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「ものになる」ということ2

  • 2010-07-14 (水) 8:47
  • 日記

 昨日「ものになる」ということについて書いたが、今日、木寺先生のブログを見たら、「常歩(なみあし)剣道の選手」について書かれていた。奈良高専の学生さんである。
 前からお聞きしていたが、木寺先生は、剣道部の学生さんに常歩を積極的には教えておられないという。その学生さんは、木寺先生の本を読み、自分で稽古したらしい。もちろん本を読んだだけでは出来ないが、何しろその著者が目の前にいて、最高のお手本を見せてくれるのである。手取足取り細かく教えられるのではなく、師匠の動きをよく見て、本もよく読んで、自分で体得していったのである。これこそ私が「徒弟制度的指導法」と呼んでいる武道の習得法である。木寺先生も、その学生が常歩を稽古していることは知っていたはずだが、聞かれない限りおそらく自分から細かく教えることはなかったはずである。ブログには、「ほぼ常歩の足さばきをマスターしています」と書いてある。つまり「ものになった」のである。その学生さんも師匠にこう書いてもらえて最高に嬉しいに違いない。
 このような学生さんが高専にいることが何とも頼もしい。ぜひ豊橋技科大に来てね~

 もちろん彼は常歩をものにできなかった可能性もあった。彼以外の学生さんは今のところものにしていない(この前の合同稽古のときに、彼だけが常歩を稽古していると他の学生さんが言っていたので)。そもそも木寺先生は常歩を教えていないのだから、剣道部では常歩をマスターすることは、目標でも何でもないのである。
 たまたまその学生さんが勝手に興味をもって、勝手に稽古したに過ぎない。しかしそれは木寺先生の「教育の質」が低いことを意味しない。逆である。良質であったからこそ、そういう学生が出て来たのであり、常歩をものにできたのである。
 今後、彼に続く学生さんがどんどん出てくることだろう。

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