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「すっと、はいれる」境地

  • 2009-02-11 (水) 23:28
  • 日記

 先日、春風亭小朝師匠がテレビでこんな話をしておられた。
 人間国宝の柳家小さん師匠が、ある寄席で30分の落語をやった。ところが子どもが前を走り回って、ジュースの缶が転がって、大騒ぎだった。
 小さん師匠の声は聞こえない。それなのにマイペースでずっとやってらっしゃる。そして、15分経過したあたりからだんだんその音が静かになって、20分くらいから笑いがおき始めて、25分で爆笑になって、最後は万雷の拍手で舞台を降りられた。それを見ていた小朝師匠は鳥肌がたち、「どういうことなんだ、これは」と思われた。そして師匠がお亡くなりになる直前に、お聞きになった。

(小朝師匠) どうしても聞きたいことがあるんですけど。
         師匠、こういうことがあったんですけど。
(小さん師匠)ああ、あったかもしれないなあ。
(小朝師匠) 師匠、ああいう時どうなさるんですか。
       師匠の声全然聞こえてなかったんですけど。
(小さん師匠)いや、そんなのは簡単なんだよ、話に入っちゃ
       えばいいんだから。

 「つまり、目の前にいる登場人物しか見えてない。だから何にも音が聞こえない。誰が騒いでいようが、何をしてようが見えない。すっと話に入って、30分喋って、降りてきた。結果的にお客さんがついてきて、万雷の拍手だった。」(小朝師匠)というのである。

 「だからねえ、凄いですねえ」と小朝師匠はおっしゃったが、ほんとうに凄いことだと思う。これぞ私がいつも主張している武道の心であり、芸事の境地なのである。

 最良の結果を得るために、結果ではなく、目の前のプロセスに集中する。

 これが武道の思想であり、芸道の思想である。そして、一つ前のエントリーで書いたように、優れたアスリートの思考法なのである。言い換えれば、これは、

 「結果」を「目的」とせず、あくまで「結果」と思える強靱な思考力

である。小さん師匠も、笑わせようとせず、話に入り込むことに集中した。小朝師匠がおっしゃったように「結果的に」お客さんがついてきて万雷の拍手となった。もちろん笑わせるために落語をするのであるが、落語の最中はそれを目的としないというのである。

 最良の結果を得るために結果を忘れる。

 武道に見られるこの逆説の思想を、私は一般化して「逆説の武道」とよんでいるが、この逆説を信じることはなかなか難しい。実行するとなるとなおさらである。だがもう一度、平井伯昌コーチが北島康介選手にしたアドバイスを思い出そう。

 勇気をもって、ゆっくり行け

 金メダルを取りたければ、早く泳ぎたければ、ゆっくり泳げ。そして北島選手は、見事に実践した。この常識外れの逆説こそ、論理的思考と現実の間に横たわる逆説なのである。

 武道においては、この心を形稽古で養う。形は様式美のためにやるものではない。もちろん他にも大切なことはあるが、形稽古の意味の一つは、この「すっと、はいれる」境地に立てる心を養うことにある。
 私もいつかその境地に行けるのだろうか?
 教室に行き、すっと話に入り、だんだん学生が集中してきて、最後は万雷の拍手で教室を出て行く。
 そんな日がいつか来ればいいのになあ、と思う。
 そのためには、三戦、三戦、なのである。

 補足)三戦とは、剛柔流空手のもっとも大切な形です。

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