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2010-07-13

「ものになる」ということ

 先日、「ものになる」ということを書いた(ここ)が、おそらくそれは、古畑任三郎の影響である。この前久しぶりに見ていて、その回の主人公であるマジシャンが弟子について「さて、この中で何人がものになるか?」と言っていたのが印象に残っていたのである。その時、そういえば最近「ものになる」という言い方をあまり聞かなくなった、と思ったのだ。
「ものになる」ということは、当然「ものにならない」者もいるということだ。そしてものになるかならないかは、弟子本人の責任ということである。
 この現代の教育観とは逆の価値観が大切だと思う。ものにならない者も多い。その前提があってはじめて、人はものになるのではないだろうか。

 それと学校の先生と生徒みたいな関係とも違いますな。百点を取らせるために先生が頑張るということはないんです。

 「徒弟制度」について西岡常一棟梁が語った言葉である。生徒全員をものにするために、先生が頑張る。そのことによって、ものになるということが非常に曖昧になってしまっているのである。

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