工学的方法は、ある限られた領域、対象については有効であるが、現実にはそうではない領域もたくさんあるのであり、すべて工学的発想と工学的手法で考えることはできない。これは、工学を否定しているのではなく、どのような場合にそれが有効で、どのような場合に有効ではないかをきちんと知っておくことが大切である。例えば「工学的に恋愛する人なんていないでしょ?」と言ったら、学生さんから、「こんなサイトがありました」という感想が寄せられた。
新井民夫先生のサイトに掲載されている「配偶者の選び方」と一緒に掲載されている。
実は最初に「工学的に結婚相手選ぶ人いないでしょ?」と言ったのであるが、いるかも…、と不安になり、「工学的に人を好きになる人いないでしょ?」と修正したのであった。このサイトも「配偶者の選び方」であるが、なかなか洒落の効いた発想で、面白く読ませて頂いた。
もちろんちゃんと最後に、
この方法で配偶者を選べるなら、こんな簡単な事はない。実際には人間の関係はずっと複雑なことはいうまでもない。
と断っておられるが、こうも付け加えられている。
しかし、工学部に在籍する諸君にとって、一度は考えても良いテーマではないのだろうか。工学とは「与えられた条件の中で、最適な方法を求める体系」であるのだから。
工学的に配偶者を選ぶかどうかは別にして、工学は数値化、定量評価できるものを対象にしている。例えば「快適」ということを考えるときも、人間を「快適」にするパラメーターを考え、それぞれの最適値を考える。「快適な部屋」とは、「快適な温度」「快適な湿度」「快適な広さ」「快適な空気の流れ」などといった諸々の条件を満たす部屋である、というように。しかしそれぞれのパラメーターの最適値の総和が、必ずしも「快適な部屋」になるとは限らないというのが現実である。しかしそんなことを言い出すとどうしようもないので、それぞれのパラメーターのKING値の総和がKING of KINGS であると考える事にしているに過ぎないのである。
だが実際に、優れた工学者は、ほんとうはこんなことは誰もやっていないと私は信じている。逆なはずだ。先にものができて、それを一応納得させるために定量評価しているに過ぎないはずだ。
「快適な部屋」を定量評価し、いくつかのパラメーターとそのKING値は分析できるかも知れない。しかし逆にそれを寄せ集めても、決してもとのような「快適な部屋」を作り出すことは出来ないのである。なぜなら、すべてをパラメーター化することはできないからである。
しかしほんとうは、快適かどうかなんて、分析せずとも誰でも分かる。感覚的に分かるのである。分析はあくまで、事後的に行われる結果であり、原因にはなりえない。そのことを否定して、ものづくりはあり得ないと思う。
つまり、自分の恋人や配偶者が誰であるかは、誰でも直観的に分かるのである。もちろん錯覚もあるし、失敗もある。つまり別れることもいくらでもある。しかしそのときは、自分の感覚の未熟さを嘆いて、自分の直観と感覚を磨く努力をせよ。つまり人間に成長する努力をすべし。自分の人間としての全存在をかけて直観と感覚で配偶者を選ぶ。これが「文学的配偶者の選び方」である。