- 2009-12-03 (木) 10:03
- 授業
昨日、村上春樹を読む授業のことを書いたが、2学期にこう言っていた学生がいた。
村上春樹の小説は読み応えがない。
ほう、。通俗的ということか、深さが足りないと言っているのか、と聞いていると、
起承転結がハッキリしていない。例えば星新一のショートショートは、起承転結がハッキリしていて、最後にきちんと謎に答えて終わる。だから、読んだあとすっきりする。それに対し村上春樹は、謎がきちんと解かれていない。読んだ後もやもやが残る。作者がきちんと答えを出さず、読者に委ねている。だから、星新一などに比べて、村上春樹の小説は読み応えがない。
えっ??? それって「読み応え」の意味を間違ってるんじゃないの? 私は別に村上春樹と星新一を比べて云々する気はないが、起承転結がはっきりしていて最後に謎が全て解かれる小説が読み応えがある小説であるというのは。でも、なるほどそれで学生はミステリーが好きなのか、と妙に納得してしまった。
文学を読む楽しみって、その「もやもや」じゃないの?
と聞いたら、
でもはっきりした答えがほしいです。
どうもこの「もやもや」の責任は、作家の思考、あるいは力量不足と考えているようなのであった。
もちろんこう考える学生がほとんどなのではない。ときどき文学部的な発想を超えた意見が出てくるので私としてはとても刺激的である。しかもこういう学生とよく話してみると、結構面白かったりするのである。
でもこの「もやもや」の醍醐味も味わえるようになってね。なんせ人生は「もやもや」ばっかりなんだから。