- 2011-01-22 (土) 23:19
- 日記
1月22日は内田樹先生の最終講義。
15時からであるが、例のごとく私は12時半頃到着。正門で守衛さんが挨拶してくださる。
こんにちは。内田先生の最終講義ですか?
いつもながら神戸女学院の守衛さんはすばらしい対応をしてくださる。帰りも、
ありがとうございました。お気をつけて。
とにこにこ笑顔で。実に気持ちがいい。そしてこれもいつもながら神戸女学院の空気はとても清々しいのである。その空気を吸いながら講堂につくと、すでに何人かそれらしき人が来ている。10分ほどそのあたりをうろうろしていると、なんと内田先生が登場。ご挨拶して、クリタさんと写真をとってもらう。
その後、内田先生、あろうことか「ここをこうして、これとこれは分けて」など、受け付けの準備を仕切り出した。そして準備が整ったところで、
ではどうぞ。
と自ら受け付けに立ってお出迎えをされた。この前の演武会でもちょっとその片鱗を見たが、最終講義者自らが受け付けの準備をし、その後も聴衆をお出迎えされている最終講義を私はこれまで見たことがない。内田先生の凄さを見た。
始まる頃には、800人収容できるという講堂は二階席まで超満員。立ち見も出た。自分の思い出話から静かに語り始められた最終講義は、ヴォーリズの建築、教育と信仰の話、リベラルアーツ、「愛神愛隣」の話へと展開し、最後に倍音を響かせた聖書の朗読で幕を閉じた。
見事な名講義だった。
1時間強の講義が終わったとき、つまり朗読を終えて聖書が閉じられた瞬間、目の前の世界がぱっと明るくなった。パズルの最後の1ピースが見事に収まった。そして講義中に話されたヴォーリズの仕掛けによって、講堂から出た瞬間に自分が今うけたばかりの知的感覚が、具体的な身体感覚として追体験されたのである。神戸女学院の講堂でなければ出来ない、それを周到に取り込んだ講義だったと思う。さすが武道家である。
終了後茶話会へ。これまたものすごい人で、外にも一杯溢れていた。ここでもあろうことか、気軽に本のサインに応じられていた。すばらしい。
その後パーティー会場の宝塚ホテルへ。
このパーティーでも私は内田先生のパワーを知らされた。こんなパーティーは見たことがない。約230人という人数もさることながら、会場全体が内田先生への上質で上品な愛に満ち溢れていた。おそらく全員が、自分が、今、ここにいることを受け入れられていると感じだだろうし、その心地よさを味わったはずである。自分はここにいてもいいんだ、そう思わせる安心感。内田先生の本質なのか、神戸女学院の本質なのか、おそらくは両方だろうが、ともかく、気品と愛に満ちたパーティーだったと思う。教え子さんたちもとてもいい感じの方たちだったし、裏方の方々も大変素晴らしいと感じた。
もうひとつ、スピーチされた方はもちろん、それ以外の方も、極めて個性的な方が多かった。これだけの個性を集めるのは並大抵のパワーではない。自分が大切にしているものをずっと守っている人だけが、同じものを大切にしている人を引きよせられるのだろう。
初めて生の声を聞いた高橋源一郎さんや中沢新一さんなども同じ魂の持ち主だと感じだし、真面目に話されている茂木健一郎さんの姿には、TVとは別の茂木さんの本質を見た気がした。
そういう非常に個性的な方々が、とてもその場に馴染んでいた。誰ひとり浮いていないし、目立っていない。それでいて、みんな個性的である。そして居心地がとてもいい。なんせ私なんて230人の中に、知り合いは2人しかいなかったんですからね。でもまったくそんなこと忘れていたし、純粋に心から祝福できた。
こういう良質の場を作り出せる力こそが、オープンマインドとハイ・スピリットなのであろう。