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ちょっと反省

 ちょっと反省している。
 実は昨日の歓送会に、実務訓練(本学では学部4年生の1~2月の2ヶ月間、企業にインターンシップに行くことになっている)から帰ってきた学生が参加していた。私は彼に「実務訓練で何やって来たん?」と聞いた。すると彼は、「細かいことは社外秘ですが、携帯電話のこの部分の製品に関係する仕事です」とか、仕事の内容を話し出した。
 もちろん私はそんな話が聞きたかったのではない。また、入部したての部員ならまだしも、もう2年もたつ学生が、先の言い方で私が「何を」聞いているのかが分からないはずがない。つまり彼は、わざと中心を外したのである。
 しかし私は最近優しく(甘く?)なったので、こう言った。「そんなこと聞いてるんじゃないんですよ。あなたが実務訓練で、何を学んできたかが聞きたいんです」。それでも要領の得ない答えしか返ってこなかった。

 彼は何も学んで来なかったのである。
 もちろん本当は、いろいろなことを感じたり、考えたりしたはずだ。しかしそれが自分の中で詰められていない。すなわち「学び」になっていない。少なくとも聞かれたその場で詰められないということは、何も学んで来なかったのと同じである。そう認識しなければならない。詰めが甘い学びでは自分は変化せず、何度も同じことを繰り返してしまうからである。

 詰めるとは言葉にすることである。自分が感じたことを、ぎゅーぎゅー絞って言葉にする。その絞りが甘いと学びが甘くなる。だから武道部では、「ぐーたら手帳計画」で毎日日誌を書いているし、審査や研修会の後は、必ず「一人一言」を行うのである。この絞りの甘い者の言葉は甘い。誰でも言えるおざなりのことしか言えない。逆に絞りきった人は、その人でなければ言えないこと、その人が言うから価値のあることが言えるのである。これが「自分の言葉」である。
 だからこれらは武道部にとって、とても大切な稽古なのだが、最近「一人一言」の内容が甘いと感じる。それは武道部全体の空気が甘いということである。
 この甘さは、部員や私の人生において命取りになるだろう。気を引き締めないといけない。

 武道部で何かを学んだのであれば、武道部に入らなければなれなかった自分になっていなければならないし、実務訓練で何かを学んできたのであれば、行く前とは違った人間になっていなければならない。そして何より、そのことを自分が認識していなければならない。そうでなければ、武道部にいる価値も、実務訓練に行った甲斐も、何もないのである。

 微妙な感覚を言葉にすることは難しい。そのときは言葉にできなくても、その経験があとで生きてくるということもいくらでもある。当然だ。しかし、そのことを認めることと、経験をぼんやりとやり過ごすこととは全く違う。経験を言葉によって絞りきった者だけが、それでも残る言葉にできないものの意味を知るのではないだろうか。
 私は文学者であるから、詩人が言葉をどのように信じているかを、ある程度は知っている。そして何に苦労しているかも。もちろん詩人と同様の格闘を求める訳ではないけれど、私たち普通の人間が経験を言葉によって学びにかえることと、詩人が言葉を紡ぎ出してくることとは、本質的には違わない。そうやって絞り出された言葉であればこそ、人の心に届くのである。

 明日、武道部の追いコンがある。今年は9人が卒業する。武道部にとって追いコンは特別な行事である。研究と武道部の稽古時間を数年に渡って両方確保し続けることは、相当の覚悟がないとできない。つまり、武道部で卒業まで稽古を続け、追いコンで追い出されるというのは、とても大変なことなのである。数々の障害を乗り越えて、武道部をやりきった部員だけが、後輩から、誇りと尊敬とあこがれをもって追い出される。だから、「一人一言」も、他のときとはひと味違うものが多い。
 「武道部でいろんなことを学びました。それを社会に出てからも生かして、これからも頑張っていきます」とか、「私はあまりいい部員ではありませんでしたが、皆さんは私を反面教師として私のような部員にならないように頑張って下さい」などといった、おざなりなスピーチは武道部では許されない。すぐさま「いろんなことって例えば何?」とか「そんなこと聞きたくない」といったツッコミが入る。だから毎年、卒業生からは、自分が武道部から何を学んだか、自分にとって武道部とは何であったか、後に残る在学生への自分のメッセージが熱く語られる。在学生からは、武道部と先輩への思いが語られる。

 私が追いコンが武道部にとって特別な行事であると思ったのは、第一回追いコン、初代部長、荒川留美子さん(旧姓沖野さん)のときの追いコンだった。留美子さんと私は、2人で武道部を作ったのであるが、はじめは頼り無いところもあり、部員も不安に思っていた部長が、追いコンのときには、全部員が彼女を自分たちの部長だと心の底から認めていたのである。その空気が全体を支配していた。そういう追いコンだった。
 
 「人づくり」武道部は、入部してどのくらい自分が成長したかが重要である。追いコンはそれを自分や他の部員が確認する場所なのである。だから特別なのだ。

 その意味で、入部時必ずしも模範的ではなかったにも関わらず、見事に成長し、副監督として武道部を支えてくれた荒川幸弘くんが卒業し、バーゼル大学(スイス)にポスドクとして赴任する。彼は7年間武道部で修行した。また6年間誰よりも地道に努力を続けた來原央さんが卒業し、就職する。この2人に尊敬とあこがれを持たない部員はいない(いるとしたら、努力せず適当に過ごしている部員である)。2人が部員に何を語り、部員が2人に何を語るのか。とても楽しみである。
 もちろん他の卒業生も、それぞれの事情を抱えながら精一杯頑張ってきた。彼ら(彼女ら)が何を語ってくれるのか、楽しみで楽しみで仕方ない。

 ところで、冒頭で書いた反省。私は何を反省しているのか。
 実は、追いコンを楽しみにする反面、危機感も持っていたところだったから、つい冒頭のようなやりとりをしてしまったのである。だが場所は歓送会。楽しく送り出すという空気を壊してはいけない場である。そういうことに対して、いつまでたっても、私には全く学びがないのである。すみませんでした、絵実子館長。

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