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さりげなく離れるという配慮

学生と一つのモニターを見ながら作業をすることがたまにある。
そのとき、パスワードの入力が必要なときがたまにある。
また、テンキーロックのかかった資料室に一緒に入ることがある。
そのとき、やはりパスワードの入力が必要である。

私がパスワードを入力するとき、さりげなく離れる学生がほとんどである。
しかしたまにそのまま私のすぐ側にいる学生もいる。パスワードを見ているのか見ていないのか分からないが、側にいる。私個人のパスワードはともかく、資料室のテンキーは私個人の部屋ではないので、さすがに学生に見られたら困る。だから、

見るんじゃない!

と注意しなければならない。しかし、そう言うとおそらく、

見てませんよ~

と言うだろう。おそらくほんとうに見ていないのだと思う。しかし、教員共同の資料室を開ける以上、見てるか見ていないか分からない場合は、「見るな」と注意せざるを得ない。

さりげなく離れる学生は、そのあたりの配慮をしてくれているのである。そしてそのような配慮ができる学生がほとんどである。

しかしごく稀に、そうでない学生がおり、そしてごくごく稀に、凝視する学生がいる。別に知ったからといって何をする訳でもないのだが、隠されたものは見たくなるのである。それは分かる。しかしそれではあまりにも幼すぎる。もう大学生なのだから、さりげない大人の振るまいを期待したいものである。そのようなことまで注意しなければならないなんて、あまりにも悲し過ぎるというものである。

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