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日記 アーカイブ

静電気のついた珈琲の粉と常歩人Tシャツ

今日はいろいろ行った。
午前中武道部。演武会の稽古。みんな大分盛り上がってきた。劇の稽古も本格的にやった。ハヤシさんの腕に期待。
 昼食後、マスターのところへ。ミルについて質問。今使っているミルは、機械が一体化されていて、ひいた後、機械ごと逆さまにしてドリッパーに入れないといけない。結構重いし、粉が残るので嫌だと言うと、

 その静電気でついた粉を使うか使わないかですよね。

 えっ? 勿体ないから出来るだけ使っていたけど。言われてみれば、その部分を使うか使わないかで確かに味が変わる。そしてマスターは豆を割って、そのことについて説明してくれた。その後その豆はもちろん食べた。
なるほど。また一つ勉強になった。今日は200グラム買って帰る。

 昨日の朝焼いた豆にしときました。変化を感じてみたら面白いですよ。

 しかし、同じ豆でも淹れるたびに味が変わる程度の腕で、豆の変化を味わえるのか?そういう意味のことを言うと、

 いいじゃないですか。色んな味が楽しめて。

さすがにどこまでも自由人である。

その後、空手衣をとりにネーム屋さんに。子どもの帯を買いに部道具屋さんに。そして尚志館。
ちょっと遅れて、常歩人Tシャツをきて颯爽と登場。
みんな目が点になってました(^^)v
 夕食後、研究室へ。weblTVc.jpg

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五体、デビュー!!

 木寺先生のご案内で五体治療院へ。
小山田さんとは、3月に初めてお会いして以来であるが、超オープンマインドの楽しい人である。しばらく談笑したあと、なぜか1人だけ宴会のおっさん仕様の木寺師範、

yukata.jpg

 よっしゃー、ワシが手本を見せたる!

と、颯爽と治療へ。
すぐさま悶絶。
monzetu1.jpg

←本人の名誉のため足だけ。
 さすがに指の先まで神経が行き届いていますね。


押忍! 師範、勉強させて頂きました!

次は私が悶絶。
monzetu2.jpg

←叫ぶ私の隣ですっかり気分良く寝てる木寺師範。

 残りの二人ももちろん悶絶。
ということで、無事治療終了。
起き上がってみて、びっくりです。
感覚がまるで違ってました。
その後も、談笑しながらいろいろと教えて頂きました。
いやー、楽しかった。あっという間に時間が過ぎてしまいました。
hundoshi.jpg

達人常歩ふんどし

gotaiall.jpg

最後に記念撮影。


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珈琲の淹れ方修行

 9日の日曜日。前に紹介した喫茶店のマスター(こちら)に、珈琲の淹れ方講座をしてもらった。メンバーは私を入れて5人(1回5人が上限)。

マスター「いつも家でやっているようにやって下さい。では先ず中森さんから。」

ということで、いつも研究室でやってるようにやる。

マスター「……」「うちの豆買っていってもらって、その淹れ方で飲んでいただいてるんですよね?」

中森「はい。すみません」(とひたすら恐縮)

 では次、どうぞ、ということで、エミコさんがやる。

マスター「いつもは何で淹れてますか?」
エミコさん「お玉です」
マスター「???」

とりあえずやる。残りの3人もやる。

マスター、「今日ほど、講座やってよかったと思ったことはありません。いやー、やってよかった~」「今までやっておられたことは全部忘れて下さい」。

 そんなこんなで修行開始。実に懇切丁寧に教えて頂いた。
マスターは何度も「感じて下さい」とおっしゃった。そして実際に、水を触ったり、目でみたり、色々やった。「ほら、この感じ、覚えて下さいね」。
 姿勢、バランス、体の使い方、呼吸、立ち位置、カップを置く場所なども教わった。基本的には武道で大切にしていることと同じである。しかし、それがなかなか出来ない。
 コーヒーポットから注がれる湯の太さ、勢い、柔らかさ等々。
「コーヒーポットの中の湯の量、状態、水面の角度が感じられてませんね」

うおー、面白かった。
最後に自分で入れたコーヒーを飲みながら、ケーキをいただきました。

 まだまだお伝えしたいことはたくさんあります。本当は、湯を注ぐところだけでも、何時間でもやりたいんですけどね。私らの修行時代は、こればっかり、何時間でもやらされました。もう「修行」なんて死語でしょう
けどね。でもね、あの時は、「なんでこんなことしないといけないか。掃除なんて何の関係があるのか」と思っていたが、今になって、その意味がすごくよく分かりますね。修行の経験の意味が。

 マスターは何度も、「もう『修行』なんて死語でしょうね」と少し淋しそうにおっしゃった。私は静かに聞いていた。

 今回のを「修行」というと、きっとマスターに悲しい顔をされるだろう。でも敢えて「修行」と言ってみた。
 またコーヒー修行に行きたい。coffee.jpg

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トラックボール、デビュー!

 トラックボールを購入。同僚が使っていて、ちょっと気になっていたのだが、マウスの調子が悪いので新しいマウスを購入しようと、サトル君にオススメモデルを問い合わせたとき、トラックボールのことも話題にした。そしてマウスとトラックボールの良さそうなものを紹介してくれたのである。

 いい。とてもいい。凄く気に入った。新しいもの好きなせいもあるかもしれないが、でも、いい。しばらく楽しめそう。

トラックボールは左手で操作している。右手にはペンタブレット。ちなみに真ん中のキーボードはRealforce(長らく使っていたHappy Hacking Lite2はXPマシンで使用中)。最強である。もちろん私は、ゲームもしないし、画を描くわけでもない。ほんとうはマウス1個あれば十分なことしかしない。

でも、いいわー、これ。

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巡り合いと即レス

 カンブリア宮殿は「理想の人材SP第二弾」。番組中で、日本マクドナルドの原田泳幸氏が社員にこういう話をしておられた。

 若いときにキャリアディベロップメントなんてあんまり考える必要はない。私のアドバイスは、日々、皆様の今の仕事、今の課題を期待以上にやり遂げる。これを繰り返していくと、キャリアは皆さんが作っていくのではない。世の中から巡り合いで、皆さんのところにキャリアがやってくるんです。

 人生とは「巡り合い」である。武道において、心身を開いて、常に即レス状態になっていることを説くのは、そうでないと、この「巡り合い」がうまく巡ってこないからである。あるいは、巡ってきてもそれに気付かず、逃してしまうからである。なぜそれが問題なのかというと、「巡り合い」にうまく同調できない武道家は、最終的に敗れてしまうからである。
 「今、ここに意識を集中して、やるべきことをきちんとやる」。それは、「即レス」、つまり余計なことをごちゃごちゃ頭で考えないで、開かれた心身で「今、ここ」に反応するということでもある。もちろん場当たり主義ではない。
 このあたりの感覚が、なかなか難しい。しかしこの感覚が分かってくると、「皆さんのところにキャリアがやってくるんです」という感覚が分かる。ここでは社員に向けて話されているのでキャリアの話であるが、実は私たちの人生において、ほとんど全てのものは「向こう」からやってくるのである。
 人間は欲望存在であるというのが、我が竹田師匠の欲望論である。そして欲望は「告げ知らされる」という形で、必ず「彼岸」(向こう)からやってくる。深い欲望であればあるほど、それは私の意識を越えて、向こうからやってくるのである。
 人やものとの出会いも一緒である。心身が開かれてさえいれば、つまり「即レス」できてさえいれば、出会うべき人とは出会い、出会うべきものとは出会える。一見主体性がないように見えて、それが真の主体性であるという逆説を、武道の心法は教えているのである。

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なんと、ひみつ箱が開いた

 前に書いた箱根の寄木細工のひみつ箱。12回で開くやつである。
 クリハラさんが挑戦。なんと開けてしまった。
 「こんなん知らんかったら絶対開けられへんで-」と言いながら僕が珈琲を入れている間に。さすがです。僕なんか説明書を見ながらでも苦労したのに。やはり人それぞれにいろんな才能があるのですね。

追伸)
これで、中の説明書を取り出すことが出来ました。よかった(^^)

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テクノロジーの進化と身体感覚

 1年生のオリエンテーション。
 まずは浜松のスズキ歴史館。「ゆっくり見ないと時間が余るほど時間をとってます」と聞いていたが、なんのなんの全く足りないほど面白かった。もっとゆっくり全ての説明映像を見たかった。また行こう。
 最初に見たのは、鈴木式織機。そこにあった映像で、織機の歴史が紹介されていた。地機(じばた)→高機(たかはた)→ちゃんから→足踏織機(あしぶみしょっき)ときて、鈴木式織機が登場する。その歴史は発明の歴史であり、画期的なテクノロジーの進化である。簡単に言えば、複雑なものも織れるようにもなり、生産性も上がり、操作も楽になった。しかしその映像を見ていて印象深かったのは、それに比例して、高度な身体感覚が失われていったということである。地機は、腰、足、手の微妙な操作を同時にやらないといけなかったが、新しい機械によって、だんだんそれが楽になってゆく。それ自体はいいことだが、身体感覚という点でいうと、だんだん退化していっているのである。
 それに比べると、車の普及が足腰を弱くしたなどといった体力的なことなんて大した問題ではない。補えるからである。もちろんそれは、車を使って短縮した時間によって失われた体力を補うために、時間とお金を使ってジムに通うというおかしなことにはなるのだが。
 しかし、身体感覚や身体操作は、「ちょっとジムに行って体力作り」、というのと訳が違う。一度失われたそれを取り戻すのは容易なことではないのである。
 テクノロジーの進化はよいことである。しかし、それと同時に、この失われつつある身体感覚と身体操作を伝承することもまた同時に大切なことである。特に新しい技術を創造してゆくことを使命としている本学の卒業生には、自分たちの技術によって何が得られ、何が失われるかをよくよく考えてほしいと思う。
 大分前になるが、画期的な質問システムを開発したと聞いたことがある。最近の学生はなかなか自分から質問をしない。馬鹿にされないかとか、冷たくあしらわれたらどうしよう、とかいろいろな心理的プレシャーがあるのだろう。しかし、メールを使えばそのハードルがかなり低くなる。だから誰でも授業中にメールで質問でき、それが他の学生にも有効な質問だと教師が判断すれば、瞬時に教室のスクリーンに映すことができるシステムなのだ。これで「誰でも簡単に質問ができます。」まさに画期的である。
 しかしこのシステムによっては決して教えることができない大切なことがある。それは、「質問とは、諸々の心理的ハードルを乗り越えてするものである」ということである。質問は、質問者によって発する前に鍛えられなければならない。今それを聞いていいのかどうか、この人に聞いていいのかどうか、どういう聞き方をすればいいのか、その質問をして馬鹿にされないか、などなどの心理的プレッシャーを乗り越えて質問は発せられるものである。本当に自分に必要だと思い、知りたいと思ったら、自らそのハードルを越えてきなさい、そういうハードルが必要なのではないだろうか。そういうハードルを自ら越える力を養成することは、大切な教育である。
 もちろん私は、このシステムが画期的でないと言っている訳ではない。逆である。画期的であればあるほど、それを使う人の見識が試されてしまうと言っているだけである。
 最初のハードルを低く設定して、徐々に上げてゆくということは有効である場合が多い。小さい成功体験の蓄積が非常に重要であることは、私もしばしば説いている。その意味で、このシステムもうまく使えば非常に有効だと思う。しかしそれだけに、使う人の教育観が試されている、非常に恐ろしいシステムなのである。そんなことを思いだした。
 それはさておき、各所に設置された映像は、どれも、スズキの方々が、情熱と工夫と技術によって、次々に新しいチャレンジをし、新しいものを生み出してゆくドラマがコンパクトにまとめられていて、素晴らしかった。最初にも書いたが、もっと見たかった。

 さて、その後は再びバスにのって中田島砂丘へ。各クラスで昼食をとり、自己紹介などをして、砂丘散策。砂丘を疾走するスズキの車。
って、これ歴史館でもらったミニカーです。
そんなことをして遊んで、3時半頃、無事大学到着。
CIMG6224.JPG


 その後尚志館へ。新しい技の感覚を試してみる。かなりいいみたいなので、さらに磨くことにしよう。

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新年度

 4月1日になると、学内の空気が前日とは一変する。1日は特に何も行事はないのであるが、それでもなぜか年度初めの空気になり、何となく慌ただしくなる。忙しさは昨日と一緒であるのに、ね。
 明日5日は、入学式。明日から本格的にガイダンス、そして授業が始まる。今度は、慌ただしさというよりは、賑やかになる。しかも雑多な賑やかさである。そして僕たちは、本当に時間に追われる。きちんと準備はしてあるのに、ね。

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ひみつ箱

 買って帰った12回ひみつ箱。開け方の説明書を見ながら開けてみた。開いた。閉じるときは逆に。えっ?閉じられない。なんで?順番通りにやってるのに……  てな具合で、いじくり回してるうちに、何とかマスターできた。しかしまあよくこんなものが作れるものだとただただ関心するばかりである。僕には絶対無理です。作るどころか、開け閉めができないのだから。
 さてさてこのひみつ箱。何を入れようかな?大切なものをいれよーっと。と考えているうちに、

 わーっ!! 開け方の説明書入れて閉じてもた。

 もちろんもうマスターしたから焦る必要など全くないのである。と思う。

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愛しあってるかい!

 『愛しあってるかい』といっても、清志郎ではなく、野島伸司脚本、陣内孝則、小泉今日子、和久井映見、柳葉敏郎ら豪華出演者によるあの伝説の学園ドラマである。
 その『愛しあってるかい』がDVDで発売されていると教えてもらい、即注文して、見た。もちろんリアルタイムで見ていたし、再放送も見たが、また見たいとずっと思っていた。前に随分探したのであるが、結局DVDは出ていないことが分かり、DVD化は難しいという情報もあったので、半ば諦めていた。それが見られて、本当に嬉ピー! って、出てから大分たっているではないか。全然知らなかった。
 このドラマ、野島さんはどう思っているのだろう。勝手な推測だけど、書いた直後からしばらくは嫌だったのではないかと思う。しかしもう大分時間がたったし、年齢も重ねられたので、今はむしろ微笑んで受け入れられているのではないかなあ。何度も言うが、全くの勝手な推測なので、間違ってたらすみません。

 それはともかく、久しぶりに見て、すっかり一平ちゃんモードになってしまった私は、この前尚志館の後みんなでご飯を食べに行ったとき、ついオーバーアクションで喋りまくっていたら、めずらしくクリハラさんが大笑いしてくれた。

 先生、それはやり過ぎですよ

 と笑いながら注意されてしまったくらいだ。心を開いて愛し合ってる人のパワーはものすごいのである。

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