(昨日の続き)
放鷹術実演の後は、公開講演会。
講師:二本松康宏氏(静岡文化芸術大学准教授)
演題:鷹狩りの文化と伝承ー三河吉田藩と小鷹野をめぐってー
「王朝の鷹狩り」から「三河吉田藩の鷹狩り」まで、通史的にざっくり概観された。また、鷹狩りの文化史的意味、「野」という領域の意味に言及された。非常にわかりやすくて面白い話だった。鷹匠の身分など、初めて知ったことも多かった。
その後、昼食会。
田籠善次郞鷹師(諏訪流放鷹術保存会第十七代宗家)とお話しながら会場へ。
鷹の育て方、性質、鷹匠の修行法などについてお聞きする。
聞けば聞くほど、人間と一緒である。
食事会でも、興味深いお話をお聞きする。
若いお弟子さんが多かったが、とても真摯に取り組んでいるのがよく分かったし、しっかりと自分の考えをもって修行されている。なにより、屈託がなく、明るかった。そうでないと鷹が馴染んでくれないのだろう。
田籠鷹師は、ここでも面白いお話をして下さった。
若い頃、鷹をつれて遊びに行ったら、師匠に全て見抜かれたというお話。
鷹の顔を見れば、何をしてきたかが全て分かるのだそうだ。
人間は嘘をつくが、鷹は嘘をつかない。
田籠鷹師はこうもおっしゃった。
自分の師匠の言葉は宝の山だった。あちこちに宝石をばらまいてくれた。私はそれを全部集めて持って帰りたいと思ったが、なかなか全部拾いきれなかった。
正確ではないが、そのような意味のことをおっしゃった。
自分の正直な思いであり、またお弟子さんにも語っておられるのだろう。
私にも覚えがある。
師匠の教えは、自分の能力に応じてしか受け取れない。しかしその100分の1も受け取れていないことだけは分かる。だから歯がゆい。しかし自分がレベルアップするしかそれを受け取る方法はない。宝石のように、集めて袋に入れて持って帰ることはできない。言葉だけを覚えていても意味がない。メモしても、録音してもダメなのである。
受け止めきれない膨大な教えを慈しみながら、今自分に受け止められる教えを真正面から誠実に受け取る以外にない。そうやって、時間をかけて少しずつ少しずつ進んで行くしかない
師匠もそうやって師匠になった。
だから師匠はいつでも本質的に、待っていてくれる存在なのである。
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