かったのは、質問に対する小川さんの答えである。大工さんを目指している小学生からの質問。
一本の木に何回くらい鉋をかけるのですか?
小川さんはこう答えられた。
その大工さんが、もうこれでいいと思うまでかけるんです。
感動した。さすがという他ない。
終了後、学生たちと夕食、さらには二次会へ。こちらも楽しく時を過ごせた。
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古武道審査とチンパンジー
- 2010-11-27 (土)
- 日記
27日。
武道部の古武道審査。全員無事合格。審査を見ていて、改めて「継続の威力」を感じた。そして好きになることの大切さ。キャリアに応じて上手くなっているし、今度上級に合格した部員は古武道が好きで、演武会などでも結構やっている。
ただし、このあたりが今の限界だろう。そしてここを乗り越えれば、いよいよ黒帯である。素手でも武器を持っても、そこにはその人自身が現れる。素手の形が丁寧な人は、古武道の形も丁寧だし、つまりはその人が丁寧な人間だということである。そういう人は、万事が丁寧なのである。
素手の稽古から逃げて古武道に走った人もいる。稽古をすればそれなりに上手くなるが、そこに現れる自分自身は誤魔化すことができない。今の自分という人間の枠をうまく突破できれば、素手も古武道も一挙に上達する。それが次の審査までの課題となるだろう。講演会にいくのもその一つである。
昼食を学食で皆と一緒にとって、午後からその講演会へ。今回は松沢哲郎氏(京都大学霊長類研究所所長)の「チンパンジーから見た世界」。ものづくりフェア2010in東三河記念講演・(豊橋技術科学大学)榊プロデュース 第9回プレステージレクチャーズの講演である。武道部からは17名が参加。
「人間とは何か」を考える上でも、「教育」を考える上でも、武道の修行について考える上でも、また自分の生き方を考える上でも、非常に刺激的な内容だった。
私は、恥ずかしながら「四手動物」という概念を初めて知った。今まで足だとばかり思っていたけど、実は手だったのね。この問題は「歩く」「走る」を考える上でも、非常に示唆的である。
またチンパンジーの「教えない教育・見習う学習」は、徒弟制度に近く、私が提唱している「逆説の教育」に通じるものである。
だが大きな違いがある。松沢さんは、チンパンジーは「今、ここ」を生きているのに対して、人間は、想像力の空間的・時間的スパンが大きいゆえに、希望も絶望もある、とおっしゃった。そこが「人間」なのだと。その通りだと思う。
親の石器を使う様をじっと見習っている子どもチンパンジーは、4~5歳まではそれを習得できないそうだ。つまり、4~5年間何も教えてもらえず、ただただ見て真似るのである。そして「今・ここ」を生き、将来を絶望しないチンパンジーでさえ、ある限界を超えると、習得を諦めてしまう子もいるのだそうだ。
まして、余計なことをごちゃごちゃ考え、目の前のことに一喜一憂し、時に絶望したり、歪んだり、ルサンチマンをもったりしてしまう人間にとって、この「教えない教育・見習う学習」は大変難しい。しかしそれにも関わらず、これこそが教育の原点なのである。限に、今でも高度な技術を伝承する所では、例外なくこの教育法が採用されている。それを私は「逆説の教育」という言い方で提唱しているのである。
「逆説の教育」においては、「動機」が非常に重要となる。まず、そのことをやりたい、それに憧れるということが大前提である。これはチンパンジーも同じだろう。だがチンパンジーと違って人間は、それを継続する動機を求めたくなる。普通は、それをやり続けることによって、さらにそれをやることが面白くなってゆくという、自動自己動機増殖システムが働く。だから親や教育者には、それがうまく働く環境作りが求められる。「この環境において、目の前のことをきちんとやり続ければ、自分にも出来るようになるかもしれない」と心底信じられる雰囲気の中で、やればやるほどもっとやりたくなるような環境である。
そして松沢さんが、「人間」の特徴としておっしゃった、「手をさしのべる」。いいタイミングでうまく手を出すことが、非常に重要である。これについては、明日の小川さんのところで述べることになるだろう。
もう一つ、チンパンジーと人間には、言葉の違いがある。人間は高度な言語能力を持つゆえに、高度な技術も可能なのだと思う。しかし、その高度な技術を身に付けるためには、その言語を捨てなければならない(言語から自由にならなければならない)という逆説が存する。師匠の技術は、言葉を離れ、生身の人間に即したところからしか、弟子の中に再生されることはない。
そんなこんなで、いろいろ考えることのできた講演会だった。
終了後、急いで尚志館へ。その後、講演の感想食事会。これまた全員、いろいろなことを感じたようで、楽しかった。
参加した部員は、非常に得るものが大きかったと思う。それを自分のものにできれば、参加しなかった部員がとても悔しがりますよ~
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島根3
- 2010-11-21 (日)
- 日記
21日。島根3日め。
今日は朝から日本近世文学会。いろいろ刺激をうけるいい発表が多かった。
俳文学会は、いろんな時代の発表が聞ける。近世文学会は、いろんなジャンルの発表が聞ける。今回そのジャンルについて質問が出た。もちろん一義的に厳格にある作品のジャンルを規定する必要はないと思うけれども、そこにはその作品をどう読むかということが自ずと内包されてしまうということだろう。
もうひとつ思ったのは、「従来は・・・」という言い方である。学会発表は、だいたいにおいて、「従来はこう考えられてきたが、私はこう考える」という形をとるが、この「従来」をどこに想定するかは、結構難しい。基本的には論文や著書で公開された言説であるが、しかしきっちりと論証されていないだけで、そこにいる人が既に「従来」とは違うように考えている場合もあるからである。発表の主旨とは無関係に、そんなことをいろいろ考えた。
ともあれ、いい学会だった。開催校や事務局の方々のご苦労に深謝致します。もうすぐ京都につくのぞみの中にて。
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島根2
- 2010-11-20 (土)
- 日記
20日。ちょっと早起きして出雲大社へ。
RAILWAYSの舞台、一畑電車に乗る。
なんとガイドまでやってくれた。
出雲大社前駅では、RAILWAYSで見たデハニ50形52号車も展示されていた。
「日本最古級の電車」の中にも入った。木の感触がいい。運転席にも座ってみた。運転手さんにはこんな風に見えてるんですねぇ~
今日は出雲大社は、縁結大祭。えらい人だった。正月どころではない、とバスガイドさんが叫んでいた。
が、なんとか焦らずゆったりした気持ちで参拝できた。 本当はもっとのんびりしていたかったのだけれど、そうもいかない。大急ぎで古代出雲歴史博物館の展示を見て、蘇を食べて、再び出雲大社前駅へ。プルプルがなっていたが、「のりま~す」という人が何人かいたおかげで、私も乗れた。
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島根1
- 2010-11-19 (金)
- 日記
19日。20日からの日本近世文学会のため、島根へ。
最近電車に乗り間違えてばかりだから、用心して新幹線にのる。名古屋での乗り換えもうまくいった。
やれやれ、と安心していると、京都で二人連れのお坊さんが乗ってきて私の横に座った。むむむ、同じです。あたま。
どう見ても3人づれぇ~
そんなことを楽しみながら、岡山で「ゆったりやくも」に乗り換える。
途中の大山がきれいです
米子からシャトルバスで8年連続庭園日本一の足立美術館へ。
きれいですね~ でも私にはちょっと綺麗すぎるようです。
10年に一度という横山大観展も迫力があったが、陶芸館の魯山人のものがよかった。
宿は『出雲国風土記』にも出てくる玉造温泉。
これは宍道湖。
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シンポジウム・文脈を掘り起こす
- 2010-11-06 (土)
- 日記
6日。
昨日の竹田・橋爪対談に引き続き、日本文学協会第65回(2010年度)大会、国語教育の部に出席。テーマは〈文脈〉を掘り起こす―ポスト・ポストモダンと文学教育の課題―
今日は西研さんの登場である。事前にメールや電話でちょっと話していたので、非常に楽しみにしていたが、予想をはるかに超えて面白かった。
何より、期待通り、西さんが、他のパネラー、この大会のテーマ、そして日文協に対して、真正面から真摯に向き合い、自分の言葉で語ってくれたことが嬉しかった。基調講演では、特に須貝氏との違いがかなり明確だったが、それでも粘り強く対話を続けられ、最後の最後で、あっ、と思う通路が見えた。それは 須貝氏が、
西さんは分かり合うことの大切さを説いておられるが、私はそれを否定する訳ではなく、それと同時に、分かり合おうとする時に必ず生じる、分かり合えないことの大切さも大切にしたいのだ。それが私が今日、ずっと言いたかったことなのだ。
とおっしゃった時である(発言は私の記憶と印象によるものなので間違ってたらスミマセン。正確な発言は、後日発行の「日本文学」をご覧下さい)。
初めは非常に対立的に見えた両者だが、お互い真摯にディスカッションを続け、最後の最後にちょっと光明が見えかけた、そんなシンポジウムだった。
欲求不満になりがちなシンポジウムが多い中、このシンポジウムは大成功だったと思う。勝手なことを言わせてもらえば、日文協にとって非常に良かったのではないだろうか。聴衆も非常に真剣に聴いており、質問もたくさん出た。それほど刺激的で、深く考えさせてくれるシンポジウムだった。もちろんそれは3人のパネラーの、人柄と思想によるものである。
そして個人的には、やっぱ西さん凄いわ~と再認識したシンポジウムだった。
最近の私のテーマは「上機嫌」。先日お会いした内田樹さんもいつでも上機嫌。竹田師匠は講演も飲み会も上機嫌。西研さんもこのシンポジウムの状況でさえも上機嫌。ついでに私にこんなことばっかりやらせている?(というか、ほんとうは勝手にやってるんですけどね~)常人歩人さんは、治療中も上機嫌。
やはりツワモノはいつでも上機嫌なのである。
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地球市民の正義
- 2010-11-05 (金)
- 日記
5日 。
竹田師匠と橋爪大三郎さんの対談に行く。題して
地球市民の正義
すごいタイトルですね~
午前中は大学で雑用。12時43分のひかりで東京へ。
いつものようにコーヒーを買って改札を入って、ホームへ。私は13号車。ちょうどいい時間だ。新幹線が入ってきた。乗り込む。
この辺にする?
と女性二人組が話している。指定席なのになあ。ガラガラだから空いている席に座ろうとしてるのかなあ、と思いながら自分の席へ。荷物を置く。
いつものように入り口のテロップ?を確認。えっ!
こだま、名古屋行????
反対方向やん!
慌てて荷物を回収。何とか降りられた。確かにこだまは13号車は自由席です~
もちろん東京行ひかりは出た後。しかたなくこだまでのんびり東京へ行く。
ホテルにチェックインして、メールを書いて、いざ東工大へ。
最初に25分ほど橋爪さんの正義、戦争、軍事などのお話。実に明快。これほど明快な戦争や軍事についての説明を私は聞いたことがない。橋爪さんには竹田さんとはまた質の違う明晰さがあることを再認識。その後竹田師匠が20分ほど話し、対談へ。
二人は哲学と社会学という立場を強調しておられたが、ほんとうは竹田青嗣と橋爪大三郎の個人戦である。この個人戦が実にスリリングだった。それぞれの立場と方法論が全く違う。しかし現状認識と大きな展望には深い共通理解がある。だから微妙にずれているようで、交錯しているようで、この間合いが実に微妙である。そこに橋爪さんの意図的な挑発があり、議論は白熱するのである。
「善意」の哲学者竹田青嗣に対して、
善意を持っているだけでは何の役にも立たない。
と言い放つ。大事なのはメカニズム作りだと。
この点については、対談では軽く流されたが、後の懇親会で私が橋爪さんに質問したのをきっかけに大いに盛り上がった。
よく考え抜いた思想がぶつかるとこれほどスリリングになるのか、というほど面白かった。非常に難しい問題の核心を極限までシンプルにしてしまうことに関して、この二人は双璧である。そして竹田さんは「私の感度」から絶対離れないし、橋爪さんは「学問」を絶対離さない。橋爪さんのエネルギー革命構想も大変面白かった。
2時間があっという間にすぎて対談終了。その後飲み会へ。先に書いた「善意とメカニズム」の問題など、議論が白熱(というか竹田師匠が熱く語る)。
解散後橋爪さんは自転車で颯爽と去っていった。さすがエネルギー革命の方である。
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