中森康之ブログ
二つの講演会
今日は学内講演会の目白押し。
そのうちの二つに出席。
1つめは、技術者教育プロジェクトキャリア講演会
講師:栗生 明氏(建築家、千葉大学教授)
演題:水環境と建築
映画の話など、興味深い話題が多かった。
また、「建築は多くの人との協同作業である」「建築は身体感覚とダイレクトに結びつく」「近代都市は水を否定してきたのではないか」「非日常性を楽しむ空間が都市の中にもあっていいのではないか」「自然と建築はどうあるべきかは大きなテーマ」などなど印象的な言葉も多かった。
さらに、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にまつわるエピソード、遺族の方の言葉「私たちは建築はいらなぃただ静かに祈る場所がほしい」というご遺族の言葉を真摯に受け止められたという話に感銘をうけた。
ただ私としてはちょっと違和感があることもあった。その当たりはぜひ学生にどう感じたかを聞いてみたいと思う。
2つめは、実務者を招いての構造エンジニアキャリア講演会「第6回構造工学セミナーin豊橋」
講師:田村達一氏(株式会社 大林組 技術本部企画推進室副部長)
講演題目:「東京スカイツリーの施工技術」
実は私はスカイツリーの建設自体には最初から反対だった。それは、あんな高いものを立てるのは傲慢に過ぎる、人間は分を弁えないといけないと直感的に感じたからである。ただそれだけだ。
それはそれとして、施工技術の話はとても面白かった。さすが日本の技術力は素晴らしい。そして技術者の心も素晴らしい、と感じた。
未知の工事を請け負うのに、何が何でも納期と費用を守るというのがプライドだと言われた。そしてそれができたのは創立120周年の技術と心をもつ大林組だからだ、と。自分の会社と技術と心に誇りを持っておられるのである。素晴らしいと思う。
今回の工事では、「全てのことを想定内へ」という心構えでやったと言われた。やりすぎるくらいに安全対策もやった。東日本大震災のときも、全く損傷がなかった。そしてとにかく人と物が下に落ちないように気をつけた。
もう一つ印象深かったのは、思ったより手作業が多かったことだ。あれほど手作業が多いとは想像していなかった。
そして、現場の人達の生き生きとした表情。最後の記念撮影なども、みなさんとてもいい表情をされていた。
構造のことなど何も分からない素人が聞いても、とても面白い講演だった。
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今日のカフカ
- 2012-01-26 (木)
- 授業
今日の『海辺のカフカ』のプレゼンは2人。
1人めは、「かげについて」
作中に出てくる歌詞の新解釈を披露してくれた。かなり面白い。
また、ナカタさんとカーネル・サンダーズの関係についても、丹念に本文をあげながら説明してくれた。これも非常に面白かった。
2人めは、「暴力とこの現実を生きる意志について」
これもかなり面白かった。「暴力」というキーワードで小説を分析した点、なかなか刺激的だった。村上春樹の講演「壁と卵」も関連してたしね。
今日は秀逸なプレゼン二人組だった。
学生たちは、『海辺のカフカ』の研究論文や評論をほとんど読まずに、徒手空拳で読み解いている。だから彼らの発表のいくつかは、既に『カフカ』研究の常識であることもあるだろう。私も彼(女)らと一緒に徒手空拳で読みたいので、先行研究をほとんど見ていない。
この授業では、生のままで小説を読むという体験をみんなでしたいのである。
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久しぶりに武道部へ
- 2012-01-25 (水)
- 武道部
センター試験やら風邪やらでしばらく休んでいた武道部の稽古に久しぶりにいった。
雰囲気も気合いもとてもよかったと思う。
今自主稽古をしている部員が多いと聞いているが、とてもいいことである。
ぜひ継続してもらいたい。
一月後がとても楽しみである。
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ついでにSu-Penも
- 2012-01-24 (火)
- 日記
7notes for iPad購入のついでにSu-Penも購入。品切れが続いていたり、定価よりも高く売られていたようだが、タイミングよく普通に入手できた。
数日で不具合が出たというレビューが何件かあったが、今のところ良好。
というかまだほとんど使ってないし。
もうしばらく使ってみます。
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7notes for iPadの認識力にびっくり
- 2012-01-23 (月)
- 日記
巷で話題の7notes for iPadを購入。早速試してみた。
下手な手書き文字でも認識率が高いという評判を見て、私の字でも読めるのかな?と半信半疑だったが、ほとんど読んでくれた!ちょっと感動である。
すばらしい。
ひらがなで「ばら」と書いても、変換候補に「薔薇」と出てくるのも有り難い。
実際にどれくらい使うかはまだ分からないけれども、その技術力に乾杯!
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今年はじめての五体治療院
- 2012-01-22 (日)
- 日記
今年初めての五体治療院です。
なにやら不思議なものが……。
帽子でしょうか……。
お前はアホか! とバカにするチューさ。
お客さんにアホとは何じゃ!
代表に懲らしめられるチューさ。
いつも通りの平和な五体でした。
うぎゃぁ~~~。
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英語力の高いポーランド
- 2012-01-21 (土)
- 日記
その中に、「読み書き重視でも英語力の高いポーランド その秘密は?」という記事があった。
IELTS試験で上位のポーランドは、小学校から英語は必修。週4回(45分/回)なのだそうだ。その特徴は、「読み方」「綴り方」に主眼が置かれている点だという。英語の本の音読を通じて、読み書きの基礎をしっかり身につけることである。英語力の高い国によく見られるコミュニケーション重視型の指導ではないところがポイントだそうだ。1~3年時に英語の基礎を身に付けさせた後は、実用面にも力を入れるとのこと。
詳しくはwutan(ウータン)vol.18を読んで下さい。Webでも読めます。
興味深いので、もっと詳しい情報がほしいところである。
どなたか詳しい方、ご教示下さい。
ところで、「英語力の高い国」という「英語力」って具体的に何なののだろう?
「コミュニケーション重視型の指導」というから、会話力のことなのだろうか。
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グローバリゼーションと現場の力
「グローバルでイノベーティブ」な技術者で紹介した記事に次のような箇所がある。
————-
フミオ、とにかく彼らと働くのは効率が悪い。指示は曖昧。優先順位は付いていない。後先考えない頻繁な指示の変更に説明はない。社内だけに留まればまだ良いが、外で取引先や得意先からも同様の問題を指摘されるのは、競争が激しい中では死活問題だよ。
————-
アメリカにある現地法人のトップ(日本人)を批判したものである。
後半はともかく、前半の、「指示が曖昧」「頻繁な指示の変更(に説明がない)」という点が興味深かった。この方の具体的なケースはおいておいて、これを一般論として考えるととても面白いのである。
おそらく日本人トップの「曖昧で頻繁に変更される指示」は、昨日今日に始まったことではない。ずっと前からそうだったはずである。
ということは、日本が景気がよくて日本企業が強かった時代からそうだったのである。つまり、「曖昧で頻繁に変更される指示」ばかりであっても、日本企業は大丈夫だったということだ。そして、この「曖昧で頻繁に変更される指示」が原因で日本企業が弱くなったり、日本の景気が悪くなった訳ではないということである。
なぜトップの指示が「曖昧で頻繁に変更される指示」であっても日本企業がうまくいっていたかというと、現場の人たちの能力が極めて高かったからである。曖昧な指示であろうが、急に変更された指示であろうが、即座に完璧に対応できる能力が多くの日本人にあったのである。それが日本の教育の賜物だった。もちろん愚痴や上司の悪口は言っただろうが、それだけである。言われてる上司の方も、若いとき同じようにしてやってきたのだから、それでいいのである。
「曖昧で頻繁に変更される指示」が原因で、会社全体が悪い方向に向かうのは、現場の底力が弱い場合である。現場の力が弱い場合は、明確で細かい指示がなければどうにもならない。現場の一番下の立場の人が、臨機応変に的確な判断と行動ができない(やらせない)ことを前提に、トップが具体的で明確な指示を出す。グローバリゼーションとはそういうことだ。
先日の大学入試センター試験の1日めの朝、たまたま事務の方数人が試験場の点検をされているのを見た。そのとき、大変失礼ながらこの方たちがとても優秀なのに驚いた。何が優秀なのかというと、見る場所が実に的確なのである。例えば施設環境課の方は、入室する際、ドアクローザーをチェックし、入室するなり床、天井、壁等々のチェックをする。天井の空調のフィルタの僅かなズレを見逃さない。別の課の方は、他の場所を見ている。もちろん全体を見ている方もいる。
1日めが終了し、夜にまた点検をされた。
そして2日めの朝、私はまたまた驚いた。廊下のタイルがズレそうなところにきちんとテープが貼ってあったのである。私が1日めの夜そこを通ったのは、点検の後である。そしてそのときはタイルについて全く注意しなかった。ズレていたら気づいただろう。おそらくズレる可能性があった程度だったはずである。担当の事務の方はそれを見逃さなかったのである。しかも点検のときにはテープがなかったのだろう。試験本部が解散された後、彼は1人でそこにやってきてテープを貼ったに違いない。それは受験生が万が一ズレたタイルで滑りでもしたら大変だ、という心遣いであった。
翌朝、これもたまたま、入試課の方がそのテープについて、「○○さん、テープありがとうございました」と言っているのを聞いた。その方も朝点検していて、自分のいなかった夜遅くに何が行われたかに気づいたのである。
さてこの点検、トップからの指示は、「試験場の点検」だけである。チェックリストも何もない。しかし各人が「試験場としてあるべき状態」と「万が一にも起こりうること」を想定してできるだけ手を打っておくのである。その判断は現場の1人1人がやるのである。
そして何よりも大切なのは、もし具体的で明確な指示(チェックリスト)があったら、おそらくあの廊下にテープが貼られることはなかったであろうということなのである。
試験場の点検とグローバル企業の仕事と一体何が違うというのだろうか?
グローバリゼーションというものが、ごく一部の優秀なリーダーの「明確で具体的」な指示通りに現場の人が動くことを求めるのであれば、それは現場の底力など不要であるといっているのと同義である。現場の人は、リーダーの指示をきちんと実行しなさい、ということは、指示されなかったことは実行しなくてもいい、ということだからである。底力とは、まさに不慮の事態に際し、指示されていないことをその場の判断で行える力のことだからである。
底力のある組織のリーダーに必要なのは、高度な専門知識ではなく、「徳」である。そして「徳」のある人は、だいたいにおいて、明確で具体的な指示など出さないものである。ただ問題なのは、「徳」もなければ能力もない人も、明確で具体的な指示を出さないことだ。
それを見分けるのも、徳であり、見識なのである。
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先生の言ってることが分かりません……
- 2012-01-19 (木)
- 授業
国文学Ⅱ。村上春樹『海辺のカフカ』。
二人めのプレゼンが終了し私の話になろうかという、そのとき、一番後ろに座っていた学生が、こう言った。
先生の言ってることが分かりません。
うぎょ!???
村上春樹が言いたいことが分からない。
先生の言ってることも分からない。
「全部言葉にできなくていい」というが、その意味が分からない。
たいたいそんな感じだっただろうか。
小説は、研究論文とは違うので、明確な結論がまずあってそれを読者に伝達するものではない。最初に「結論」があって、その後に「論証」があるものではない、と何度も言ってきた。
では伝えるものがなくて書いているのか?
と問われるので、
そうではなく、伝えたいものはある。しかしそれは書く前に、明確に言語化できないような「何か」である。
と説明する。
一読して読者が分からないのは、作者の責任ではないか。作者にはきちんと説明する義務がある。
と言われるので、
研究論文はそうかも知れないけれども、小説はそうではない。「モヤモヤ」が残ったり、分からなさが残ったりする場合もあるが、その場合は、その意味を考えることが大切である。
小説にはその分からなさの中に、何か大切なことがあると直観させる力が必要である。それがない小説はダメ。
『海辺のカフカ』も論理的にはよく分からないことが沢山ある。そのように書かれている。そして、ここには大切な「何か」が語られていると私は思う。だから私はそれを問うのである。先週の発表者は、それをとても上手く解いてくれた。あんな風にいろいろ考えてみればいいと思う。もちろん最後まで問うた結果、そこにはたいしたものがなかったということも、ありえない訳ではない。だから問うのである。
じゃあ、ひとことで言えば、分からなくていいということですね。
いやいや、それはひとこと過ぎで……
途中からもう一人加わって、三人でだいたいこんなやりとりをした。
聞いていた学生も面白がって聞いていた。たまに発言しながら。
文学好きの人と話しても絶対出てこない疑問などが出て来て面白い。そして鍛えられるのである。
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研究室紹介は呼び込みにあらず
兼務している建築・都市システム学系の3年生に対する研究室紹介があった。私も参加。
兼務教員の研究室は学部生は各学年上限1名と決められているし、研究内容から考えても私のところにくる学生はほとんどいないと思われるのであるが、この研究室紹介は、実は「単なる呼び込み」ではないのである。
この研究室紹介は、原則としては、全教員が全学生(3年生)に現在行っている研究内容を説明するというイベントである。この意味するところは、少なくとも、自分にあまり興味のない領域も含めて、建築・都市システム学の一通りの研究の最前線を理解して下さいね、ということなのである。そして学内再編で私たちが兼務教員になったのは、建築・都市システム学を学ぶ学生に、人文社会の価値観や素養を身に付けて欲しいということであった。だから私が参加して、私が大切だと思うことを伝えることには、大きな意味があるのである。
そしてもう一つ重要なのは、各教員のプレゼンテーションを見てね、ということである。
これから研究室に入ってプレゼンをする機会も増える学生に対して、各教員がプレゼンの見本を見せるのである。僅か5分の間に、自分の研究の何をどのように紹介するのか。そのお手本を示す必要がある。教員は大変である。言い訳はできない。しかし高度なテクニックを駆使する必要はない。上手い下手もどうでもいい。ただこういう場面で、逃げたり誤魔化さずに真正面から向き合える人間かどうかを学生さんは見ている。そして自ずと現れれる各教員のプレゼンの個性から、いろいろ学んでくれるのである。
各教員はそういう思いを持っているはずである。
研究室紹介は単なる「呼び込み」にあらず。
そのイベントで学生に伝えたいことは、他にある。
そうしてそれを受け止め、さらには、私たちが意図しなかったことまでをも受け止めてくれる。
そういう場になれば、このイベントは大成功である。
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