- 2009-03-05 (木) 14:13
- 研究
2日から4日まで、有明高専へ焼山先生と打ち合わせに行ってきた。豊橋技科大の、高専連携教育研究プロジェクト「高専から技科大に継続する日本語(国語)コミュニケーション能力の向上に向けた教育プログラムの開発と、それに基づくオリジナルテキストの作成」という長いタイトルのプロジェクトである。
技術者教育において、コミュニケーション能力の向上が言われているが、その中心は英語である。しかし、日本語(国語)のコミュニケーション能力を鍛えることは、技術者としても、人間としても、とても大切である。
技術を生かすのは人間である。そしてコミュニケーションは、人間の欲望本質である。コミュニケーションがうまく出来ない技術者が、真に人間を幸福にする技術を開発し、生かすことを私はうまく想像できない。
もちろんここでいうコミュニケーション能力とは、たんに愛想がいいということとは違う。人間にとって、コミュニケーションというのは、自分と他者に自己自身を開くという意味である。それは自己肯定と他者承認の欲望に基づくものであるが、もう一つ、「共感」ということも含め、他者と自己の融合という問題も考えている。
それをバタイユは『エロティシズム』において、「連続」と「非連続」というタームで論じているように思うのだが、それについては、また別の機会に述べたい。(もちろん焼山先生とこのような話をしてきたのではないので、念のため)。