今日は撃砕特別講習会。
今までの動きは何だったの?というくらい、これまでと全く違う動きの稽古をした。これまでも断片的には稽古したり説明したりしたことがあったが、きちんとやったのは今回が初めてである。
みなさん最初は大混乱していたが、次第に感じをつかんでいったようだ。さすが黒帯である。今までの動きや考え方を全部捨てて、その場で一から新しくやらないといけない。これができた人から新しい動きができるようになる。これまでの自分に執着すればするほど次の段階にいくことができない。もちろん全く違うと言っても、これまでのことがきちんとできていないと次の動きも出来ないようになっているから面白い。
ある先生が前にこういう話をされていたことを覚えている。
毎年、年に1回習いに来る外国人が、「来るたびに変わっている」と言う。それは私も進化(深化)しているからで、仕方のないことだ。武道は素直な人が伸びるというのはその通りで、素直でない人は、「どうせまた変わるだろう」と思って、今、きちんと習おうとしない。そういう人は伸びない。
師匠も稽古を続け、成長を続けているのだから、師匠が変わってゆくのは当たり前である。一方の弟子も成長してゆくのだから、変わってゆく。どちらにしても、その都度その都度変わってゆくのである。武道には普通にあることである。しかし最近は、師匠の言うことが変わることに、不審感をもつ弟子もいるらしい。あるいは、どうせまた変わるから今は適当にやっておいて、もう少し進化してからまた習えばいいや、と思う弟子もいるのかも知れない。あるいは師匠の変化についていけず、ただ混乱しているだけの弟子もいるかも知れない。いろいろいるだろうが、結局、今、この場で、師匠と自分をどのくらい信じられるかにかかっているのである。
師匠を信じるとは、師匠の真似をするということである。自分を信じるとは、変化を恐れないということである。
「これまではこうだったのに」ということに執着していると次に進めない。来年また変わるかも知れないと思うと、今習っていることが無駄になると思えてきて、真剣に稽古できない。どちらも稽古する意味がない。
過去に執着せず、未来にとらわれず、「今、ここ」に集中できる人。これを武道では素直な人というのである。