- 2010-09-03 (金) 22:38
- 研究
9月1日、夜東京入り。
2日・3日、日本武道学会第43回大会。
この学会に入ったのが今年なので当たり前だけど、初めての参加である。知り合いもいないし、要領も分からなかったが、ともかく受付時間に会場へ。
会場の明治大学和泉キャンパスも初めて。駅を降りて人の流れに乗って歩いていたら、ある会社に入ってしまった。おっ?と思っていると警備員さんが飛んできた。
どちら様ですか?
名前を名乗っても仕方ないので、「ここ明治大学じゃないですか?」と尋ねる。親切に教えてもらって無事会場に到着。
とりあえず、面白そうな発表がある部屋へ。質疑応答の時、○大学の○先生が発言される。ん?そういえばデラさが○大学の先生と知り合いだと言ってたような気が……。この先生かなあ、と思っていると、タイミング良くデラさからメールが来た。返信メールで聞いてみると果たして知り合いだった。ということでご挨拶。目出度く知り合い?が1人できた。
こういうことはもう普通のことになったけれども、この学会でもいい流れでタイミング良くいろんな方と会えた。名前だけ知っていて顔を知らなかった方が発表者として登場されたり、質疑応答で発言されたり。また発表後すぐお話できなかった方とも、トイレの行き帰りや食堂などで遭遇することが叶った。
昨年の鹿屋体育大学の身体儀礼文化フォーラムに参加したとき、一日中一番目立つところにいた私たちに「どちらから来られたのですか?」と声をかけて下さったH先生にも目出度く会うことができた。
そんなこんなでいろんな方とちょこちょこお話ができた。中でも江戸時代の柔道伝書を紹介された方とのお話は非常に興奮した。また空手のある流派の方ともご挨拶。前から知りたかったその流派の「引き手」について確認できた(思っていた通りだった)。
そんなこんなでかなり多めに持って行った名刺が、2枚を残すのみとなった。こんなに一度に名刺交換したのは初めてである。
日本武道学会の発表は「人文・社会科学系」「自然科学系」「武道指導法系」に分かれており、それぞれの発表は、ほとんどが柔道や剣道などのトピックに分かれていた。各種目を超越した「武道」として何かを論じるものはほとんどないなあと思っていると、2日の本部企画で、寒川恒夫氏が、類概念としての「武道」はグローバル化していない、という話をされた。「武道は、これに含まれる種目が持ついわば種概念としての精神文化とは別に、それらを武道として認識するための類概念としての精神文化を必要とする」(『抄録』13頁)。
その本部企画の前に特別講演。『日本型イノベーションのすすめ』(日本経済新聞出版社)『なんとなく、日本人』(PHP新書)の著者、小笠原泰氏による「武道とはいかなる意味で日本的なのか-国際化を『モノ』と『こと』から考える」。日本武道学会に来てこのような話を聞けると思っていなかったので、非常にラッキーだった。しかもこの前の身体開発研究会で話題になったばかりの「日本的」なるもの。小笠原氏が公演中でも触れられた、これぞまさしくセレンディピィティー。
「グローバル・パラドクス」ということをまずお話になる。おお「逆説」ではないか。さらにそれを基礎とした「日本的」なるものについて、持論を展開された。
講演終了後、個人的にお話を伺う。もちろん「日本的サッカーなるものはありえるか」ということも質問する。なんと小笠原氏はサッカーにも非常に詳しい方だった。
小笠原氏の特別講演の後は、先に触れた本部企画。「武道の国際的普及をめぐって―武道に期待されているもの ―」。パネリストは寒川恒夫氏と金子明友氏。寒川氏については上述した。金子氏のお話は、フッサールやら現象学やらが出て来て驚いた。恥ずかしながら私は金子氏の御著書を読んだことがなかったのである。早速その場で『わざの伝承』をネットで検索、注文した。そうだ、4日の現象学研究会に備えて『イデーン2』を読まねば。
学会2日目(9月3日)。
午前中は研究発表聴講。
午後から専門分科会。私は空手道の分科会にいくのが普通なのだが、剣道専門分科会企画で、小笠原流礼法の小笠原清忠宗家がご講義される。身体儀礼フォーラムでお話を伺ったこともあり、剣道の専門分科会に参加。
ご講演の後実技指導。もちろん出来なかったが、面白かった。特に最近よく言われている武道的身体動作は、いかに楽に、合理的に、有効に身体を使うかという話が中心だが、小笠原流は、当たり前だが礼法なのであった。つまり自己のパフォーマンスを最大値にすることだけではないということである。そのことが、ごく僅かではあるが実体験してみてよく分かった。
終了後ご挨拶する。鹿屋でもご挨拶したので覚えていて下さった。
その後、途中から空手の分科会に参加。
ということで初参加の学会が無事終了。
明日は久しぶりの現象学研究会である。