ホーム > 日記 > 野茂さんに学ぶ

野茂さんに学ぶ

  • 2009-02-08 (日) 16:09
  • 日記

 昨日の朝、稽古前にいつものように、モーニングを食べながら読んでいたスポーツ新聞に興味深い記事が載っていた(中日スポーツ2月7日)。
 オリックスが野茂英雄テクニカルアドバイザーを招いて、投手捕手全員(2軍からも数名参加)を集めたミーティングを行ったというのである。初めに野茂さんがマウンドでの心構えなどについて話をし、その後質疑応答の時間となった。ところが、である。なんと誰一人質問せず、約10分で解散したというのである。企画したコーチは「雰囲気にのまれてしまっていた」と言ったとある。
 プロの、しかも投手が雰囲気にのまれて質問できないなどということがあるのか、とちょっと思った。もし本当たとしたら、プロの世界にもそういう気質が浸透してきたということなのだろう。もちろん実際のその場の雰囲気や事情が分からないのでこのミーティングについては何とも言えないが、少し一般化して考えると、とても面白い。
 というのも、「先生」と呼べる強靱な精神力でも書いたが、最近質問できない学生が増えているらしいからである。プロ野球選手を学生と一緒にしては大変失礼だが、桑田真澄さんや工藤公康さんが、よく「(若手が)聞きに来たら何でも教える」と言っているのを聞いたことがある。それを聞く度に私は、最近の若手選手は聞きに行かないということか、と思っていた。もっとも昔はどうだったかは知らない(昔は聞きに行っても「お前に教えて活躍されたら俺の給料が下がる」といって絶対教えなかった人もいたという話を読んだことがある)。

 さて、この記事を読んで率直に思ったのは、やはり「もったいないな~」ということである。何ともったいないことか。オリックスの選手はどうか知らないが、うちの学生の場合は、自分の頭の中で手を挙げない理由を見付けて、それを正当化している場合が多い。しかし私はそんな後付けの理由には興味はない。ただシンプルに「もったいない」と思うだけなのだ。チャンスは何度もあるわけではないのである。

 同じチャンスは二度とない

 私はこれまで何度もチャンスを逃してきた。だからそのことを学生に力説している。ミーティングのような場合、自分で考え抜いていないから質問することがない場合もあれば、聞きたいことがあるのに勇気がなくて聞けない場合もある。だから私は、授業や武道部ではそれらの能力を育てるメソッドを模索し、「武道部メソッド」にもいくつか取り入れているのである。
 
 この記事でもう一つ面白かったのは、担当のコーチが、今回の雰囲気を見て、再度の開催に否定的だった一方、野茂さんは「彼らには絶対に伝わっています」と断言したと報じていることだ。私はここに野茂さんの凄さを感じた。通常こういうことがあると、教える側の人間は、「学ぼうとする気がない」とか何とか、聞く方の心構えや能力を否定しがちである。記事のニュアンスでは、担当コーチのコメントが、「こんなんやったら何回やっても同じや」といったニュアンスを伝えている。
 だが、野茂さんは、「絶対に伝わっています」と断言している。私は。自分はここまで人間というものを信じているだろうか、と反省した。

 その後、昨夜であるが、このエントリーを書こうと思っていると、さらに興味深い記事を見付けた。
一つは、野茂さんの指導が「あまり参考にならない」と発言した選手のことである(Yahoo!ニュース、2月7日17時0分配信 夕刊フジ)。

 「野茂さんからフォークの握りを教えてもらったけど、このタマを投げる人間はそのような握りは誰でも知っているし、試してもいる。その中で、自分に最も適した握りを使う。はっきり言わせてもらえば、野茂流がすべて正解とはいえないでしょうね」(某投手)

 誰がどのようなニュアンスで、どのような意図を持って言ったのかなどは分からない。だがやはりこのような思考法に私はよく出会う。そしてこの時もやはり「もったいないなあ~」と思う。もしこのことを本気で信じていたのだとしたら、その選手は超一流にはなれないだろうなあと思うからだ。
 「野茂流がすべて正解とはいえない」。当たり前である。そして教えている野茂さんがそのことを一番よく知っているはずだ。そして「自分に最も適した」、その人流の個性的なやり方を身に付けさせるためには、自分のやり方を徹底的に教える他ないということも。
 この考え方は、現代の教育学ではあまり評判がよくないが、武道や芸事、つまり技術の伝承の世界では当たり前のことである。これについてはいずれきちんと書きたい。
  ともあれ、

 「誰でも知っているし、試している」握りで、あれだけのフォークボールを投げ、活躍できた秘密をこそ私は知りたいのである。

 もし、誰も知らない秘密の握りがあり、その握りをすれば誰でも野茂さんと同じフォークが投げられるというのであれば、そんなものに私は興味がない。
 そもそも野茂さんに教えてもらった握り方を既に知っていた場合、「そんなこと知ってる」と思ってしまっては、もう次がない。「自分は知っているし、試したこともあるのに、なぜ自分は野茂さんのようなフォークが投げられないのか」と考えるほうが自然だろう。そしてさらに指導してもらいたければ、言われた握りで目の前で投げて見せれば、次のアドバイスに繋がるはずだ。その中からこそ、自分流が見つかると思うのである。
 教えられる側が自分から門を閉じたらそこで指導は終わりである。そしてそのことを叱ってくれるのは、親と小学校、せいぜい中学校の先生までであろう。門を閉じられた指導者は、「また望まれればいつでも来ますよ」と心の中で呟いて静かに去ってゆくのみである。
 もちろん野茂さんが自分にとって不必要な指導者であると本気で思うなら、指導を拒否するべきである(くどいようだが、この記事の選手がどう考えているかは分からない)。

 もう一つの興味深い記事は、野茂さんがその翌日、特別フリー打撃に登板したというものだ(nikkansports.com)。ミーティングでは自分の思いが伝わったと信じ、その翌日には自分の投球で自分のメッセージを伝える。もちろん他にも自分にできることを淡々とこなしているのである。

 実をいうと野球選手でもない私が、現役時代の野茂さんから一番学んだのはこの点なのだ。野茂さんは、自分のパフォーマンスを、「打たれたから悪い」、「抑えたから調子がいい」などと結果で判断せず、質で判断していた。「今日は打たれたけど内容は悪くなかったから大丈夫」などというコメントを何度も聞いた。

 自分のパフォーマンスの質を自問自答によって問い、それに基づいて今やるべきことを判断し、淡々と、かつきちんとやる。

 これは私が知っている超一流のアスリートに共通するシンプルな思考法である。イチロー選手も同じ思考法をもっている。アスリートとは言わないと思うが、将棋の大山康晴名人も同じ思考法を講演で述べておられた。もちろんこのような思考法は誰でも知っているのだろう。だが私や学生にとっては、その実践はとても難しいのである。だから、私は、この

 だれでも知っているこの思考法を、どうやったら実践できるのか

 を考えている。今回の野茂さんに関するいくつかの報道も、そんな野茂さんの方法が垣間見られて、とても興味深かったのである。

補足)
 新聞記事を拠り所にして何かを述べることはかなり難しい。どのくらい信憑性があるのか、ニュアンスがどうだったのか、真意はどうだったのか、発言の意図は何だったのか(わざと嘘をつくこともいくらでもある)などなど、分からないことだらけだからである。それでも敢えて書くのは、私の興味が、考え方の本質にあるのであって、具体的な事象それ自体にあるのではないからである。極端にいうと、ミーティングの話がプロ野球球団であろうと、どこかの大学のサークルの話であろうとかまわない。もちろん誤解があったり、不足の事柄があった場合はぜひご教示願いたいと思っている。

ホーム > 日記 > 野茂さんに学ぶ

カレンダー
« 2025 年 1月 »
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最近の投稿
最近のコメント
カテゴリー
アーカイブ
リンク
中森康之研究室
武道部
俳文学会
現象学研究会

ページトップに戻る