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中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』

  • 2013-03-17 (日) 16:09
  • 日記

中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』を読む。
この中に東京の電話や水道に関する記事が出てくる。

まずは水道。

東京市が埋設鉄管による上水道の工事に着手したのは明治二四年だという。神田駿河台の正教会構内全体にそれが引かれたのは、明治三七年頃と考えられる。同年二月四日のニコライ日記にこうある。「きょう都市水道から女学校へ水道を引いた。(略)。」東京市全体に上水道網がゆきわたったのは明治四一年である。138頁

次に電話。

正教会に電話がついたのは日露戦争開戦直後の、明治三七年二月二三日である。139頁

次は電燈。

明治四三年三月二六日の日記に、「今晩から神学校に灯油(ケロシン)ランプに代わって電燈がついた。生徒たちの勉強部屋とその他の部屋すべて、そして廊下にも。……見込みでは灯油より安くあがるはずなのだが」とある。139頁

現代でも「新しい機種に変えた方が電気代が安いですよ」と言われるが、この時代もやはり、「電燈にした方が安くなりますよ」と言っていたのだろうか。ほんとうに安くなったのだろうか。

ちなみに、この前岸田吟香の展示のときもらってきた「新修 豊田市史だより」第11号(平成25年1月)によると、「矢作川筋で最初の発電所は、明治30年(1897)7月に巴川支流の群界川で発電を開始した岡崎電灯ぼ岩津発電所(五二キロワット)」だそうだ。これが中部地方で最初に成功した水力発電所だそうだ。「電気は、二〇〇〇ボルトの電線路で岡崎の町まで送られ、豊田地域への供給はありませんでした」。「松平村に豊田地区最初の電気」がついたのは三年後の明治33年。「それから十年余り過ぎた明治四十四年三月に、岡崎電灯は足助の山奥、巴川支流の東大見発電所を建設します。(略)まず電気が点いたのが、東大見発電所に近い足助町でした」。これが明治44年10月。「二か月半遅れて挙母町に電気が点ります」。以下、続く。

私はこういう細かい話が好きだ。
昔は全然興味がなかったけど……。

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