12月1日。学内の講演会聴講。
榊プロデュース第16弾プレステージレクチャーズ
平成23年度テーラーメイド・バトンゾーン教育
開発リーダー特論 12講義
【講 師】林 南八 氏(トヨタ自動車株式会社 技監)
【テーマ】モノづくりと危機管理 「トヨタ生産方式の本質と進化(深化)」-今何が求められているか-
「トヨタ生産方式は、方法ではなく哲学である」。
とおっしゃった。そしてその哲学をお話下さった。震災の話から始まり、「自働化」「ジャストインタイム」などなど。有名な大野さんのお話も聞けた。
「製品監視ではなく、良品条件の監視」というのもなるほどと思った。
「5回のなぜ」は具体的だ。
「目で見るな。足で見ろ。頭で考えるな。手で考えろ。(鈴村語録より)」もいい。
「トップが現場に立て」も大切だ。
「データの読めない奴は話にならん。データで見れる様になっていない現場もいかん。データしか見ん奴が一番いかん。(大野語録より)」も素晴らしい。
さらに素晴らしのは、「実力を越える課題を与えているか? それによって考えさせる、やらせることが大切」ということ。
また、「集中化、分業化ではなく、スルーに連携する力こそが職場力であり企業の力」とも。
だから学生には、
深い専門性を持った技術者を求めるものの専門バカにはなるな
学部は必要な基礎知識を身につける場
修士課程は未知なものの探り方を学ぶ所
というメッセージが送られた。
そして、
日本でしか造れないモノの確立
日本に残された唯一の資源 人材
が大切だと。
トヨタの方が学生に、「専門バカになるな」「それは私の専門外だから分からないと言うな」などと語って頂けるのは有り難い。講演もとても分かりやすかった。いくつかの箇所については深く共感した。ただ全体として、終わってから何とも言えない違和感が残った。
さてさて、この違和感は何か。
おそらく私がよく分かっていないのだろうと思うのだが、話を聞いていて、「人間」を大切にする感性の不在が気になったのである。この方式の中にいる「人間」の感性、心が語られなかったからだと思う。暖かさや創造性が感じられなかったのである。震災復興のときの人員投入の話なども、復興期間が劇的に短縮された分だけ、個々の「人間」が何を感じ、何を思ったか、それがその人たちの人生に如何ほどの影響を与えたのだろう、と考えてしまうのである。いい影響であろうと悪い影響であろうと、影響がなかったことはあり得ない。しかしそれは語られなかった。その語られなかったことに対する違和感なのだと思う。これが「方法」ではなく「哲学」だということなのでなおさらそう感じたのだと思う。
「方法」なら、ある創造的なものを作り出す「方法」としてそれを採用することが出来る。これには相応しくないからと部分的に採用しないこともできる。しかし、これが「哲学」であるなら、それは価値観と生き方そのものの問題だということである。取捨選択はない。それが「人間」の感性や心を語らない哲学であるならば、私はこの「哲学」では生きられない、たぶんそう感じたのだと思う。
繰り返すが、これはきちんと深く勉強した訳でもなく、たった1時間半の、しかもテーマを絞ったご講演を聴いての漠然とした感想に過ぎない。現に講師の方は実に生き生きしておられた。おそらくほとんどの社員の方もそうなのだろう。もし「人間」の話をして下さいとお願いすれば、非常に面白いお話をして下さっただろう。現に、話の合間に挿入されたエピソードは実に人間的な情緒に溢れたものであった。
だから私の違和感は、ないものねだりであり、講師の方に大変失礼なのである。それはじゅうぶん分かっている。
しかし……。多分弱い私はこの「哲学」では生きられない。ただ、そう感じたのである。
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