- 2012-01-28 (土) 18:43
- essay
この前、中学生が学校の話をしているのを耳にした。
先生のことを話題にするとき、呼び捨ての先生、あだ名の先生、きちんと「先生」を付けている先生がいた。生徒によっても違う。ちょっと興味深かったので聞いてみた。
「先生」をつける先生とか、呼び捨ての先生とか、使い分けてるの?
はい。いつもそう呼んでいます。
その使い分けはどういう基準なの?
なんとなくみんなそう呼んでいます。○○先生に関しては、みんなはあだ名で呼んでいますが、私はなんか違和感があり、「先生」を付けて呼んでいます。
なるほど。生徒たちは、その先生をきちんと見て呼び分けているのである。
生徒にとって「先生」としての存在感を持ち得た者のみが、先生と呼んでもらえる。なんと健全で公平なことか。
自分のことを振り返ってみると、高校までは呼び捨てにする先生がいたが、大学生になってからは、先生のことを呼び捨てにしたことがない。実はそのことを学生時代に気づいて不思議に思ったのであるが、それでも呼び捨てにする気にはならなかった。
自分が大人になったからというのもあるかも知れないが、やはり相応の存在感を皆持たれていたのだろう。
自分がそのような存在感を持ち得ているか、甚だ心許ない次第である。