支考の『新撰大和詞』の板本を購入した。
院生時代にマイクロからコピーしたものを持っていたが、現物が欲しくなって。
幸い安価で手に入った。
仮名詩を創案した支考は、その一方で「大和詞(大和真名)」というのも創案した。
日本人は日本の言葉で詩を書くべきである、というのが支考の主張である。だから仮名詩を創案した。しかし一方で、日本においては古来から和文と漢文の両方が用いられてきた。だから「仮名と真名との通用」を知らなければならない。というわけで「大和詞」の解説書を書き、自らもそれを用いた文章を残した。
仮名詩の方は、その後の、蕪村の仮名書きの詩、明治の『新体詩抄』などもあり、一般化して受け継がれたと言ってよいだろう。「大和詞」の方は、支考の絶筆『論語先後抄』がこれで書かれているが、この文体を受け継ぐものはなく、管見では、ほとんど顧みられた形跡がない。
だから『新撰大和詞』も古書店でそれほど高い値段がつかないのだろう。手元に届いた本も綺麗な本である。
もちろん支考も、仮名詩の方が書いて楽だったに違いない。しかし漢文である『論語』の注釈は、一見漢文体である「大和詞」で書かなければならないと考えたのである。支考は「机から離れるときは死ぬときだ」といって書き続けた『論語先後抄』を完成させることはできなかった。広告は出たが、出版はされなかった。この本を読んだ人はほとんどいない(私も前の方しか読んだことがない)。出版されたとはいえ、『新撰大和詞』も一体どれだけの人が真剣に読んだのだろう。
支考自身も、「大和詞」が多くの人に支持され、普及するとは考えていなかったに違いない。ただ、「仮名」と「真名」の両方を視野に入れた文章(文体)を考えなければならないと信じていたのである。支考はそのような壮大な視点で俳諧の文章(文体)を考えていた。明治になって田岡嶺雲が絶賛したのもその点を見抜いてのことである。
年末ぎりぎりに手元に届いた本を眺めながら、『新撰大和詞』を書き、『論語先後抄』を執筆していた支考の気持ちを想像してみるのである。
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