- 2012-01-10 (火) 22:58
- essay
興味深い記事を読んだ。
特にこの部分。
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「彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。
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「自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明」し、「政治や国際問題について語」ることを求められるのは、何もビジネスエクゼクティブだけではない。研究者でも、技術者でも同じである。とりわけ、「グローバルでイノベーティブ」な技術者であればなおさらである。
だがほんとうに、「グローバルでイノベーティブな技術者」教育は、それを叶える方向に向かっているのだろうか??
私には「自国の歴史や文化を正確かつ興味深く」語れないグローバルでイノベーティブな技術者をうまく想像することが出来ない。
同様に、コミュニケーション能力。
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「英語の問題だと思うか?」という私の問いに応える。
「それも否定出来ないが大きな問題ではない。むしろ能力や知識、人間性の問題だよ。最大のものは、コミュニケーション能力かな。英語では無いよ。つたなくても、伝えるべき内容を伝えることが出来れば、ボスの話をちゃんと聞かない社員は居ない。
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伝えるべきものをきちんと持っていること、それをきちんと伝えたいという意志(欲望)を持っていること。これを欠いたコミュニケーション能力を、私はやはりうまく想像することができないのである。
なぜか?
答えは簡単である。
「自国の歴史や文化」、「政治や国際問題」、「伝えるべき内容」等々に対する感度が低いということと、人間(の感性)に対する感度が低いということとは、同義だからである。
人間(の感性)に対する感度が低い人が、一体どうやって世界の人々を幸せで豊かにする革新的なものをつくることができるのだろうか?
「人間力」養成プロジェクト、「日本語コミュニケーション能力」養成プロジェクトで私が考えているのはそういうことなのである。
「グローバルでイノベーティブな技術者」像を、私たちはまずきちんと考えなければならない。
先日の全体会議の時に私が使ったのは、「見識」という言葉であった。自国の歴史であれ、文化であれ、政治や国際問題であれ、原発問題であれ、技術であれ、何事に対してもきちんとした見識を持っていること。そしてそれをきちんと伝えようという意志があること。
それは、人間(の感性)を信じるということでもある。
人間(の感性)への信に基づいた見識を欠いては、グローバルもイノベーションも空虚な標語にしかなりえないのではあるまいか。私にはそのように思えて仕方がない。
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