- 2009-10-10 (土) 23:38
- 日記
特別な三連休、一日め。
10月10日。
平成21年度いなべ市生涯学習事業 歴史と文化の講座で、鵤工舎設立者の小川三夫さんの講演会「木のいのち 木のこころ-技を伝え、人を育てる-」があった。言わずと知れた法隆寺宮大工西岡常一棟梁の唯一の内弟子をされた方である。日本文化論Ⅰ聴講生Nさんに紹介していただいた。残念ながら日本文化論Ⅰの受講生は誰も来なかったが、方寸塾生、武道部員が14名ほど参加した。
この講演会は私にとって驚きと感動の連続だった。
最初に驚いたのは手だ。小川さんの手は、とても柔らかく神経の行き届いた「生きた手」だった。もうそれをナマで見られただけで大感激し、講演が始まる前からかなり興奮してしまった。あのくらい「生きた手」であってこそ、木のいのちを感じ、生かすことが出来るのだろう。それにしても凄かった。
にこやかに会場に入って来られた小川さんは、本でイメージしたよりも、人当たりのよい優しい感じがした。しかし時折非常に厳しい表情もされた。
正中線は屹立しており、尋常でない腹の据わりである。そしてあの柔らかい生きた手。
これほどの人の前に出たら、こちらが素直になるしかない。誤魔化しても無駄である。幸い講演修了後、控え室でご挨拶させていただき、お話をして頂いた。小川さんは余計な言葉も行動も一切ない。必要最低限のことだけである。しかしその一つ一つが、実に温かい心に満ちていた。
それで察せよ
西岡棟梁の教えを見事に受け継いでおられる。どのくらい私が察せられたのか甚だ心許ないが、ただ言えるのは、小川さんの前で私の心は裸になっていたということである。
話を講演に戻す。講演で何より驚いたのは、小川さんの話が進むにつれて、会場の空気が一つになったことである。始まる前に司会の方が、「講演中はなるべく席を立たないようにお願いします」とおっしゃっていたので、そういうこともよくあるのだろう。私は一番前に座っていたが、講演中、後ろの空気が全くざわつかなかった。全員の気がまっすぐに小川さんに集まっていた。これぞ法隆寺口伝、
百工あれば百念あり、これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる、これ正なり。
を実践して見せて下さったのである。これが小川三夫棟梁の器なのである。講演の内容もとても面白く勉強になったのだが、これには度肝を抜かれたという他ない。決して流暢に話す訳でもなく、ユーモアを交えるでもなく、プレゼンのテクニック本とは正反対の、ただただ自然体で話をされただけなのである。そこには余計な装飾など一切ない。くしくもTくんが言った。
小川さんそのものが法隆寺みたいな方ですね
その通りだと思う。余計な装飾が全くなく、ただ自然体でそこに立っておられる。その姿そのものが美しい。だから言葉にほんとうの力が宿るのである。そこには自分をよく見せようとか、聴衆を満足させようとか、そんなことが一切ない。ただただ自分ができる話を、自分ができるように、そのまま話されたのである。「それ以外に何が出来る?」と言われるかも知れないが、それをこれほど見事に実践する人を私は見たことがない。
おそらくほとんどの聴衆は、小川さんの言葉が、自分の心のどのくらい深くにまで届いたのか気づかなかったのではないだろうか。少なくとも私は、このとき、その深度をよく分かっていなかった。
ほんとうの力を宿した美しい言葉は、外ではなく内から影響を与える。だから必要以上に「大袈裟な感動」は与えない。内から湧き上がる静かな感動と幸せを与えるのである。だから良質の温泉のように、芯から温まり冷めにくい。実はこのエントリーは三日後に書いているのだが、私はまだ興奮している。というより、時間がたつにつれて興奮が増してきているのである。私が思った以上に、小川さんの存在は、私の深くまで届いていたのである。
部員たちも、それまでと全く違っていた。小川さんと話を終えて控え室から出てきた私を待っていた部員たちを見て、びっくりした。全員が静かに感動していたのがありありと分かった。そしてピュアな心が一つになって、私を待っていたのである。
講演会後の行動やもらったメールから、みながどのくらい深く小川さんの存在と言葉を受け止めたかがよくわかる。例えばKさん。Kさんは私と一緒に控え室に入り、私と小川さんの話を聞いていた。私に遅れないようについてきたら、気づいたら部屋の中だったという。それまでのKさんなら、「自分が部屋に入っていいのだろうか?」と考えて、躊躇し、部屋の外で待っていたはずだ。「やらなければいけないこと」「やってはいけないこと」を頭で強く考えてしまい、それが上達の妨げになることがしばしばあったのだが、この時はただひたすら心を空(くう)にして、私の「気」を感じて、その感覚に惹かれるように行動したのである。
これまで、Kさんだけではなく、私は部員と行動するとき、いつでも「重さ(抵抗)」を感じていた。何と言えばいいだろう。私の気(期待)と部員の気(行動)がゴム紐で繋がっているとすると、いつでもそれが引っ張られた状態で、抵抗が生じていたのである。いつでもこちらが引っ張らなければならず、それが「重い」のである。しかし講演会後のKさんは、ゴムが適度に緩んでいて、それが引っ張られることが一度もなかった。抵抗や違和感を全く感じず、Kさんといてとても心地よかった。私があることを期待する直前に、いるべきところにいて、とるべき行動をとっていた。まさに植芝先生に桶を出す塩田さん状態だったのである(このエピソードを知らない方も多いかも知れませんが)。
鵤工舎での修業は10年間で、修行の意味が分かっていてきちんと修行した弟子は、7年目あたりから急成長するという。Kさんは武道を始めて丁度7年目である。これまで本当に必死に、「それで察せよ」という修行をしてきた。この講演会でブレークスルーして、今後急成長することは間違いない。ほんとうに嬉しく思う。
それにしても、Kさんをこれほど変えてしまう小川さんの存在の凄さを感じずにはいられない。もちろんKさんだけではない。多かれ少なかれ、部員全員が同じように変わった。願わくば元に戻ることなく、それが続きますように、と祈っている。
小川さんを駐車場でお見送りした後、Nさんの豪邸に御招待頂いて、楽しいひとときを過ごした。その後部員の感想会に合流したが、電車時間の都合でほとんど話が出来なかったのが残念だった。
しかし私たちにとって特別な一日となったことだけは間違いない