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終わってた

今日から後期の授業。
早速2限と3限の2コマやった。
どちらもまずまずの感じだった。

その後、どうしても今日中にやらないといけない仕事があり、武道部に遅れると連絡しておいた。
少しでも早く行こうと頑張って、なんとか8時頃に武道場に到着。
が、すでに稽古は終わっていた。

「ひととおり稽古したので、だらだら長くやっても仕方ないからもう終わりました」と部長。いつから武道部の稽古は1時間半でひととおりできるほど貧しくなり、それ以上やるとだらけてしまうようになってしまったのだろうか。

以前ならこういうことがあると怒っていたと思うが、今はそんなことはない。今日の稽古に私は必要とされなかったと思うだけである。そして必要とされていないなら今度から慌てて来るのはよそうと思うだけである。だから、「ああ、そうですか。分かりました。」としか言わなかった。その後、マズイと思ったのか謝りに来たが、謝られても困る。本当に私は怒ってもいないし、絶望もしていないからである。もちろん喜んでもいないけれど……。しかしむしろ、「全体として」は必要とされなかったが、誰か教えて欲しいといって来るかな?と楽しみにしていたのである。別に稽古をはやく終わったからといって、全員が私を必要としていないとは思わないからである。部員の中に1人でも必要としてくれる人がいれば、その人に教えるし、誰もいなければ、一人で自分の稽古をするか帰るだけである。

今の私は、教えて欲しいと来る人には教えるし、そうでない人に押し売りはしない。ただそれだけである。また「その人」は別に固定されてもいない。その場その時の「その人」の求めに応じるのみである。なんか悟ってしまったのかしら……。でも武道を「教える」のは私の仕事でも何でもない。私は自分の稽古がしたいのである。教えることが自分の稽古になるので教えるだけである。

今日は白帯の子が「下段払い受けを見て下さい」と言ってきたので、「いいよ」と言った。この子は、とてもいい。何がいいかというと、絶対に誤魔化さないのである。

私が指導するとき、というか、多くの指導者がそうだと思うが、最初はその人を試しながら指導する。素直なのか頑固なのか、人がみていないところで手を抜く人なのかそうでないのか。ちょっと辛いとすぐ逃げるのか踏ん張るのか。そういうことを見極めながら指導する。

この白帯の子は、入部したての頃、「どうなりたい?」という私の質問に、「積極的な人間になりたい」と答えた。それ以来、私を見つけたら自分から必ず挨拶をし、毎回何か教えてもらいに来るようになった。それが今日は下段払い受けだったのである。

かなり疲れていたようで、しんどそうだったが、もちろん私は手を抜かずどんどん続けた。そしてこの子は最後までなんとかやりきったのである。ほんとうに嬉しく思った。

習いに来ない部員が多いどころか、私が来る前に稽古を終わってしまう今の武道部にとって、こういう子がいることは武道部の救いである。もちろんこの子だけではない。今の白帯は全般に頑張り屋さんが多いように思う。

私がこの子を指導している間、道場の各所でそれぞれ各自が稽古をしていたが、この子を含めた白帯の何人かが一番熱心に稽古をしていた。それこそ黙々と必死で稽古をしていた。その横でだらだらしていた色帯はおそらく我が身を省みて恥ずかしかったはずである。

今日だけでなく、ここ何回かの稽古を見ていると、今の武道部は、確実に白帯が牽引している。誰が牽引しようが構わない。もっと成長したいものたちの集団であればそれでいいのである。

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