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中森康之ブログ

人間力養成プロジェクト全体会議 2日め

平成23年度豊橋技術科学大学
高専連携教育研究プロジェクト
「人間力」養成プロジェクト~課外活動など~ 全体会議
於・明石工業高等専門学校

6日は2日め。


新メンバーの野毛先生


最年少メンバーの高橋先生


新メンバーの山田先生


紅一点、江本先生


ラグビー部全国大会の合間を縫って参加の三橋先生

昨日も書いたが、今回もみんなが元気になる最高の全体会議となった。
この先生方の指導を受けている高専生は幸せである。
この幸せの輪を広げたい。
そのために、まずメンバーが幸せ感に溢れよう!

最後に記念撮影。
全員集合した昨日撮るのを忘れたので、ちょっと合成。

別バージョンはこちら

「人間力」養成プロジェクト全体会議 1日め・夜

「人間力」養成プロジェクト全体会議 1日め・夜 懇親会。

このプロジェクト全体会議は、毎年メンバーの高専を巡っている。そして懇親会では、ご当地の美味しいものをいただくのである。


今年度で沼津高専を退職される渡辺先生のご挨拶。


乾杯~!


なんと大学時代の先輩後輩がこのプロジェクトで遭遇。昔話に花を咲かせる。


釧路の山田先生と佐世保の三橋先生。日本の両端?からやって来て下さいました。


最年長の渡辺先生と最年少の高橋先生が並んでいます。


終了後も上機嫌で飲み続けている山田先生と固い握手! 私は帰ります~♪

あまりに美味しかったのでお料理の写真を撮るのを失念してしまいました。

「人間力」養成プロジェクト全体会議 1日め

1月5・6日。

平成23年度豊橋技術科学大学
高専連携教育研究プロジェクト
「人間力」養成プロジェクト~課外活動など~ 全体会議
於・明石工業高等専門学校

5日は1日め。

出席者は、下記の16名(敬称略)。

オムロン パーソネル株式会社 ヒューマン・ソリューション事業部 
エンジニアグループ 人材開発チーム  榊野隆弘

沼津工業高等専門学校  渡辺敦雄
函館工業高等専門学校  山田誠
香川高等専門学校    三崎幸典
奈良工業高等専門学校  三木功次郎
明石工業高等専門学校  松田安隆
豊田工業高等専門学校  兼重明宏
沼津工業高等専門学校  野毛 悟
佐世保工業高等専門学校 三橋和彦
釧路工業高等専門学校  山田昌尚
熊本高等専門学校    岩﨑洋平
福井工業高等専門学校  江本晃美
都城工業高等専門学校  高橋利幸
豊橋技術科学大学    中森康之

豊橋技術科学大学生(武道部) 西窪健太(学部4年生)
豊橋技術科学大学生(武道部) 谷 有貴(学部3年生)

12時に集合して、早速開始。


トップバッターはスライドの魔術師、三木先生。この魔術で文部科学大臣賞を4度受賞した強者である。


途中、京兼純校長先生もご挨拶頂いた。


岩崎先生


函館から夜行で到着後すぐ発表。「私は元気だ」山田誠先生。


新メンバーの兼重先生


三崎先生


渡辺先生


幹事の松田先生

以上本日はメンバー7名の発表。

その後、幹事校の明石高専のソーシャルマーケット推進プロジェクトの成果をご案内頂いた。


ご案内頂いた平石先生。


完全に遠足気分です…。


オブジェ三木。


薪ストーブも手作り。

遠足が終わったら部屋に戻って、今回のゲスト、オムロンパーソネルの榊野隆弘さんのご発表とフリーディスカッション。

榊野さんは40年お勤めになったオムロンを昨年定年退社され、現在のお仕事をされている。昨年のHNKの講演が縁で、今回来て頂くことになった。なんと私の中学校の先輩だということが判明した。

企業の視点から「人間力」について貴重なご発表を頂いた。

それにしても、この全体会議には、余計な遠慮が一切ない。ゲストの榊野さんにまで、遠慮のない意見がばしばし飛び交った。完全にオープンマインド、ハイテンションの時空が形成されている。
これがこの全体会議の素晴らしいところなのである。

みな何が大切かが分かっている。
みな、「ほんとう」のことを求めている。
みな、更によいものを目指して戦っている。

そういうメンバーの集まりなのである。

終了後は懇親会。
その模様は明日書きます。

お年始

堀信夫先生の御宅へお年始のご挨拶に行く。
今年は例年より1日遅れの1月4日である。
もちろんすぐに研究の話になる。

芭蕉の俳論について、今考えておられることをお聞きする。
堀先生に弟子入りして20年以上になるが、初めて話がきちんと理解できた気がする。もちろん今までも自分の理解できるレベルでは理解していたのだが、今回は、話の背景や見通しを含めて理解できたのである。

そうだとするとあれはこうなりますよね?

というと、

その通り!

というお答えを頂いた。

しかも芭蕉の思想がそうだとすると(もちろんそうだと私は考えているのだが)、今私が考えている、支考と蝶夢にうまく繋がるのである。

まあもちろん、師匠の考えていることはまだまだ理解できないのだけれど、ちょっと後ろ姿が見えた気がして、とても嬉しかった。

それにしても師匠の指導は厳しいデスねえ。ありがたいです。

お暇した後は神戸元町へ。
明石焼を食べようと思ったら、なんとまだお休み。
そこで、モダン焼を食べて、豚まん食べて、ちまきを食べた。
そしてホテルへ。


学生時代よく来たポートタワー


メリケンパークも健在でした

愛しの年賀状

1日に私の敬愛してやまない方から年賀状が届いた。
とても嬉しかった。

これまでは私からお手紙や年賀状を差し上げるのみだった。
ところが昨年、あるところを介して、あるお知らせを頂いた。望外の幸せを感じた。
そして今年の年賀状。しかもコメント入り。これを何と表現したらよいのか。

年単位で、少しずつ私の存在を認めていって下さっているように思えて、感無量である。ただのミーハーのファンにもかかわらず。ほんとうに嬉しい。

年賀状といえば、子供の頃から、年賀状が楽しみだった。元旦から郵便屋さんが来るのを待った。何度もポストを見に行った。いっぱい来る親を羨ましく思った。自分も大人になったら、いっぱい年賀状が来るんだと憧れた。

「自分も大人になったら……」という憧れの物語が存在している社会に私は住みたい。それがない社会は、薄っぺらいからである。

自分が努力して、成長して、ようやくその世界の仲間入りができる。そういう世界をたくさん持つ社会は、健全で奥行きがある。

私はもう大人である。そして、大人になればなるほど、そういう世界の素晴らしさとそこに住むことの難しさを感じるようになった。

私の憧れの方たちが住んでおられる世界の住人に、私も早くなりたい。そのために一歩一歩努力したい。私はそのために武道の修行をしているのである。

初詣

今日は、近所の本宮神社へ初詣。

武道部を創部した頃は、毎日ここにお参りしてから大学へ行っていた。
今日は久しぶりのお参りである。

いつものようにお参りをして、いつもの木から気を頂いてきた。
清々しい空気の中で、しばし10年前を思い出してきた。
そして、これからのことを夢想してきた。

その後は、録画してあったTVを見て、ほぼ日手帳の更新をして、年賀状を書いた。

武道部関係者の年賀状は、一部の卒業生を除いて、頂いてから返事を書くようにしている。それぞれが個々の思いを書いてきてくれるので、それに返事をしたいからである。
たまに「昨年は大変お世話になりました。今年もご指導よろしくお願いします」とだけ書いてくる関係者がいるが、そういう方にはこちらも、「今年も頑張って下さいね」とだけお返事申し上げることにしている。

昨日届いた年賀状は、どれもそれぞれの思いを書いてくれていたので、それに応えるべく頑張った。短いフレーズで書いたので、ぜひ意のあるところをお汲み取り下さいね。
とりあえず昨日頂いた方の分は無事終了。

明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。
今年が皆様にとって明るく良い年でありますよう、祈年しております。
わたくしも一つ一つ調えたいと思います。
ブログも好き勝手更新しますので、今年もよろしくお願い申し上げます。

今年もお世話になりました

今日は大晦日。

皆様方には今年も大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。

特に訳の分からないこのブログを読んで下さった方、大変ありがとうございました。

また来年も勝手なことを書いてゆきますので、ご贔屓のほどよろしくお願いします。

それでは皆様、よいお年をお迎え下さい。

お墓参り

忙しくてなかなか行けかったが、久しぶり、夏以来のお墓参りに行った。

今日は帰省渋滞もほとんどなく、スムーズに到着。

コースはいつも通り。高速を走って刈谷ハイウェイオアシスで昼食。さらに高速を走って伊賀へ。お墓参りをして、いせやさんで和菓子を購入。

まったくいつも通りのコースでした。
たった一つ違ったのは、昼食後、豚まんを食べて、31のアイスクリームを食べなかったことだけである。

新撰大和詞

支考の『新撰大和詞』の板本を購入した。
院生時代にマイクロからコピーしたものを持っていたが、現物が欲しくなって。
幸い安価で手に入った。

仮名詩を創案した支考は、その一方で「大和詞(大和真名)」というのも創案した。
日本人は日本の言葉で詩を書くべきである、というのが支考の主張である。だから仮名詩を創案した。しかし一方で、日本においては古来から和文と漢文の両方が用いられてきた。だから「仮名と真名との通用」を知らなければならない。というわけで「大和詞」の解説書を書き、自らもそれを用いた文章を残した。

仮名詩の方は、その後の、蕪村の仮名書きの詩、明治の『新体詩抄』などもあり、一般化して受け継がれたと言ってよいだろう。「大和詞」の方は、支考の絶筆『論語先後抄』がこれで書かれているが、この文体を受け継ぐものはなく、管見では、ほとんど顧みられた形跡がない。

だから『新撰大和詞』も古書店でそれほど高い値段がつかないのだろう。手元に届いた本も綺麗な本である。

もちろん支考も、仮名詩の方が書いて楽だったに違いない。しかし漢文である『論語』の注釈は、一見漢文体である「大和詞」で書かなければならないと考えたのである。支考は「机から離れるときは死ぬときだ」といって書き続けた『論語先後抄』を完成させることはできなかった。広告は出たが、出版はされなかった。この本を読んだ人はほとんどいない(私も前の方しか読んだことがない)。出版されたとはいえ、『新撰大和詞』も一体どれだけの人が真剣に読んだのだろう。

支考自身も、「大和詞」が多くの人に支持され、普及するとは考えていなかったに違いない。ただ、「仮名」と「真名」の両方を視野に入れた文章(文体)を考えなければならないと信じていたのである。支考はそのような壮大な視点で俳諧の文章(文体)を考えていた。明治になって田岡嶺雲が絶賛したのもその点を見抜いてのことである。

年末ぎりぎりに手元に届いた本を眺めながら、『新撰大和詞』を書き、『論語先後抄』を執筆していた支考の気持ちを想像してみるのである。

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