12月2日。
主催:日本経済新聞社、文字・活字文化推進機構
プログラム
基調講演 浅田 次郎氏(作家 日本ペンクラブ会長)
パネルディスカッション
パネリスト
浅田 次郎氏(作家 日本ペンクラブ会長)
近藤 誠一氏(文化庁長官)
雑賀 大介氏(三井物産代表取締役常務執行役員)
コーディネーター
八塩 圭子氏(フリーアナウンサー、学習院大学特別客員教授)
まず聴衆の層に驚く。
サラリーマンらしき年配の方がほとんどだった。
日経新聞主催だからなのか、文字・活字文化推進機構だからなのか、パネリストによるのか分からない。しかし、私がいつもいくシンポジウムとはちょっと違う人達だった。だからどうということもないけれども。
しかし私の隣の方は、浅田次郎さんの講演のときは少々お眠りになっておられたが、雑賀さんのご発言のときは、頷きながらメモをとっておられたので、ああ、そういう方面の方なのかなあ、と思った次第である。実は反対側の隣の方も、おきてはおられたが、ほぼ同様の反応だった。
浅田さんの基調講演はとても面白かった。
自分の本分を忘れてはいけない。
「分」をわきまえる。最近私もよく学生に言う。これは最近の日本が忘れてしまった日本文化の大切な価値観である。
その後、「希望的観測」という語を手がかりに、日本人の国民性について話された。日本人は「希望的観測」に基づいて行動してしまうのだそうだ。この語の初出や戦争の話など、小説家らしい、興味のわく話の展開だった。
そして教育の話。
明治維新は奇跡であり、これが成功したのは国民のレベルの高さゆえであった、という。リーダーの力量以前に、寺子屋の普及などによる日本国民の教育水準の高さが、あの明治維新という奇跡を成功させたのだと。中山道などの宿場には、今多くの記念館が建てられているが、そこには膨大な数の御触書が保存されている。つまりは、それだけみんな文字が読めたということであると言われた。なるほど。そして、
この教育制度について真の誇りを持たねばならぬ。
とおっしゃった。全く同感である。私の考えはまた改めて述べるとして、日本の教育思想とシステムは非常に優れたものだったのである。
しかし、今の成人力は、30年前の7掛け(8掛け)だという。つまり、今の60歳は、30年前の42歳程度、20歳は14歳程度であると。なるほど、なるほど。自分自身を省みて、そうかも知れぬ、と思う。反省せねば。
最後に印象に残ったのが、「節目節目で人間がやらなければならないこと」。『新撰組始末記』が出版されたのが1928(昭和3年)、明治維新から60年後である。ご自身の小説『終わらざる夏』も、終戦から65年後の出版。だいたいそういう節目で人間がやらなければならないことがある、そうおっしゃった。
さて、その後は、パネルディスカッション。90分という比較的長い時間をとってあったこと、さらにパネリストが成人力の高い方だったこともあり、非常に充実したいいシンポジウムだった。
浅田さんは、今日の入場者の学生の割合が3%ほどであることを指摘された。普段大学の講演に行っても、そこの学生はほとんどいないという。いる場合は、出席が授業の振り替えになっている場合、つまり単位となる場合であると。
それに対して、こういうシンポジウムがあると、アメリカでもデンマークでも、半分は学生だと、近藤さんが言われた。
その近藤さんが紹介された、デンマークの話はとても興味深かった。PISAの順位は低いけれども、国民の満足度はナンバーワンなのだそうだ。日本とは正反対である。
そのデンマークの教育は、徹底した教養教育であるという。
雜賀さんは、人のせいにしないことが成人力だとおっしゃった。それと、現実で苦労せよ、と。
それにしても面白かったのは、
浅田さん
「あの人は人物だ」というようなものが「成人力」であり、そういう人が減った。それは、儒教などによる「人間とはかくあるべきだ」という規範を日本が失い、それがないまま目先の利益を追うことに追われたからだろう。
近藤さん
デンマークが徹底した教養教育を行っているように、古典・歴史から学ぶことが重要であり、一見ムダに見えることがその人の教養を作り、自立の基となる。
雑賀さん
(企業としてどういう人が欲しいですか)部屋の中に閉じこもってパソコンばっかりやってる人はいらない。現実の中で、しっかり社会体験している人がほしい。現実を見て苦労していることが大切だ。
(海外留学は?)その前に、自分の中にしっかりしたものをもってから行って欲しい。自分が空っぽで行っても、洗脳されるだけ。
作家も文化庁長官も大企業の代表取締役常務執行役員も、世間で言われている「グローバリゼーション」も「効率化」も「コスト意識」も大切だとは言われなかった。いやむしろその前に、成人力が必要だと説かれたように思う。そういうシンポジウムだと言ってしまえばそれまでだが、これからの日本にも、産業界にも、そんなものは必要ない、必要なのはグローバルで効率・コスト意識の高い人材であるとは誰も言われなかった。そして冒頭でも述べたように、このシンポジウムの聴講は、ほとんどが産業界の方のようだった。しかも、年配の方が多かった。そしてうなずきながらメモをとられていたのである。
一体、誰がどこで、グローバルで効率的でコスト意識のある人材を求めているのだろうか?
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