今日は大阪府大山崎文庫の調査。
親友の西田くんとも会えた。
図書館の方も、とても親切に気持ちよく対応して下さった。
ほんとうに有り難い。
今回は俳諧伝書を中心に調査した。山崎文庫には、ペン写も含めて、結構伝書が所蔵されているのである。伝書などというものはいかがわしいもの、という時代にあって山崎喜好は、伝書も集め、読んでおられたのである。このことは注目しておくべきことである。というのも、以前「支考俳論の語られ方ー田岡霊雲と大西克礼」(『連歌俳諧研究』114号)に書いたが、大西の『風雅論』が刊行されたとき、井本農一によって、辛辣な書評が書かれた。それは、「美学者」の仕事としてはまあいいけれども、「国文学徒の立場」から見る限り、文学史の「現実」をかけ離れており、あまりにも「空虚」だというものであった。支考の虚実論が正面から論じられていたことも井本は批判した。「支考の俳論を蕉風の中心的俳論であるかの如く取扱はれたのは如何であろうか」と。井本は、当時の俳文学研究における常識を根拠に、『風雅論』には多くの事実誤認と方法論的誤りがあると指摘したのである。
しかしその前月、山崎によって『風雅論』を高く評価した書評が出されていた。曰く、「俳諧の殆どあらゆる面は豊富に、縦横に論じられてあり、のみならず適宜な解明が施してある本書はどれほど私たちの思考に多くの糧を供給してくれることであろうかと思う」と。
井本の主張が当時とその後の俳文学研究の主流であったことは、その後の俳文学研究において、『風雅論』がほとんど顧みられることがなかったことからも分かる。
私が拙稿を書いたとき、なぜ山崎が『風雅論』を評価できたのか、不思議に思い、山崎に興味をもった。今回、その一端を垣間見ることができた気がした。芭蕉以降の俳諧を考えるとき、支考と蝶夢、そして伝書は不可欠なのでるが、そのいずれも山崎文庫には揃っているのである。
山崎の頭にあった俳諧史を今一度見直してみたいと思った。
- 次の記事: 講座:ヴォーリズ建築の魅力
- 前の記事: 研究室の新しい仲間