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2011-05

それは左に入れなければならない

歴史探検隊著『50年目の「日本陸軍」入門』(文春文庫)という本の「それは左に入れなければならない」(134頁)という節に、軍袴(ズボン)のはき方が書かれている。

 しかし、キチンと位置を確定しなければならなかったものがある。「腰ヒモは上り下りなきよう……」の前に次の一文が入っているのだ。
「睾丸は左方に容るるを可とす」
なぜこんなことまで決めなければならないのだろうか。右にあってはなにか不都合があるのだろうか。
 女性の場合は銃をかまえるときに片方の乳房が邪魔になるとは聞く。ギリシャ神話の勇婦アマゾネスなどは弓を射るために右の乳房を切除したというが、男性が戦闘する場合、左におさめなければならない身体上の問題があるのだろうか。
 こんなことを真顔で指示した軍隊というものは本当にわからない。何を根拠に、どんな価値基準によって判断したことなのか。
 「現在」の感覚では愚にもつかぬ呆れたこととしかいえないのだが、50年前は、古びた軍衣と旧式な装具を身につけ、一挺の銃さえ渡されずに、ただただフンドシをキリリとしめて睾丸を左におさめ、日本の男たちは戦場へと狩り出されていったのである。

睾丸を左に容れる。おお、左重心ではないか。
小山田さんがいつも言っている、前へ進むには左重心。
戦では前へ、前へと進め。そのためには睾丸を左に容れて左重心にせよ。
日本陸軍はそのことを身体で知っていたのだろうか。
でも左加重にはなるけど、左重心になるのかな?
たぶんなるんだろうね。

そのあたりはもうすぐ発売される

織田 淳太郎 (著), 小山田 良治 (監修)
『左重心で運動能力は劇的に上がる!』 (宝島社新書)

を読めば分かるだろう
って、宣伝???

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絵本の読み聞かせ

 久しぶりに授業ネタ。
1時限めの国文学1。先週齋藤孝さんの『読書力』(岩波新書)で大絶賛している絵本『ギルガメッシュ王のものがたり』『ギルガメッシュ王のたたかい』『ギルガメッシュ王さいごの旅』(岩波書店)について、

本屋さんを探したけど、どこにも売ってなかったのですが、誰かもってませんか?

と、ある学生がみんなに聞いたので、

僕もってるよ。来週持て来るよ。

ということで、今日持って行った。
ちなみに齋藤さん、次のように述べている。

楔形文字で粘土板に記されたギルガメッシュの物語は、ノアの方舟の原型とも言える話を含み込んだ壮大なものである。神話を構成する重要な要素に満ちている。友情と恋愛、英雄物語、生と死の物語、悪との戦い、旅など、物語の原型がほとんどと言っていいほど入っている。絵も素晴らしく、一枚一枚が壁画のようだ。色使いも美しい。ただ単にうまいというのではなく、神話の重みが伝わってくる荘厳さがある。……訳文も、文語体の迫力をところどころに生かしていて、申し分ない。とりわけ凄いのは、第三巻の『ギルガメッシュ王さいごの旅』だ。人生の問題が凝縮されていて、大人でも十分味わうことができる名作となっている。(116頁)

少し早めに教室に入って取り出すと、みんな興味深そうに寄ってきてくれた。そして集まって、「絵のクオリティーが高いよね」などと言いながら見てる。このあたり、この授業の学生は、身体レスポンスがとてもいいのである。

せっかくやから、読み聞かせやろうか。誰か読んでよ。

おおそれはいい、やろう、やろう、

と、これまたすぐ1人を残して聞く態勢に。身体レスポンスが最高である。
ehon2.jpg
読んでくれた学生がとても上手で、聞いているうちに、とても幸せな気分になった。学生もみんなとても喜んでいた。

その後、一人一言をやって、通常のディスカッションへ突入。今日は内田義彦さんの『読書と社会科学』(岩波新書)である。
これもいつもながら私が暴走したけれど、熱いディスカッションになった。

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浜松臨江寺の蝶夢句碑

浜松市の臨江寺にある蝶夢句碑の調査に行った。
『浜松市史』第二巻552頁に、写真を掲載した上でこう書かれている。

中でも方壺はもっとも敬慕し、寛政二年(一七九〇)蝶夢の句「村松やみとりたつ中に不二の山」を碑に刻んで、臨江寺の裏山に建てている。

お寺に着いて山門を入ろうとすると、左手に写真とよく似た形の石碑が……。「これやったりして」と思いながら、中に入って、奥の山の方へ。しかし裏山には入れない。ふむ。ひょっとしてと思いもう一度山門に戻る。
果たしてこれだった。

tyoumukuhi1.JPG
真ん中のがそれ。

しかしこの句碑、反対向きになっている。句が刻まれている面が壁を向いているのである。むむむ?

tyoumukuhi2.JPG
「寛政七乙卯年十二月廿四日遷化 門人造立之」と読める。

寛政七年十二月廿四日は蝶夢が亡くなった日である。むむ?? もう一度調べる必要がありそうだ。
とまれ、

ご住職曰く、
あれ、逆さまになってるから。直さんとね。二人くらいいたら出来るかなと思ってるんやけど。

ええっ~ 自分で地面掘るんですかあ?
今ならご住職と私、大の男が二人いますけど。

と心の中で思ったけれど、口には出さず、笑顔。
でも、句碑の土台ってどのくらいの深さなんだろう。以外に簡単に掘れるのかなあ、と考えているとだんだん興味が湧いてくる。いかんいかん。もうすぐ雨が降ってくる。
それにそのままの方が「裏見の句碑」として名物になるかもしれないし。

その昔裏山の崖崩れで出て来たのを山門のところに設置したとのこと。現在のご住職が来られたときには既に山門にあったらしい。ちなみに現在の山門は新しい山門である。

雨が降る前にお寺を後にする。合掌。

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朗報、Oさん、今年もマスターズ出場決定

関係者のみなさん、朗報です。

私の尊敬するOさんから、今年もマスターズの大阪代表になったと連絡があった。初出場だった昨年は、総勢16名で三重県まで応援に行った(こちら
ほとんどの部員は感動したようで、その後の稽古がとても熱心になったと記憶している。
何事においても、人間がチャレンジする姿はとても尊いものなのである。それを生で見られることほど幸せなことはない。

今年も応援に行ける人は行きましょうね。ちょっと遠いですけど。

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神山睦美『小林秀雄の昭和』

現象学研究会のメンバー、神山睦美さんに『小林秀雄の昭和』(思潮社)を頂いた。先だって、鮎川信夫賞(詩論部門)を授賞された本である。

神山さんらしい粘り強い思考が展開されている。
私にとって小林秀雄は「神」であるが、神山さんにとってはそうではないようだ。だからあの時代の中で、小林が何を感じ、何を考え、何を考えられなかったのか、その時代において小林の思考が届かなかった場所に足を踏み入れたのは誰か、ということを時代を追って考えられている。
「神」になった小林からさかのぼって見てしまう私にはない視点が盛り込まれていてとても勉強になった。受賞が「詩論部門」というのもいいと思う。

神山さんといえば、私が院生の頃初めて書いた論文に感想を下さった方である。当時私のまわりでは、罵詈雑言の嵐だった。特に院生の合評会はひどかった。

文体が軽すぎる
論文の文体ではない
時代遅れの思想である
主人公と作家を混同している
こんな論文を載せたら雑誌のレベルが下がる
なんでこんな論文書いたん?

当時はまだ「論文の文体」なるものが確固として存在すると信じる人が多かったし、思想的にはポストモダン全盛期だったので仕方ない。それに今から見ると、自分でもひどいと思う。しかしもちろん私はいい加減に書いた訳ではない。批判の矛先は、全部自分が意図してやったことだったからである。ただ力がなくてうまく表現できなかった。それは認めます。はい。

編入してすぐ、先輩同輩問わず院生たちから罵詈雑言を浴びせられ、先生(堀師匠ではない)にも呼び出されて教育的指導を受ける中、竹田師匠と神山さんだけが「そんなことないよ」と言ってくれた。竹田師匠はこう言ってくれた。

中森くんが拘っている問題と言いたいことは自分にはよく分かる。それはこうこうこういうことだろ?でもこの言い方だとそれはうまく伝わらないよ。

まさしくこうこうこういうことだった。

神山さんは「ビビッドな文体だ」と言って下さった。

そのお陰で私は研究を続けることができたのである。

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空海からのおくりもの&現象学研究会

6日。
久しぶりに現象学研究会に出席できる。
その前に、印刷博物館による。

企画展「空海からのおくりもの 高野山の書庫の扉をひらく」を見る。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/110423/index.html

知らないことだらけで、とても面白かった。恥ずかしながら印刷博物館にも初めて行ったが、あんなにいろいろ展示してあるとは知らなかった。今度またゆっくり行ってみたい。

図録も素晴らしい。
表紙は高野版の版木、綴じは粘葉裝をイメージしてあるそうだ。いいですねえ~
http://www.printing-museum.org/blog/?p=3626

その後現象学研究会へ。
会場近くのコンビニでお茶を買っていたら竹田師匠が入ってきた。

中森くん、傘もってる?
もってますよ~
入れてって。

という訳で、師匠と仲良く相合傘で会場へ。

今日はフッサール『イデーンⅡ-2』の最終回。
相変わらずハードな文章だった。
しかしこれでもかこれでもかとこだわるフッサールがなぜか愛おしくなった。

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あなたのやってることに意味があるの?

少し年上の友人からメールがきた。この前「国語と国文学」に書いた論文の感想を頂いたのである。簡単なお褒めの言葉の後に、次のような意味の言葉が添えてあった。

自分はこれまでやってきた研究に意味がないのではないか、ではなぜ意味がないのか? と疑いながら研究を続けている。だから自分の研究対象、あるいは文学研究そのものに意味があると信じきっておられる多くの方から嫌われます。

だから私は彼が信頼できるのである。
文学研究の表現の出発は個人的意味である。まずそこで自問自答がある。文学研究の「思考」の強度は、ほとんどそこでの思考の深さと相関している。

表現するとは、その個人的な意味が、他の人にとっても意味があるかどうかを問うということである。つまり、固有の意味に何とかして普遍性を持たせようとする試みなのである。だからいつでも、意味があるかどうかは、「意味があった」という形で事後的にしか判定できない。

私はそう考えているのだが、ついつい雑事にかまけて怠けてしまうのである。そしてときたま、「俺は何やってたんだ~」とショックをうけるのであるが、彼のメールは、

あなた、それを忘れてないでしょうね?

という確認の声だったのである。

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