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2012-05
金環日食
- 2012-05-21 (月)
- 日記
5:00起床。
5:30出発。
家を出たときは雲はあったがまだ少し晴れていた。
しかし日食が始まるころには雲が広がってきた。
もう雲しかない。
「欠けてる、欠けてる」というツイートと、ワンセグ中継を見ながら、雲を見つめる。
だんだん雲がうすくなってゆく。
希望をもってただただ待つ。
待った甲斐があった。
アップで。
その後は見えたり曇ったり。
見えた瞬間をなんとか捉える。
貴重な経験だった。
天に感謝である。
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豊郷小学校旧校舎群、ヴォーリズさんの設計室
豊郷小学校旧校舎群、と旧八幡郵便局で開催されているヴォーリズさんの設計室展にゆく。
が、金環日食の話を先にアップしたいので、この日の話題は22日に書きます。
申し訳ありません。
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演武会の準備も
だいぶ調子がよくなってきたので、久しぶりに武道部の稽古で動いた。
第8回演武会の学生の演目もほぼ決まった。
今年の演武会は完全に学生だけでやっているので、私はノータッチである。演目も初めて見た。
かなり稽古の成果が出ているのと、まだまだ稽古不足のものがあったが、これからガンガン稽古するだろう。
これまでと少々違う演武会、私も楽しみにしている。
皆様方もぜひお越し下さい。
詳細はまた後日お知らせします。
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アジア遊学152『東アジアの短詩形文学 俳句・時調・漢詩』
- 2012-05-18 (金)
- 日記
アジア遊学 152『東アジアの短詩形文学 俳句・時調・漢詩』(静永健・川平敏文編 2012年5月29日 勉誠出版)が刊行された。
私も「日常を生きる詩―俳諧は老後の楽しみ」という拙文を書いている。
目次は下記の通り。
【目次】
〈みじかいうた〉に咲く宇宙(コスモス) 静永健
雪・月・花のとき君をおもう―平安京、白楽天詩ことはじめ 静永健
漢詩の歌枕―詩跡 佐藤浩一
名作の楽しみ方―王之渙の「鸛鵲樓を登る」詩について 陳翀
王維のクオリアを探る―「輞川集」にみる〈光と音の交錯する世界〉 内田誠一
中唐の名句名言―人生の四季 諸田龍美
清風明月 人の管する無し 中尾健一郎
日本人が読んだ陸游―『増続陸放翁詩選』所収の絶句について 甲斐雄一
唐宋詞の名句―『草堂詩余』から 萩原正樹
藤原宇合の『論語』受容 ―『懐風藻』所載藤原宇合詩序二篇を手がかりとして 髙田宗平
仇を報ずるに恩を以てする―家康立功の大秘文 大渕貴之
三章六句の抒情―「時調」 中尾友香梨
時調と“サラン”―K-Popを考えながら 兪玉姫
韓国国際俳句の最新事情―郭大基氏の韓国俳句研究院の活動 東聖子
タガログ語ハイクについての考察 ―Gonzalo K. FloresとJose V. Panganibanを中心に 酒村有希
菊の生命―芭蕉句「起きあがる菊ほのか也」について 金田房子
日常を生きる詩―俳諧は老後の楽しみ 中森康之
ひらがなの漢詩―仮名詩史補綴 川平敏文
『北里歌』論―吉原を舞台とする詩画の交響 池澤一郎
北条霞亭の悼亡詩 小財陽平
日本における『三字経』の変容―三字句が生み出した世界 玉城要
明治文人と寒山 鄭文全
掌中の「月」―漢詩の「月」と日本人 土屋聡
俳句の客観ということ―高浜虚子の場合 井上泰至
十本の指、漂う手袋―近代俳句と小説の描写について 青木亮人
川柳こそプレカリアートの詩―鶴彬から乱鬼龍へ 楜沢健
大震災と詩歌 長谷川櫂
あとがき 川平敏文
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正岡子規『なじみ集』
たまには俳諧ネタ。
平成21年に世に出た正岡子規の『なじみ集』の翻刻版を入手した。
松山市立子規記念博物館から、翻刻版と複製版が発売されている。
この本が世に出たときの入札会の下見に私も行った。しかし長時間ずっと熱心に見ておられる方がおられ、新幹線の時間もあり、見るのをあきらめて帰った。
翻刻版とはいえ、ようやく中身が見られるのは嬉しい限りである。
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すぐに役立つことは…
- 2012-05-16 (水)
- essay
すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる、労力をかけて学んだことは、いつか必ず役に立つ。
話題の元灘中学・高校の国語の先生、橋本武先生の言葉として新聞に紹介されていた(朝日新聞2012年4月21日)。
国語は学ぶ力の背骨である。
とも。
記事には、学生時代、「大漢和辞典」の諸橋轍次さんの仕事を手伝ったとある。歴史の重みを感じずにはいられない。
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コナンのマエチン
- 2012-05-14 (月)
- 日記
この前、「名探偵コナン 11人目のストライカー」にマエチンが出てなかったとブログに書いたら、
ででたはずだけど~
というクレームが殺到。
調べてみると確かにこんな記事が。
http://www.jsgoal.jp/photo/00094300/00094375.html
コナンくんもヤマハスタジアムに来たみたいです。
http://www.jsgoal.jp/photo/00094300/00094374.html
私が出てなかったと言ったのは、本人の声の出演のことでした。
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素直な人は伸びる
今日は撃砕特別講習会。
今までの動きは何だったの?というくらい、これまでと全く違う動きの稽古をした。これまでも断片的には稽古したり説明したりしたことがあったが、きちんとやったのは今回が初めてである。
みなさん最初は大混乱していたが、次第に感じをつかんでいったようだ。さすが黒帯である。今までの動きや考え方を全部捨てて、その場で一から新しくやらないといけない。これができた人から新しい動きができるようになる。これまでの自分に執着すればするほど次の段階にいくことができない。もちろん全く違うと言っても、これまでのことがきちんとできていないと次の動きも出来ないようになっているから面白い。
ある先生が前にこういう話をされていたことを覚えている。
毎年、年に1回習いに来る外国人が、「来るたびに変わっている」と言う。それは私も進化(深化)しているからで、仕方のないことだ。武道は素直な人が伸びるというのはその通りで、素直でない人は、「どうせまた変わるだろう」と思って、今、きちんと習おうとしない。そういう人は伸びない。
師匠も稽古を続け、成長を続けているのだから、師匠が変わってゆくのは当たり前である。一方の弟子も成長してゆくのだから、変わってゆく。どちらにしても、その都度その都度変わってゆくのである。武道には普通にあることである。しかし最近は、師匠の言うことが変わることに、不審感をもつ弟子もいるらしい。あるいは、どうせまた変わるから今は適当にやっておいて、もう少し進化してからまた習えばいいや、と思う弟子もいるのかも知れない。あるいは師匠の変化についていけず、ただ混乱しているだけの弟子もいるかも知れない。いろいろいるだろうが、結局、今、この場で、師匠と自分をどのくらい信じられるかにかかっているのである。
師匠を信じるとは、師匠の真似をするということである。自分を信じるとは、変化を恐れないということである。
「これまではこうだったのに」ということに執着していると次に進めない。来年また変わるかも知れないと思うと、今習っていることが無駄になると思えてきて、真剣に稽古できない。どちらも稽古する意味がない。
過去に執着せず、未来にとらわれず、「今、ここ」に集中できる人。これを武道では素直な人というのである。
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取材
フランスのTV「Le Grand Tour」の取材で上野の下谷神社大祭に行く。
スタッフと東京駅で待ち合わせてまずは昼食。お蕎麦を頂きました。みなさん見事な箸さばきでした。
その後下谷神社に到着。
舞殿
お神輿が出る前に、まずは私の参拝の様子を撮影。
レンズを変えていろんなカットの要求がありました。担当のカメラマンは完璧主義なのだそうです。半日一緒にいてその動きを見ていても、プロフェッショナルを感じました。要求を聞いていると、番組になったときの全体像が頭の中にあって、そのためにこのカットが必要だということが非常に明確にイメージされているようでした。さすがですね。
御神輿
インタビューは、細切れでいろいろな場所で行われました。テーマは「武士道」。
お神輿をバックに歩きながら、とか。残念ながらこれは人が集まり過ぎて収集がつかなくなり途中で中止しました。
出発~
お神輿も人もたくさん集まって来ました。
暗くなるととても寒くなりました。でもこれしか服がない。もっとも、たとえあったとしても同じ服装で撮影しないといけないので着られませんでしたけど。ともかく寒かった。インタビューのほとんどは寒さで声が震えていたと思います。ぶるぶる。
御神輿が神社の境内に集まって来ました。
最後に境内でのインタビューを終えて終了。
御飯を食べながらとか、タクシーの中とかでいろいろ話してしまったので、いざカメラが回っているときには無意識に省略してしまうことが多く、「もっと長く喋って」と言われました。多くの方が大抵こうなってしまうそうですが、そういうところが素人なんでしょうね。ついもう喋った気になってしまうのでしょう。
それと、どこまで詳しく微妙な事項を説明するかに苦労しました。フランスの一般の方にも分かりやすくという要求だったので、かなりシンプルに話をしたのですが、シンプルすぎてかえって分かりにくくなってしまったようです。それといったん調整にのると逆に止まらなくなって収集がつかなくなるので、かなり自制したこともあったかも知れません。
これは私の悪い癖ですね。俳諧を専門にしているせいかどうか知りませんが、ともかく極限まで省略したくなってしまうのです。それにプラスして、聞き手の認識や知識をどの程度に設定して喋ったらいいのかが私にはよく分からないのです。これはフランスの方にむけてだからという訳ではなく、日本人でも同じだし、学術論文や学会発表の時も同じです。何が共通認識なのかがよく分からなくなってしまうんです。だからあんまりそういうことを忖度せず、その事項について、必要最低限のことを丁寧にかつシンプルに説明することが大切なんだと思います。分かってるんですけど、なかなかうまくいかなくて。でも今回またそのことを再認識させられたので、この課題を頑張って克服したいと思います。
優秀なスタッフと一緒に仕事ができた、実に楽しい半日でした。
最後の一枚。
Lucileさんとツーショット
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