第18弾プレステージレクチャーズ
テーラーメード・バトンゾーン教育プログラム
グローバル経済競争下での日本のものづくりと人材育成』
講 師:箕浦輝幸氏(トヨタ紡織株式会社 代表取締役会長、
元 トヨタ自動車株式会社 専務取締役、
元 ダイハツ工業株式会社 代表取締役社長)
日 時: 平成24年5月24日(木)14:40~16:10
場 所: 豊橋技術科学大学 講義棟 A-101
【講師コメント】
世界経済を索引してきた先進国で、大量生産・大量消費を基本とする経済モデルの限界が見え始め、逆に新興国が先進国を追い上げて来るというグローバル経済戦争時代に突入した。日本の産業は6重苦と言われる大きな課題を抱え、空洞化という大きな問題を抱えてしまった。「Japan as No1」といわれた経済大国がその地位をおびやかされつつある。こういう状況下においては、従来の延長線上でのものづくり戦略では、戦いに負ける。我々は国全体が一体となって改革(イノベーション)するという覚悟がなくてはならない。 本講演では、それを乗り越えるための企業自体が追及しなければならない基本的な生産戦略についてお話したい。又それを進めるためにどんな人材が必要か、どう育てればいいのかも少しふれてみたい。
--------------
グローバル化、イノベーション、「待ったなし」の日本をとことん強調された講演だった。とにかく強調されたのは、
もう既に時代は変わった。
もう既に環境は変わった。
全部を変えなければならない。
ということだった。
しかし、日本が豊かであるためには経済成長し続けねばならず、そのためには製造業が発展しなければならない、と話されたので、その点だけは変わらないのだろう。しかしその枠組み自体も問う必要があるだろうと思う。
この世代のトヨタの方は、大野さんを心から尊敬しておられる。そのことが今回もとてもよく伝わってきた。これだけ人の人生に深く入り込んだ大野さんは、ものすごい方だったのだろう。ぜひお会いしたかった方の1人である。
もう一つ話を聞いていて感じたのは、箕浦氏が、日本の技術者は無理難題を与えられても最終的には何とかする、と心から信じておられるということである。これも今の大企業のトップの方の世代にある程度共通する信念なのだと思う。そうやって日本のものづくりは、いいものを作ってきたという体験を持っておられるのである。
これに関して悲観的な意見が学生自身から出されたが、私自身は、箕浦氏同様、若い技術者の潜在力を信じたい。
講演の最後に、夢を持って頑張れという励ましの言葉とともに、次のメッセージが送られた。
やりきる力を持て
修羅場を買って出ろ
火中の栗を拾う人間になれ
〈グローバル=イノベーション=待ったなし〉に関しては私は別の考えを持つ者であるが、最後の3点に関しては同感である。
別の考えというのは、そもそもグローバル人材というのがよく分からないのであるが、さらに、グローバル人材教育とか、イノベーション人材教育ということを私は信じることができないのである。誤解のないように申し添えておきたいが、グローバル人材やイノベーティブな人自体を否定している訳ではない。そういう人は多勢おられるだろう。ただ、それを一極集中的に目指した教育の、全体的な成果を信じられないというだけである。
ちょうど、個性重視、「個性を出せ、個性を出せ」といって育てられてきた今の学生世代の多くが、「自分には個性がないのではないか症候群」になっているように、「グローバル人材になれ、イノベーションを起こせ」と言い続けられて育てられた多くの人は、「自分にはイノベーションを起こせないのではないか症候群」に陥ってしまうように思えて仕方がない。このような教育は、デメリットがあまりにも大きすぎる。
グローバルとかイノベーションを目標にせず、結果としてグローバルな人材やイノベーティブな人を生み出す教育を考えるべきである。何も難しいことはない。かつての日本にはそういう教育があったのである。そのまま現代に適応しろとは言わないが、学ぶべき点は多いはずである。
これも誤解のないように付け加えておきたいが、箕浦氏は、そのような成果の一局集中教育を主張された訳ではない。箕浦氏は、人材育成のためには、修羅場を経験させよ、と話された。その修羅場で自分で徹底的に考えさせろ、と。これも大野イズムなのだそうだ。
This is〈グローバル=イノベーション=待ったなし〉のような講演を聞いて、部屋に戻ったら、加藤典洋さんと内田樹さんの対談(「週刊現代」2012年5月19日号の記事)がネットにアップされていた。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32550
加藤さんが、いきなり、「今の日本社会を一言で言うと、「浮き足立ち社会」になるでしょう。」と言う。「たとえば原発の再稼働。原発全停止が実現すると「夏に電気が足りなくなるぞ」とまずタイムリミットを置き、人を急き立て、浮き足立つ形で国論を二分する大問題が提起されています。これが最近の特徴ですよね。」と。
内田さんも、「「待ったなし」という誰が決めたかわからないタイムリミットだけあって、「もう時間がない、残された選択肢はこれしかない」と迫る。時間がないことを言い訳にして、考える義務を自己免責している。」と受けている。
今日は、両極の話が聞けた日である(一方は読んだんだけど)。どちらも個々には共感する点も多かった。しかし核心について言えば、加藤・内田両氏の「タイムリミット症候群」の話の方が、少なくとも私の身体にはよいように思われた。
- 次の記事: 豊郷小学校旧校舎群ガイドブック・ガイドビデオ
- 前の記事: 豊郷小学校旧校舎群、ヴォーリズさんの設計室展2