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映画テルマエ・ロマエ

娘に映画「テルマエ・ロマエ」に連れて行ってもらった。

タイトル、ちゃんと言われへん。どうしよう。

と私。

はぁ〜?

阿部寛って言うか。それとも、風呂のやつ!

お好きにどうぞ。

そんな会話をしているうちに窓口に着く。

「先に行って」と娘を前に出す。

娘が「テルマエ・ロマエ」と言ったとき、すかさず「以下同文」と言ってカードを出した。

ほっとしている私に、「以下じゃないし…」。と娘の冷めたつぶやきが聞こえたような気がした。

映画はコメディータッチの、とても面白い映画だった。
それでいて心ある技術者の苦悩もわかりやすく描かれていてよかった。シンプルだけれども、だれでも直面する苦悩だろう。

今もてはやされているのはほんものではない。本質を忘れた、うけをねらっただけのものに過ぎない。それが許せない。しかしそれを打破するには、技術者としてはそれを圧倒的に凌駕するものを作る以外にない。自分の理想を具現化し、本質を生かしかつ人々に受け入れられるようなものを。しかしそう簡単にできるはずはない。

そのためには、息を止めて水の中に長時間潜っているほどの苦しさに耐えなければならない。その苦しみの向こうに、ひょっとしたら何かのヒントが見つかるかも知れない。これは決して比喩ではない。

阿部寛演じるルシウスが別世界にワープするとき、必ず溺れる。その苦しみを経て、別世界で新しいヒントを手に入れることができる。そして涙を流したとき、元の世界に戻ってくる。

涙を流すのは、それまでの自分が壊れ、それによって世界が変わるときである。ルシウスはうんと苦しみ、最後の最後に溺れるくらい苦しんで新しい自分を手に入れる。それは新しいものを作れるようになった自分である。そのときに涙を流すのである。

自分の全存在をかけて、ものをつくる。
それまでの自分を壊さないと作れないような、ものをつくる。

そんな技術者を私は尊敬している。

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