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野村克也『ああ、監督-名将、奇将、珍将』

  • 2009-03-30 (月) 22:12
  • 読書
あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)

発売元: 角川グループパブリッシング
価格: ¥ 740
発売日: 2009/02/10

 私が野村監督の本を読むのは、野球の「思想」を語ってくれるからである。「武道の思想」を考えている私としては、とても参考になる。「武道の思想」は、優れたアスリートやビジネスマンたちの考え方と、多くの共通点を持っていると私は考えているが、中でも「日本野球」は非常に「武道的」である(もちろん今回のWBCチームが「サムライジャパン」と呼ばれていることとは全く関係がない)。そのことを確認させてくれるのが、野村監督であり、落合博満監督監督であり、野茂英雄さん、イチロー選手なのである。
 本書も、「人間的成長なくして技術的成長なし」など、これまで何度も読んできたことが書かれてあり、基本的には「確かめ読書」であったが、今回興味深かったのは次の文章である。

 なぜ確固たる理論と知識を持った監督がいなくなったのか。その理由は、昔に較べていまの監督の野球に対する取り組みが、現役のころから甘いことに起因しているように思う。研究心や向上心に貪欲さが感じられないのである。
 長嶋のような天才以外、プロに入ってくるような選手の素質は大差ないと私は思っている。ということは、持てる素質を開花させ、かつそこにプラスαを加えられるかどうかが、プロとして生きていく条件となるわけだ。
 現役のころから私は、数々の選手を見てきたが、よくこう思ったものだ。
 「素質を見込まれてプロに入ったのに、どうして努力しないのだろう」(116頁)

  
 私も、学生の「持てる素質」をいかに開花させるかということに奮闘しているが、自分が潜在的に持っている素質(可能性)を鍛え、具現化させようとする意識の希薄化は、最近の傾向だと思っていた。ところが野村監督が現役のころからそういう選手がたくさんいたと言うのである。まあ言われてみれば当たり前のことかもしれない。むしろ優れた素質のある選手に限って言えば、昔の方が才能だけでやっていたのかも知れない。
 武道の思想の一つは、この自分の「持てる素質」をいかに発揮するかに関わっている。優れているかどうかは関係ない。人それぞれが持っている「自分の素質」を、最大限に発揮するための思想と技術が、武道にはある。嘉納治五郎の「心身最有効使用道」という武道の定義を私は基本的に支持している。
 その意味でも、「持てる素質を開花させ」ようとする意識と努力を、一つの「技術」として語ってくれる野村監督の本は興味深いのである。

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