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中森康之ブログ

黒帯の稽古会in近江八幡5

一昨日の続き。

クラブハリエの後は、お迎えのたねやさんで昼食。

って、ずっと食べてます~


親ばか風景

ということで黒帯の稽古会無事終了。
いつもながら、幹事さんが素晴らしい稽古旅行だった。

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黒帯の稽古会in近江八幡4

昨日の続き。

途中から白黒撮影、セピア撮影が流行りだした。

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黒帯の稽古会in近江八幡3

黒帯の稽古会in近江八幡 3日めは観光。


昨日の余韻の残るトヨカワくん

朝食を食べてすぐ出発。
向かった先は、近江八幡日牟禮ヴィレッジ


クラブハリエ

日牟禮カフェ ヴォーリズ建築物特別室

本日は世界一になったバリスタ村山春奈さんの出勤日。
こんなん出ました。


くま


うさぎ


ねこ

もちろん特別室も素晴らしかった。


階段


書斎


ねむる女性

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黒帯の稽古会in近江八幡2

黒帯の稽古会in近江八幡2日め。

琵琶湖を背に記念撮影。


オオガケくん


ケンタくん


イワサキくん

撮影会をみて集まったメンバー

結構注目されました。

さて、今日は1日中稽古です。


もちろんバレー


そ~れ~


ブレークスルーしたトヨカワくん


最後に記念撮影

夕食はバイキング。
夜の講義もあり。
懇親会もあり。

これにて2日め終了。

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黒帯の稽古会in近江八幡1

第19回黒帯の稽古会。
今回は近江八幡。

稽古は午後から。
希望者は10時ヴォーリズ記念館集合。


外観

中に入るとすばらしい空間が待っていた。
この心地よさは何なのか。この空気感を設計できる感性とは何なのか。
特に際立った何かがある訳ではない。むしろ突出したものは何もない。何一つ自己主張してこない。ただただ「普通」の部屋である。この「普通」の心地よさをここまで創造できるのが素晴らしい。
その中で心を奪われるのが、窓の光である。ヴォーリズの部屋にいると、窓の外がやけに眩しく感じられる。しかもそれは希望に満ちた光である。落ち着いた心地よい普通の部屋。そしてその外の世界は希望の光に満ちているのである。


陰影


十字架が浮きあがる窓。


記念撮影。

ゆるやかな階段、そして2階ヘも上げて頂いた。そこで記念館の方の「至福のとき」という秘話をお聞かせ頂いた。やはりヴォーリズは光の魔術師なのであった。

とても贅沢なときを過ごし、記念館をあとにする。

昼食は京料理。

いざ体育館へ。


集合写真

1日めの稽古はバレー。


予想通りの光景

1日めの稽古を終えて、宿に到着。


たぬきと記念撮影


雨の琵琶湖


1日めは大広間での夕食。


夜の講義

これにて1日め終了。

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ジムボール

明日からの黒帯の稽古会で使うためにジムボールを買いに行く。
丁度いいのがあった。

もちろんバレーをするのである。
たぶんこんな風に。


楽しみだな~

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会議などなど

今日は重要な会議がふたつ。
愛車の点検もあり。
学生との重要なミーティングもあり。

で盛りだくさんの1日だった。

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日本語P打ち合わせ

昨日(28日)、日本語コミュニケーションプロジェクトの打ち合わせで、焼山先生が来学された。
前回来られたときマスターのお店を大変気に入って頂いたのであるが、残念ながら今はない。
別のお店にご案内した。

顔も名前も全く存じ上げなかった焼山先生からの、1本の電話からこのプロジェクトが始まった。
あれから5年がたち、メンバーも9名となった。
人の出会いというのはほんとうに不思議で面白いものである。

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鷹は鏡

鷹は鏡なのだという。

鷹は使う人のこころによって、神の化身にも悪魔の手先にもなるという。(大塚紀子『鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術』白水社197頁)

鷹には鷹匠の心が映し出される。鷹を育てるのと人を育てるのとは、全く同じである。鷹を見れば鷹匠が分かる。お弟子さんを見れば師匠が分かる。

ほんとうに恐ろしい話である。

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羽合:人鷹一体

鷹狩り用語に「羽合」(あはせ)というのがある。

「羽合」は日本の鷹匠の独特な猟法の一つで、鷹に加速をつけてやるために、拳から鷹を獲物に向かって投げるように押し出すことをいう。(大塚紀子『鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術』白水社162頁)

昨日私もこれをやらせて頂いたが、かなり難しい。

鷹と鷹匠が呼吸を合わせて、これをうまく成功させたときの技の境地を「人鷹一体」といい、これが、鷹匠が追求する究極の感覚である。(略)カモ猟などで鷹匠が十分に寄せたのち、絶妙の頃合いで羽合が成功したとき、それはまるで自分の拳が伸びたかのように感じられ、鷹の動きが線を描くかのように明確に見えて一瞬で捕らえることができる場合がある。この時の感覚は「羽合拳」といわれる。(同163頁)

鷹を据えているとき、左手の力みをとらないといけない。それは分かる。じっと立っているときは、なんとなく出来た気になった(たぶん錯覚だろうけど)。しかし羽合せようと体を動かし、手を動かした瞬間、手に力が入ってしまった。そしてその瞬間、鷹(の心)が私から離れるのがはっきり分かった。その後鷹は力なく飛んでいった。武道をやっているのに情けない話であるが、私にはとても難しかった。が、とても面白かった。

大塚さんの著書には名人と言われた鷹匠の羽合の写真が掲載されているが、その力みのなさは見事である。

もう1回やったらもう少しうまく出来る気がする。もちろん気がするだけである。でも何事もそうやって上達してゆくのだろう。もう1回、もう1回、といって。

今度やったら、前よりは少し上手くできるような気がする。

そういう希望が、修行を継続させてくれる。
だからまたチャレンジしたい。

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