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2012-06
息子を遠く故郷から思うことしかできない無力で深い母の愛
- 2012-06-20 (水)
- essay
子どものころ、「ただゆき、野菜をちゃんと食べないかんぞな」(名前、方言適当)と、畑の中からお母さんが遠く離れた息子に呼びかけるTVCMがあった。この息子は都会の大学に通うために親元を離れたのだろうか。その息子の健康を心配する母親。しかし母親は、我が子を「思う」こと以外にはほとんど何も出来ない。たまに電話か手紙で、あるいは息子が帰省したとき、「野菜をちゃんと食べなさい」と言い、野菜を持たせることくらいである。後は、遠く離れた故郷で、ただただ息子の無事を祈るのみである。
もちろん大学生くらいの息子なら、そんな母親の気持ちは、わかってはいても、まだまだ余計なお節介に聞こえるだろう。「うるせぇなぁ」と言うかも知れない。しかし都会で1人暮らしをしてみて、母親の有難みは痛いほど感じてもいるのである。
そして、それから何年もたってはじめて、ただただ我が子を「思う」ことしかできなかった母親のその「思い」の有難みが骨身に沁みてくる。自分が子どもを持ってみて、また同じ立場になってみて……。
ところが、そんな我が子を「思う」母親に「朗報」である。我が子が大学の学食で何を食べているのかがインターネットで把握できるサービスが開始されたという(朝日新聞2012年6月12日)。記事にはこうある。
1人暮らしを始めた子どもの食生活は今も昔も、親の心配のタネだ。「うちの子、しっかり食べているかしら」。そんな親心に応えようと、学食で食べたメニューを保護者がインターネットなどで確認できるサービスが広がっている。
信じられない。
このサービスは、親が我が子を思う心を壊し、子どもから、深くて、無力であるからこそ愛おしい親から自分へ向けられた愛情が身に染みる契機を奪ってしまう。このサービスを考えた方は、そのことをほんとうに真剣にお考えになったのだろうか。
親は我が子が何を食べているか分からない。毎日毎日聞くわけにいかない。だからこそ、数少ないチャンスに「野菜を食べなさい」といい、普段はただただ「思う」ことしかできないのである。それがネットで毎日チェックできるとなれば、これはもう監視していることと変わらない。自分が何を食べているかを親が監視してると思いながら1人暮らしを続け、後年、そのときの親の愛情を身に染みて感じる子どもがいるのだろうか。
もちろん昔の母親だって、こんなサービスがあったら喜んで利用したかも知れない。昔の母親だって知りたかっただろうから。しかし、知りたいけれども知ることができないから、「思った」のである。「祈った」のである。
願いというものは、叶えられればいいというものではない。叶えられないことの中に、ある種の尊さが、深さが、慈しみがあることもあるのである。
チップの入った食器で食事をする息子。それをインターネットでチェックする母親。このサービスが、息子から、「ただただ思うことしかできなかった無力で深い母の愛」が骨身に染み、愛おしくて仕方がなくなる日を奪うことのないように願うのみである。
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台風4号
- 2012-06-19 (火)
- 日記
台風4号のため、午後から休講。
普段なら研究室に残っているのであるが、今日は帰ることにした。
夜には梅田川が氾濫危険水位を超えたので、「避難を始めて下さい」とラジオで呼びかけていた。研究室も一瞬停電したと西窪くんがツイート。我が家も、私がお風呂に入っているときに2分ほど停電した。
2009年10月8日の台風18号のときには木が倒れた(こちら)
2011年9月21日の台風15号のときには、大学ではベンチが滑って行き、もう少しで3階の廊下に浸水するところだった(こちら))
今回はそのようなことは特になく、無事台風は去って行った。
しかしやはり自然は恐ろしい。
今回の台風で被害にあわれた方に、心よりお見舞い申し上げます。
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工学的配偶者の選び方
工学的方法は、ある限られた領域、対象については有効であるが、現実にはそうではない領域もたくさんあるのであり、すべて工学的発想と工学的手法で考えることはできない。これは、工学を否定しているのではなく、どのような場合にそれが有効で、どのような場合に有効ではないかをきちんと知っておくことが大切である。例えば「工学的に恋愛する人なんていないでしょ?」と言ったら、学生さんから、「こんなサイトがありました」という感想が寄せられた。
新井民夫先生のサイトに掲載されている「配偶者の選び方」と一緒に掲載されている。
実は最初に「工学的に結婚相手選ぶ人いないでしょ?」と言ったのであるが、いるかも…、と不安になり、「工学的に人を好きになる人いないでしょ?」と修正したのであった。このサイトも「配偶者の選び方」であるが、なかなか洒落の効いた発想で、面白く読ませて頂いた。
もちろんちゃんと最後に、
この方法で配偶者を選べるなら、こんな簡単な事はない。実際には人間の関係はずっと複雑なことはいうまでもない。
と断っておられるが、こうも付け加えられている。
しかし、工学部に在籍する諸君にとって、一度は考えても良いテーマではないのだろうか。工学とは「与えられた条件の中で、最適な方法を求める体系」であるのだから。
工学的に配偶者を選ぶかどうかは別にして、工学は数値化、定量評価できるものを対象にしている。例えば「快適」ということを考えるときも、人間を「快適」にするパラメーターを考え、それぞれの最適値を考える。「快適な部屋」とは、「快適な温度」「快適な湿度」「快適な広さ」「快適な空気の流れ」などといった諸々の条件を満たす部屋である、というように。しかしそれぞれのパラメーターの最適値の総和が、必ずしも「快適な部屋」になるとは限らないというのが現実である。しかしそんなことを言い出すとどうしようもないので、それぞれのパラメーターのKING値の総和がKING of KINGS であると考える事にしているに過ぎないのである。
だが実際に、優れた工学者は、ほんとうはこんなことは誰もやっていないと私は信じている。逆なはずだ。先にものができて、それを一応納得させるために定量評価しているに過ぎないはずだ。
「快適な部屋」を定量評価し、いくつかのパラメーターとそのKING値は分析できるかも知れない。しかし逆にそれを寄せ集めても、決してもとのような「快適な部屋」を作り出すことは出来ないのである。なぜなら、すべてをパラメーター化することはできないからである。
しかしほんとうは、快適かどうかなんて、分析せずとも誰でも分かる。感覚的に分かるのである。分析はあくまで、事後的に行われる結果であり、原因にはなりえない。そのことを否定して、ものづくりはあり得ないと思う。
つまり、自分の恋人や配偶者が誰であるかは、誰でも直観的に分かるのである。もちろん錯覚もあるし、失敗もある。つまり別れることもいくらでもある。しかしそのときは、自分の感覚の未熟さを嘆いて、自分の直観と感覚を磨く努力をせよ。つまり人間に成長する努力をすべし。自分の人間としての全存在をかけて直観と感覚で配偶者を選ぶ。これが「文学的配偶者の選び方」である。
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三輪明宏さん講演会
- 2012-06-16 (土)
- 日記
湖西市に、
美輪明宏さんの講演会、三遊亭歌之介さんの落語会に行く。
まずは落語。
会場中、爆笑の渦。
私も大笑い。
その後、美輪さんの講演。
前半の落語とは全く違う雰囲気。
圧倒的な存在感であり、とても素晴らしい声の響きであった。
声の響きであれだけ空気を変えられるのか、というほど素晴らしい技を体験させて頂いた。
会場のひとりひとりの心の中に幸せ感を届けられた。
会場全体をそういう空気にされた。
私も幸せであった。
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新入生食事会
14日。
武道部新入部員と食事会。
今年はあまり稽古に参加していないので、まだあまり仲良くなれていなかったが、いろいろ話ができて楽しかった。
みなさん、これから武道部を盛り上げていってね。
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【講演会】藤田誠氏・自己組織化と分子技術
- 2012-06-14 (木)
- essay
榊プロデュース第20弾プレステージレクチャーズ
平成24年度テーラーメイド・バトンゾーン教育
第4回開発リーダー特論講義
藤田誠氏(東京大学大学院工学研究科応用化学専攻教授)『自己組織化と分子技術』を聴講。
藤田さんのお人柄がよく伝わってくるとても心地のよい講演だった。話の中身は残念ながらほとんど分からなかったが、しかし聴講してよかったと思える講演だった。こういう先生の研究室のメンバーは幸せだろうなあ、と思いながら、我が身を反省した。
西窪くんがいい質問をし、藤田さんも嬉しそうに答えて下さった。
分子の気持ちを分かれ、とよく学生に言います。
お話を伺っていても、藤田さんは分子を愛しておられるし、本当に分子の気持ちが分かるのだろう。そしてそれが人間の振るまいと同じであるともおっしゃった。
私は、分子がもともともっていた潜在能力を引き出しているだけで、無理矢理外から何か力を加えている訳ではない。人間も同じで、研究室の学生さんも、もともと持っている能力を引き出してやると、研究が楽しくなるし、研究室全体もよくなる。
分子レベルの振る舞いや、生物本来の振る舞いと、人間の振る舞いが違っていることがよくあるが、そのほとんどは、人間の賢しらによるものであるのだろう。余計なものを捨てて、もっとsimpleに生きられないものか…。
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文学だけでは誤る
加藤典洋さんと橋爪大三郎さんの吉本隆明さんの追悼文を読む。
さすが、それぞれの個性が出ていて面白い。
前に読んだ竹田青嗣師匠は、吉本さんの核心を、加藤典洋さんは吉本さんの独自性を、橋爪大三郎さんは吉本さんの全体像を見事に描いている。
興味深かったのは、加藤さんが引かれた吉本さんの次の言葉である。
加藤さん、あなたは文学青年だったでしょう。そうでしょう? 私もそうだったんですよ。でも、文学青年だけではダメだ、誤る、と戦争で心の底からわかったんです、それが私の出発点なんです。(『新潮』2012年5月号235頁)
この言葉への返答のつもりで加藤さんが『戦後的思考』を書かれたというのにも驚いたが、この吉本さんの「青年だけではダメだ、誤る」というのをとても印象深く思いながら、橋爪大三郎さん・瀬尾育生さん・水無田気流さんの対談「羊は反対側に走っていく」(『現代詩手帖』2012年5月号)を読むと、そこでもやはり瀬尾さんが、
九〇年代初めの湾岸戦争のころ、吉本さんは「文学だけでは誤る」と繰り返し言われたんですが、(88頁)
と語っておられた。
なるほど。確かにその通りかも知れない。
文学はなくてはならないけれども、文学だけではダメだ……。
もう一つ加藤さんが毎日新聞(2012年3月19日夕刊)に書かれた「『誤り』『遅れ』から戦後思想築く」で述べられていたことが印象的だった。
転向論では、当時誰も頭の上がらなかった戦時中抵抗を貫いた非転向の共産党指導者たちをさして、「非転向であることなどにどんな思想的な意味もない」と全否定した。……これは当時、驚天動地の主張で、周囲はみな、腰を抜かした。
吉本さんの徹底ぶりがよく示されている。
ところで、最近、「ブレる」「ブレない」ということをよく耳にする。私はブレません、ということを自慢する人もいる。しかしブレないこと自体にはどんな思想的な意味もない、とちょっと吉本を気取って言ってみたくなった。
軽くてすみません。
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ジェイコブズ『都市の原理』
研究室輪講は今日からジェイコブズ『都市の原理』(鹿島出版会)。原題は”THE ECONOMY OF CITIES”。
この本は、「どうして成長する都市もあれば、沈滞・沈没する都市もあるのか、という私の好奇心から生まれたものである」(2頁)と語り始められ、前著『アメリカ大都市の生と死』からのテーマが引き継がれていることが明言されている。
そして、いきなりジェイコブズ節が炸裂する。
多くの分野ーー経済学、歴史学、人類学ーーで流布している理論は、農村経済を基盤にして都市が成り立っている、として疑わない。もし、私の観察と推論が正しければ、その逆が真実である。2頁
農業優位のこの理論(私の考えではドグマ)が都市についての従来の仮説にあまりに徹底してしみこんでいるため、この章では緊急要件として、この点を扱おうと思う。2頁
一般に信じられている思想が必ずしも真実ではない、ということは、科学史の上でわれわれのよく知っているところである。正しいと信じられていた思想の非真実性が明らかにされて初めて、その思想の及ぼした影響がどんなに広く、見かけ以上に危険なものだったかがわかる、ということも知っている。2頁
その説明のためにジェイコブズは生物学の例をあげ、多くの生物学者が「新しく発見された真実を従来の誤った理論に従わせるような理屈をつくることに汲々としていた」(3頁)と指摘するのである。
そして、
これと同じように、都市と経済発展一般についてのわれわれの理解は、農業優位のドグマによってゆがめられている、と私は考える。このドグマは、偶然発生の理論と同じくらい珍妙で、過去にすがりつくダーウィン以前の思想史の名残である、ということを論じようと思う。3頁
2章「新しい仕事はいかにして生まれるか」でも、ジェイコブズは非常に興味深い分析を行っている。ここで述べられている新しい仕事の発生原理は、現代においてイノベーションを考えるときにもとても重要な視点である。
これからどんな展開になるのかとても楽しみである。
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武道部合宿補遺
- 2012-06-11 (月)
- 日記
武道部の合宿打ち上げ後。
全員と握手をして別れる。
大阪まで気をつけて帰ってね
最後に睡眠中の舞子ちゃんともしっかり握手。
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