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太宰治『ロマネスク』

  • 2009-02-05 (木) 14:03
  • 授業

 3学期2限は太宰治を読んでいる。昨日は『ロマネスク』。
 娘に惚れられたくて、仙術を使って津軽いちばんのよい男になった「仙術太郎」。しかしそのよい男とは、天平時代のよい男であった。参考にした仙術の本が古すぎたのである。
 しかも太郎はもとに戻れなくなってしまった。太郎が使った仙術の奥義は、「面白くない、面白くない」と何百ぺん繰り返し、無我の境地にはいりこむものだったからである。

 修業をして喧嘩が強くなった「喧嘩次郎兵衛」。しかし彼は実際に喧嘩をする機会が得られないまま、男をあげてしまう。そして自分が喧嘩に強いことを認めてもらいたかったのだろう、「おれは喧嘩が強いのだよ」と言って、喧嘩の仕方を説明しながら妻を殺してしまう。彼は本当の強さは手に入れられなかったのである。
  岩に囁く
  頬をあからめつつ
  おれは強いのだよ
  岩は答えなかった

 「ひとに嘘をつき、おのれに嘘をつき、ひたすら自分の犯罪をこの世の中から消し、またおのれの心から消そうと努め、長ずるに及んでいよいよ嘘のかたまりになった」「嘘の三郎」。「人間万事嘘は誠」とうそぶく。
 最後は、三人が居酒屋で出会い、酒を飲みながら語らう。「いまにきっと私たちの天下が来るのだ」「私たちは芸術家だ」。
 ちなみに私は、最後の場面で「三聖吸酸図」を思い出した。

 プレゼン担当の学生2人は、基本的にほぼ同じ読みをしていた。キーワードは「本当の価値」と「堕落」。それをもとに、

 三人ともホンモノにはなれなかったようだ。
 でもそもそもホンモノ、ニセモノとは何なのか?
 太宰は、なぜこの「三つ」(仙術、喧嘩、嘘)を描いたのか?
 太宰は、ホンモノになれなかった三人を決して否定的に描いていない。
 理想のホンモノから見ると、間抜けな三人だが、むしろ現実に生きてる人間ってこういうもんではないのか?

などなどの議論があった。

 太宰のユーモラスな文体を私も堪能している。久しぶりに太宰を読み返してみて、やはり太宰の筆力には驚愕するほかない。もっとも、若いころは「暗い太宰」が好きだったが、最近は「明るい太宰」が何ともいえず好きである。

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