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中森康之ブログ

落合博満『采配』(ダイヤモンド社)

落合博満『采配』(ダイヤモンド社)を読む。

出た時に買ってあったが、体調不良であまり仕事ができないので、読むことが出来た。

落合さんの本は、多分全部読んでいるはず。

どの本を読んでも、すごくまっとうなことをシンプルに語っておられると思うのであるが、おそらくそれが一番難しいのだろう。

年末にテレビで落合さんの特集をやっていたが、とても面白かった。何がかと言えば、中日の多くの選手が「落合野球は?」と問われ、「普通の野球」と応えていたからだ。私は野球のことをよく知らないが、まっとうな野球だと確信していたので、それを選手が語っているのを見て、嬉しかった。しかし、落合野球が普通の野球だとすれば、それを「オレ流」とよぶ人たちの考えている野球は、一体どういう野球なのだろう?

ところでこの本、ちょっと気になったのは、太字箇所である。私には、太字になっていないところに大切なことが書かれているように思われたのであった。

それにしても、落合さんほどの実績を残された方でも「オレ流」と呼ばれるのだから、私のいうことを学生がなかなか信じてくれなくても仕方ないのかも知れない、と自分を慰めるのであった。

武道部員にはぜひ読んでほしい一冊である。

センター試験疲れ?

昨日のセンター試験二日め終了後、俄に体調が悪化。

実は金曜日からちょっと危ないなと思っていたので、いろいろ工夫して何とか2日間乗り切ったのであるが、やはり終了して気が緩んだのか。

一年で一番長い日2

15日。センター試験2日め。

2日めも特に問題なく終了。
ニュースによると、全国的にも特に大きな混乱はなかったようだ。

しかしニュースを見ていると、一日めの方は、どんどん問題が明らかになってきた。想像以上に混乱があったようだ。
受験生への影響が心配である。

一年で一番長い日1

14・15日は大学入試センター試験。

14日は1日め。
今年は雪も降らず、少し穏やかなセンター試験。
しかしニュースによると、大幅なシステム変更のため、全国の大学で混乱があったようだ。
幸い本学はたいした問題もなく無事1日め終了。

しかし、長い。

工学部ならではのプレゼン

12日。

今日の国文学のプレゼンはバラエティに富んでいた。

1人め。
手書きのプリントでプレゼン。彼女独特の世界を披露してくれた。「人間は正しく生きねばならぬ」という強い意志を感じた。

2人め。
最近減った理系プレゼン。まず前提をおく。そしてその前提に従って、仮説を立てて話を組み立てる。そして結論を導く。久しぶりにこの方式を聞いたような気がする。ただ文学作品でこれをやると結構難しい問題が起こってくる。前提条件そのものの検証が必要だし、解釈が一義的に決められないものもあり、その一義的に決められないことの意味を問うこともまた大切だからである。特に『海辺のカフカ』は難しい。
もちろん彼はそれがわかっていて、あえてこの手法を採用したのだろう。それはそれで面白い。

3人め。
『海辺のカフカ』の多重性、微妙さを見事に言い当てたプレゼンだった。素晴らしい、と思った。曖昧な問題を、その曖昧であることの意味を問うという形で示してくれた。

工学部でこういう作品をやると、ほんとうにバラエティに富んだプレゼンが聞けるのである。学生さんの発表なので、具体的に詳述できないのが残念だ。

話したいという欲望

11日。冬休み明けの授業再開。

今日は日本語法2(C)。
例によって一人ずつ朝の挨拶。

久しぶりなので、みんなよくしゃべった。
素晴らしい。

授業が始まった頃は、無理やり話していた学生もいたが、今日は、みんないろいろ話したいという欲望を持っていた。

話すべきものを持つと、それを話したいという欲望が強くなる。それがまた話すべきものを増やしてゆく。この循環がコミュニケーション能力の基礎力を徐々に高めてゆくのである。

「人間は間違う」と「機会は壊れる」と畏怖

ある方こうおっしゃった。

人間は必ず間違うものだから、その前提に立って、ヒューマンエラーがあっても大丈夫なシステムを設計しなければならない。

そうだろうと思う。しかしその反対も考えなければならない。

機械は必ず壊れるものだから、機械が壊れても大丈夫な人間を育てなければならない

これは対立でも矛盾でもない。お互いがそれを本気で目指している場所でだけ、かろうじて安全は保たれる可能性があるということである。「本気で」というのは、システムを設計者は人間を、教育者はシステムを十分にリスペクトするという意味である。人間は間違う必ず間違うものだ、ということの中に、人間に対する信頼が裏打ちされていていなければならない。逆もまた然りである。

そうして、それでも手に負えないと思われるものには、慎み畏れて、手を出してはいけない。それが人間の分をわきまえるということである。

自然は人間の手には負えないものである。
原発も人間の手には負えないものである。

分をわきまえなければならない。
自然を畏怖せねばならない。

当たり前の思想と感性を取り戻したい。

「グローバルでイノベーティブ」な技術者

興味深い記事を読んだ。

特にこの部分。
——————-
「彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。
——————-

「自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明」し、「政治や国際問題について語」ることを求められるのは、何もビジネスエクゼクティブだけではない。研究者でも、技術者でも同じである。とりわけ、「グローバルでイノベーティブ」な技術者であればなおさらである。

だがほんとうに、「グローバルでイノベーティブな技術者」教育は、それを叶える方向に向かっているのだろうか??

私には「自国の歴史や文化を正確かつ興味深く」語れないグローバルでイノベーティブな技術者をうまく想像することが出来ない。

同様に、コミュニケーション能力。

——————–
「英語の問題だと思うか?」という私の問いに応える。

「それも否定出来ないが大きな問題ではない。むしろ能力や知識、人間性の問題だよ。最大のものは、コミュニケーション能力かな。英語では無いよ。つたなくても、伝えるべき内容を伝えることが出来れば、ボスの話をちゃんと聞かない社員は居ない。
——————–

伝えるべきものをきちんと持っていること、それをきちんと伝えたいという意志(欲望)を持っていること。これを欠いたコミュニケーション能力を、私はやはりうまく想像することができないのである。

なぜか?
答えは簡単である。

「自国の歴史や文化」、「政治や国際問題」、「伝えるべき内容」等々に対する感度が低いということと、人間(の感性)に対する感度が低いということとは、同義だからである。
人間(の感性)に対する感度が低い人が、一体どうやって世界の人々を幸せで豊かにする革新的なものをつくることができるのだろうか?

「人間力」養成プロジェクト、「日本語コミュニケーション能力」養成プロジェクトで私が考えているのはそういうことなのである。

「グローバルでイノベーティブな技術者」像を、私たちはまずきちんと考えなければならない。

先日の全体会議の時に私が使ったのは、「見識」という言葉であった。自国の歴史であれ、文化であれ、政治や国際問題であれ、原発問題であれ、技術であれ、何事に対してもきちんとした見識を持っていること。そしてそれをきちんと伝えようという意志があること。

それは、人間(の感性)を信じるということでもある。

人間(の感性)への信に基づいた見識を欠いては、グローバルもイノベーションも空虚な標語にしかなりえないのではあるまいか。私にはそのように思えて仕方がない。

「人間力」養成プロジェクト集合写真その2

この前の記事の一番下の集合写真、岩崎くんが写っていないことが判明。これ↓

多分本人は気づいていたはずなのに、何も言ってこない。
ショックが大きかったようだ。

が、私が入れているipadのアプリでは、あと一枚が追加できない。
そこで、師弟に入れ替わって頂きました。これ↓

武道部稽古始め

7日

武道部稽古始め。
稽古後新年会。
といっても、簡単な昼食会。
とりあえず、今年一年の武道部の無事を祈念して乾杯!

残念ながら顔が見えない人もいます。
写真係の修行が必要です。

それも含めて乾杯!

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