- 2009-06-25 (木) 11:33
- 研究
蝶夢の『蕉門俳諧語録』を読んでいる。これまでは必要なところだけをつまみ読みしていただけなので、恥ずかしながら、最初から通してゆっくり読むのはこれが初めてである。これからじっくりいろいろ考える予定だが、それにしても、よくまあこれだけ集めたものである。支考も去来も其角も許六も野坡も、その他いろいろ引用されているが、これが蝶夢の考える「蕉門」の範囲なのである。もちろん現在の私たちも彼らを蕉門と呼んでいるが、それ以上に、美濃派だの江戸座だの誰の系統だのと、細分化している。言うまでもなくそれには十分な理由があるのだが、必要以上に「派」や「系統」を強固に考えすぎではないかと思う。
今ほど情報が多くない時代にあって、芭蕉の直弟子やその系統の書が目の前にあり、そこに書かれていることが芭蕉の教えとして不都合でなければ、それは「芭蕉(蕉門)の教え」なのである。もちろん選別はしているが、教えの内容によってそれを行っているように思う。
佐藤勝明さんは、『芭蕉と京都俳壇-蕉風胎動の延宝・天和期を考える』(八木書店)において、門派活動とは別に「俳諧圏」とでもいうべき交流関係があったと指摘し、「季吟俳諧圏」なる概念を提出しておられる。佐藤さんが問題にしておられるのは延宝・天和期であるが、書評にも書いたように(日本文学640号)、私は、時代が下っても、少なくとも、交流関係や影響関係においては、「門派」はそれほど強固なものではなかったと考えている。
そのことについては今年度科研費に採択されたテーマとも関係するので、そのうち詳しく論じることになると思うが、少なくとも『蕉門俳諧語録』においては、「おおらかな蕉門」が感じられるのである。
以上はただの思いつきと感想である。これからいろいろ考えてみたい(もちろん間違っていたら訂正します)。
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